相撲の歴史– category –
部屋の系統・一門・横綱十大史・昇進成績の考証
-
相撲の歴史
混迷の時代の優勝次点
混迷の時代はいつ始まったのか。混迷の時代は場所前から優勝予想ができなく、意外な力士が優勝することである。それは令和4年一月場所からである。照ノ照富士の神通力が失われたときである。これによって絶対的強者が失われた。 <照ノ富士> それに代わ... -
相撲の歴史
中村部屋の位置づけ
元嘉風の中村部屋が二所ノ関部屋から独立した。6月1日承認、3日引っ越しとなった。引っ越し先は旧陸奥部屋である。旧陸奥部屋は元霧島が定年を迎え、部屋を閉鎖していた。 <中村> 部屋の系統でみると中村部屋の位置は下記になる。 まず、本家二所ノ関... -
相撲の歴史
混迷の時代を脱却する力士は誰か
現代は誰が優勝するか予想が立たない時代である。三月場所の尊富士、五月場所の大の里の優勝はまったくの予想外であった。それは絶対的強者が不在であるからだ。逆にいうと、誰が絶対的強者として君臨して混迷の時代を終焉できるか、ということである。 昭... -
相撲の歴史
混迷の時代現在進行中
誰が優勝するか場所前から予想が立たない。時には思いがけない力士が優勝を争う。まさに混迷の時代である。 しかし、これが思いがけない事態をもたらした。大相撲人気を高めているのである。昨年の九月場所、今年の一月場所はチケットが売り切れた。今年の... -
相撲の歴史
名門高砂部屋は分家消滅の歴史
高砂(元朝赤龍)部屋の分家は錦戸(元水戸泉)部屋だけである。その錦戸部屋は弟子が少なく、部屋としては危うい状態である。広い意味では高砂部屋出身の初代西ノ海の流れを組む錣山(元豊真将)部屋、音羽山(元鶴竜)部屋がある。ただし、本家分家の意... -
相撲の歴史
理事長・理事の部屋勢力
一門はかつて巡業をともにする組合だった。本家分家関係を中心としての寄り合い連合だった。現在の一門は理事、副理事を生むシステムに変貌している。 <八角理事長> 🔶高砂一門八角元横綱北勝海)🔶出羽一門春日野(元栃乃和歌)境川(... -
相撲の歴史
なつかしく思える若貴・曙の時代
曙の通夜が14日行われた。かつてのライバル若乃花が弔問に伺った。今改めて若貴・曙の時代が懐かしく語られている。昭和三代人気力士は双葉山・初代若乃花・貴ノ花である。その貴ノ花の二人の息子が相撲界入りしたのだから大変な話題になった。 <曙> 若... -
相撲の歴史
幕内優勝経験者11人時代
尊富士の優勝で11人になったものがある。それは幕内優勝経験者の現役数である。11人あげられれば、あなたは相撲通である。 <優勝尊富士> 照ノ富士貴景勝御嶽海霧島玉鷲豊昇龍朝乃山大栄翔正代尊富士若隆景 豊昇龍以下6人は優勝1回である。尊富士は幕尻... -
相撲の歴史
旧井筒の系統
井筒部屋はいま無く、旧井筒の系統は、元豊真将が師匠の錣山部屋と、元鶴竜が師匠の音羽山部屋だけになった。元逆鉾の井筒部屋は、2019年九月場所中に師匠が亡くなって消え、鶴竜は陸奥部屋に移った。その陸奥部屋も2024年4月の師匠・陸奥(元大関霧島)の... -
相撲の歴史
4大関時代の優勝事情
三月場所、琴ノ若が大関に昇進することで久々に4大関になる。1年前は貴景勝の一人大関だったのだから様変わりである。4大関は令和3年七月場所以来である。白鵬が最後の優勝を全勝で飾った場所である。 そのときの大関は照ノ富士、貴景勝、正代、朝乃山... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋代々
佐渡ヶ嶽部屋は、昭和30年に初代琴錦が7人の弟子とともに二所ノ関(元佐賀ノ花)部屋から独立して興した部屋である。師匠は初代琴錦、横綱琴櫻、元関脇琴ノ若と継がれ、2024年に大関琴ノ若(いまの琴櫻)が誕生して、1横綱6大関を出したことになった。 田... -
相撲の歴史
鶴竜始動!音羽山部屋誕生
鶴竜が引退したのは2021年三月場所中だった。休場が続いていたが、その途中での引退だった。それからは鶴竜親方として協会に残った。横綱は5年間年寄株がなくても親方でいられる特権がある。 鶴竜親方として約2年9カ月、音羽山の株を入手した。それだけ... -
相撲の歴史
混迷の時代の未達成優勝
昨年は6場所優勝者が異なった。今年は霧島が2回優勝し、これを脱出した。貴景勝は優勝と単なる1位でこれに該当しない。 霧島の年2回優勝で混迷の時代を終えたといえるのか。混迷でない時代とは場所前から優勝予想ができる状態である。つまり絶対的強者... -
相撲の歴史
現代相撲部屋勢力
戦前、相撲部屋は出羽海(元両国=前名国岩)部屋が片屋を占めたことがあった。それほど古くない時代では、二子山(元貴ノ花)部屋が横綱貴乃花・若乃花、大関貴ノ浪ほか三役クラスの安芸乃島、貴闘力などをそろえた時期があった。元三重ノ海の武蔵川部屋... -
相撲の歴史
10大横綱の新入幕時代4
朝青龍の新入幕は平成13年一月場所である。曙が全休後引退している。序ノ口から12場所目であった。負け越しは幕下のときの1回である。 新入幕の場所は9勝6敗と勝ち越したものの平凡な成績で終わった。ただ、新入幕から3場所目には小結に出世した。大関... -
相撲の歴史
10大横綱の新入幕時代3
北の湖、千代の富士、貴乃花には共通点がある。それはいずれも新入幕のとき負け越していることである。しかも幕に留まれず、十両落ちを経験している。そこから10大横綱にかけあがったのだけれど、個別にみていこう。 北の湖の新入幕は昭和47年一月場所であ... -
相撲の歴史
10大横綱の新入幕時代2
双葉山の新入幕は特殊事情によるものだった。昭和7年1月6日春秋園事件が勃発した。幕内西方の全力士20人と十両の出羽系11人が、中華料理店春秋園に集結した。 目的は大相撲の近代化へ向け、力士生活の安定化、大相撲の大衆化、協会の制度改善である。中... -
相撲の歴史
10大横綱の新入幕時代1
常陸山の新入幕は明治32年春場所であった。地位は前頭4枚目であった。なぜ、そんな高い地位だったのか。前場所十両筆頭で9勝1分であった。しかも新十両であった。 <常陸山のブロマイド> 幕内は14枚目しかなかった。さらに同じ片屋同士の対戦はなかっ... -
相撲の歴史
横綱受難時代
朝青龍が横綱の時代、あるいは白鵬の横綱時代は一人横綱だろうが何の心配もなかった。年齢が若かったこともある。まさに優勝をほとんど独占できた。ともに7連覇している。白鵬は63連勝という記録までつくった。 <朝青龍> それ以降の横綱はどうであった... -
相撲の歴史
混迷の時代の終焉はくるか
昨年(2022年)は6場所すべて優勝者が異なった。横綱1回、関脇2回、平幕3回であった。13勝優勝が2回、12勝優勝が4回あった。まさに混迷の時代であった。 <霧馬山初優勝> これは今年も続いている。4場所経過したが、4場所の優勝の顔ぶれがちがう... -
相撲の歴史
歴史に逆行する九月場所番付
九月場所の番付が発表された。横綱・大関が手薄だから上位勝ち越し者が多く、幕内上位はどんづまりである。小幅アップにならざるを得ない。 豊昇龍が新大関としてデビューする。しかし、それは角番大関霧島・貴景勝の風下に位置するものである。はっきりい... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋の四股名に「琴」が付く理由|初代琴錦と琴弾八幡宮、「琴」のつく歴代の幕内力士
佐渡ヶ嶽部屋の力士の四股名に「琴」が付くのは、部屋を興した初代琴錦(元小結)の四股名にちなむ。その「琴」は、初代琴錦の故郷である香川県観音寺の琴弾八幡宮に由来している。部屋の力士すべてに「琴」が付くようになったのは、横綱琴櫻が師匠を継い... -
相撲の歴史
春日野部屋の四股名に「栃」が付く理由|栃木山と「栃」のつく歴代幕内力士(四股名の大元)
春日野部屋の力士の四股名に「栃」が付くのは、部屋を興した大正の横綱栃木山にちなむ。ただ、元栃木山の春日野は弟子の四股名に栃をつけることにこだわっていなかった。「栃」がそろうようになったのは元栃錦の春日野の代からで、元栃ノ海、元栃乃和歌へ... -
相撲の歴史
片男波部屋の四股名に「玉」が付く理由|玉乃海の内弟子と大元の玉錦、「玉」の歴代幕内力士(四股名の大元)
片男波部屋の力士の四股名に「玉」が付くのは、部屋を興した玉乃海が、二所ノ関部屋にいたころから独立を見すえて内弟子に玉のつく四股名をつけていたからである。玉がつく四股名は内弟子のしるしだった。その「玉」の大元は、一代で二所ノ関部屋を大きく... -
相撲の歴史
井筒の系統
明瀬山が引退し、井筒を襲名した。これによって井筒の株はこれまでの時津風系ではなく、旧三保ヶ関部屋から独立した木瀬系に移ったことを意味している。 <明瀬山> 井筒はそれまで元豊ノ島が名のっていた。井筒株の返上を求められたのか、協会を離れ芸能... -
相撲の歴史
躍進する宮城野部屋
白鵬が帰化までしてまで親方になりたかったわけがあった。それは部屋をもって力士を育てたかったからである。大相撲界独特のシステムであり、やりがいは大きい。弟子の育成は現役時代の実績とはまったく違う要素である。 <元白鵬の宮城野> 七月場所後元... -
相撲の歴史
混迷の時代終焉のカギ
混迷の代はいつ始まったのか。予想外の力士が優勝戦線に踊り出てくる。優勝のレベルは12勝が多い。となると2022年三月場所からである。この場所は関脇若隆景と高安が優勝を争った。 <若隆景と高安の優勝決定戦> 今年(2023年)の五月場所は照ノ富士が14... -
相撲の歴史
2023年版出羽海の系統
出羽海の系統で変わった点は2つある。1つが元隆三杉の千賀ノ浦部屋が常盤部屋に変更したこと。千賀ノ浦部屋は元舛田山が春日野(元栃ノ海)部屋から独立しておこした部屋だった。部屋及び出羽一門に後継者がいなく、二子山(元初代若乃花から元貴ノ花)... -
相撲の歴史
混迷の時代!優勝者の翌場所の成績
現在8場所連続優勝者の顔ぶれが異なる状態が続いている。場所前の優勝予想がまったくできない。誰が優勝するのかやってみないとわからない日々が続く。 優勝の内訳は横綱1、大関1、関脇3、前頭上位2、前頭中位1である。番付の権威は薄れている。12勝... -
相撲の歴史
藤島部屋といじめ|いじめ禁止を条件に興された部屋と、貴乃花部屋までの歴史
藤島部屋は、大関貴ノ花が引退後に二子山(元初代若乃花)部屋から独立して興した部屋で、つくるときにおかみさんから「いじめと工作相撲の禁止」という2つの条件が出された。田口 通廣は、だから藤島部屋の力士は皆ガチンコ相撲だったと書いている。部屋... -
相撲の歴史
間垣部屋とは|2代目若乃花が興し、照ノ富士が最初に入った部屋の幕引き
間垣部屋は、横綱2代目若乃花が二子山部屋から独立して両国に興した部屋である。若ノ城・五城楼・若ノ鵬らを育てたが三役力士は出ず、師匠の病気や不祥事が重なって、弟子は同郷(青森)の元旭富士の伊勢ヶ濱部屋に託された。その中に若三勝、のちの横綱照... -
相撲の歴史
花籠部屋はなぜ消えたのか|元大ノ海が興し初代若乃花・輪島を育てた名門
花籠部屋は、元大ノ海が二所ノ関一門の分家として興し、横綱初代若乃花・輪島と大関魁傑を育てた部屋である。1981年3月に輪島が部屋を継いだが、年寄名跡を借金の担保にしたことで協会を追われ、部屋の力士は元魁傑の放駒部屋へ移って、花籠部屋は消滅した... -
相撲の歴史
続・消えた横綱の部屋①|鏡山部屋(横綱柏戸)の創設から閉鎖まで
鏡山部屋は、横綱柏戸が伊勢ノ海(元先代柏戸)部屋から独立して興した部屋で、2021年7月に閉鎖が正式に決まり、51年の歴史を閉じた。柏戸が58歳で亡くなったあとは弟子の元多賀竜が継いだ。最後の新弟子は2004年三月場所で、2008年五月場所後には弟子が竜... -
相撲の歴史
変貌する現代相撲部屋の継承
部屋の継承というと弟子と年寄株というのが通常である。建物は複雑な事情から引き継がれないケースが多い。ところが最近弟子は継承するが、部屋名が変更という場合が出てきた。 新しいところでは入間川(元栃司)部屋が元垣添の雷に引き継がれたことである... -
相撲の歴史
東西制から系統別へ 歴史的大もめ
東西制は明治42年夏場所、国技館開設とともに始まった。もっともそれ以前も取組は東対西であった。それを東西の優劣を決める団体戦にしたわけである。勝ったほうが翌場所東にまわる。現代の部屋別総あたり制を見慣れている相撲ファンからすると奇妙に思え... -
相撲の歴史
続10大横綱の小結関脇時代
引き続き10大横綱の小結関脇時代をみていこう。ここからは部屋別総当たり制での横綱である。 北の湖輪島、貴ノ花、魁傑の時代が来るとの見方に割って入ってきた力士が怪童北の湖であった。新小結では4勝11敗と大敗した。4場所後再小結で勝ち越し。翌場所... -
相撲の歴史
10大横綱の小結関脇時代
10大横綱は実質横綱が地位化した常陸山以降の横綱を意味する。大横綱の小結関脇はどうであったか。調べてみた。 常陸山常陸山が関脇だった時期は明治33年夏場所から2場所である。小結の経験はない。横綱は小錦だったが、同じ片屋で対戦はない。対戦した大... -
相撲の歴史
来なかった時代
昭和36年九月場所後、大鵬と柏戸が同日横綱に昇進した。物理的には2場所連続優勝の大鵬が先に決まったとみるのが常識である。柏戸は直前3場所優勝がなく、大鵬と抱き合わせ的に横綱になった。大関の勝率が大鵬と遜色がないが理由だったが、基準にないこ... -
相撲の歴史
一人横綱一人大関時代はいつまで続く
弱体化した大関陣は御嶽海の大関降格に続いて正代まで降格が決定した。これできたる一月場所は一人横綱一人大関である。正代が10勝以上あげれば大関に復帰するが、前例から復帰は容易でないことは、これまでさんざん書いてきた。 <一人大関貴景勝> 1横... -
相撲の歴史
混迷の時代はいつまで続く
今年(2022年)に入って優勝候補にあげられ、その通り優勝したケースがどれくらいあっただろうか。しいて言うなら五月場所の照ノ富士の優勝だが、3敗もして絶対強者の優勝ではなかった。きたる十一月場所、優勝候補をあげるのは非常に困難な状況である。... -
相撲の歴史
コロナ部屋ごと途中休場後の番付発表
新型コロナウイルスの部屋ごと途中休場が多発した七月場所を受けて、2022年九月場所の番付が発表された。まず、大関カド番の場所コロナ途中休場した御嶽海は、大関のまま据え置きとなった。そういう見方はされてきたが、九月場所再びカド番となる。 <御嶽... -
相撲の歴史
宮城野部屋の経緯 下
高島(元巴潟)部屋から独立した吉葉山は宮城野部屋を興した。その部屋は廣川、竹葉山へと引き継がれた。ところが2004年8月26日に異変がおこった。事の経緯はこうだ。1989年廣川宮城野急逝後、部屋付きの元竹葉山が部屋を継いだ。ところが、北の湖部屋(... -
相撲の歴史
宮城野部屋の経緯 上
元白鵬の間垣が宮城野部屋を継いで18代宮城野として力士の育成・指導、部屋の経営に携わることになった。宮城野部屋といえば白鵬、炎鵬、石浦で名をはせてきた。特に白鵬は数々の記録を塗り替えてきた大横綱であった。宮城野部屋はどういう経緯をたどって... -
相撲の歴史
元白鵬!宮城野部屋継承
元白鵬の間垣と元竹葉山の宮城野が年寄株を交換した。元白鵬は宮城野として部屋を継承することが正式に決まったわけである。これは元竹葉山が8月21日で65歳の定年を迎えることによるものである。白鵬は現役のとき、内弟子がおり、将来は独立するものと思... -
相撲の歴史
時津風部屋が生んだ1横綱4大関 下
大内山が昭和33年一月場所、大関の座を去ってしばらく、大関は誕生しなかった。この間小結潮錦・時錦などが活躍していた。そして昭和33年十一月場所、北葉山が入幕してきた。入幕5場所目には小結、7場所目には関脇であった。入幕から8場所連続勝ち越し... -
相撲の歴史
時津風部屋が生んだ1横綱4大関 上
時津風部屋というと、大関正代、豊山が所属し、5月に断髪した豊ノ島が年寄井筒として在籍する部屋でもある。時津風部屋はいまや名門と呼ばれるまでになった。時津風部屋は、双葉山が立浪(元緑嶋)部屋から昭和16年双葉山相撲道場として独立したことに始... -
相撲の歴史
相撲の一門とは|五系統の仕組みと年寄・理事選(出羽海・二所ノ関・時津風・伊勢ヶ濱・高砂)
一門とは、複数の相撲部屋がゆるやかに連なった系統のことである。もともとは本場所が少ない時代の巡業組合で、いまは理事・副理事を生む仕組みになっている。年寄数は出羽海36人・二所ノ関30人・時津風16人・伊勢ヶ濱12人・高砂11人で、年寄が多い一門ほ... -
相撲の歴史
2022年6月版二所ノ関の系統
元稀勢の里の二所ノ関が6月5日茨城・阿見町で部屋開きをおこなった。すでに独立していたが、そのとき稽古場は完成していなかった。つくば市の筑波大の稽古場を使用していた。ようやく持てた自分の城は1800坪という広大な敷地に建てられた。元琴風の尾車... -
相撲の歴史
錦戸部屋はなぜ「崩壊」と言われるのか|所属力士と高砂一門の系譜
2022年5月場所を最後に元十両の極芯道が引退し、錦戸部屋(師匠は元水戸泉)に残る力士は十両の水戸龍と序ノ口の富士泉の2人だけになりました。少数の部屋が吸収合併される例もあるなか、高砂一門の歴史をたどりながら、錦戸部屋がこの先どうなるのかを整... -
相撲の歴史
2022年5月相撲部屋勢力
力士の育成は相撲部屋とともにある。そこは鍛錬の場であり、生活の場でもある。相撲部屋の目標は強い力士を一人でも多く育てることにある。そこで五月場所の番付をもとに相撲部屋の勢力分布を表にしてみた。 <名門出羽海部屋> 幕内は横綱・大関との対戦... -
相撲の歴史
相撲部屋最新事情
相撲部屋の栄枯盛衰はこの世の常であるが、定年とともに終わりを迎える部屋がある。三月場所はかつての尾車(元琴風)部屋の力士の所属が2通りの場内紹介に変わった。これは尾車親方が定年を前にして、三月場所の大阪宿舎のメドがたたないため、早めに部... -
相撲の歴史
初代若乃花の二子山部屋|2代目若乃花・隆の里・貴ノ花ら関取と一代で消えた理由
初代若乃花の二子山部屋は、元初代若乃花が花籠(元大ノ海)部屋から独立して興し、横綱2代目若乃花・隆の里、大関貴ノ花・若嶋津をはじめ大勢の関取を育てた部屋である。平成5年(1993年)一月場所後、65歳の定年にともない弟子と二子山の株を実弟の元貴... -
相撲の歴史
消えた横綱の相撲部屋④|伊勢ヶ濱部屋(照國)と立田川部屋(双葉山・鏡里)
「消えた横綱の部屋」シリーズ第4回。横綱照國が継いだ伊勢ヶ濱部屋(照國の急死と後継難で消滅し、のちに名跡は元旭富士へ渡る)と、横綱双葉山の時津風部屋をめぐる後継の経緯、そこから横綱鏡里が興した立田川部屋(2代で閉鎖)をたどる。 伊勢ヶ濱部屋... -
相撲の歴史
消えた横綱の相撲部屋③|芝田山部屋(宮城山)と二所ノ関部屋
「消えた横綱の部屋」シリーズ第3回。横綱宮城山が引退後におこした芝田山部屋(幕内が育たず昭和18年に消滅)と、横綱玉錦・玉ノ海・佐賀ノ花が継ぎ大鵬で花開いた本家二所ノ関部屋(佐賀ノ花急死後の後継者騒動を経て金剛が継ぎ、その代で消滅)をたどる... -
相撲の歴史
消えた横綱の相撲部屋②|宮城野部屋(鳳)と井筒部屋(西ノ海)
「消えた横綱の部屋」シリーズ第2回。横綱鳳が二枚鑑札で継いだ宮城野部屋(平幕力士のみを育て昭和31年に消滅。現在の宮城野部屋は横綱吉葉山が始めた別系統)と、初代西ノ海が高砂部屋の分家として創設し横綱3代目西ノ海らを輩出した井筒部屋(後継争い... -
相撲の歴史
消えた横綱の相撲部屋①|雷部屋(梅ヶ谷)と東関部屋(太刀山)
横綱が地位化した常陸山以降の東京横綱を対象に、今は無き横綱の相撲部屋をたどるシリーズの第1回。初代梅ヶ谷がおこし横綱2代目梅ヶ谷が継いだ雷(いかづち)部屋(弟子に恵まれず昭和2年に消滅)と、横綱太刀山が独立した東関部屋(大正8年の年寄選挙で... -
相撲の歴史
新版二所ノ関の系統
二所ノ関の系統に変化があった。定年が迫っ ている元若嶋津の二所ノ関が弟子の松鳳山、 一山本らを部屋付きの親方である元玉乃島に 託したのである。ただし、部屋名は元玉乃島 の年寄株である放駒部屋となる。 <元若嶋津の二所ノ関> 元三重ノ海の武蔵川... -
相撲の歴史
現代相撲部屋関取事情
現在幕内は42人、十両は28人である。関取は 合計70人である。これに対し、親方は最大 105人である。スポーツ界では珍しい構図で ある。それはさておき、力士はまず十両入り を目指す。相撲部屋も十両力士を育てたい。 現在相撲部屋の関取事情はどのように... -
相撲の歴史
大相撲は冬の時代
十一月場所のチケットの売れ行きが芳しく ない。観客は半分におさえての状況だけに ただならない事態である。福岡だけではない。 東京場所もかけねなしに入るのは14日目、 千秋楽である。名古屋も少しも変わりない。 平日はガラガラだった。きっかけは新型... -
相撲の歴史
再び消滅する部屋、継承される部屋
以前消滅する部屋、継承される部屋を書いた。 継承する部屋として師匠の定年が近い元若嶋 津の二所ノ関部屋、元琴風の尾車部屋、元 竹葉山の宮城野部屋を取りあげた。3人の 部屋持ち親方の定年は来年の2022年である。 尾車部屋は元豪風が後継かと思われた... -
相撲の歴史
58年前の相撲部屋
今年に入って3つの部屋が閉鎖になった。 東関(元高見盛)部屋、峰崎(元三杉磯)、 鏡山(元多賀竜)部屋である。峰崎は定年に よるものだが、東関は部屋を継いだものの、 無理があった。鏡山は2人の弟子が続いた だけに限界であった。東関の弟子は八角... -
相撲の歴史
横綱の土俵入りにまつわる歴史的過ち
新横綱照ノ富士の土俵入りの型が決まった。 師匠(元旭富士)譲りでせりあがるとき両手 を広げる型である。通常ならば場所後の木曜 に綱打ち、金曜に明治神宮で披露となる運び である。だが、今は新型コロナウイルスの ため巡業はなく、人が集まる行事を控... -
相撲の歴史
消滅する部屋、継承される部屋 下
引き続き来年(2022年)に師匠が定年を迎え る部屋をみていこう。二所ノ関(元若嶋津) 部屋は二子山(元初代若乃花)部屋から独立 した。最初は松ヶ根部屋であった。定年が 迫った荒磯(元二子岳)部屋の3人の弟子の うち2人が引退、1人が花籠(元大寿... -
相撲の歴史
消滅する部屋、継承される部屋 上
元十両の華王錦の断髪式が旧東関部屋でおこ なわれた。元高見盛の東関と元高見山がはさ みをいれた。新旧の師匠が顔を合わせた。 東関部屋は元高見山が高砂(元横綱朝潮) 部屋から独立しておこした部屋であった。 <元高見盛の東関> 高見盛より地位も年... -
相撲の歴史
元稀勢の里の荒磯部屋の位置付け
元稀勢の里の荒磯親方が田子ノ浦(元隆の鶴) 部屋から独立することになった。部屋は出身 地である牛久に隣接する茨城県の阿見町に 建設予定である。2019年一月場所で引退した ときは秋葉原と浅草橋の間あたりに部屋を 構えるといわれたが、広さを優先した... -
相撲の歴史
地に落ちた時津風部屋
元時津海の処分が22日、日本相撲協会臨時 理事会で決定した。2番目に重い退職勧告と なった。すでに本人から退職届けが出されて おり、受理した。退職にあたり退職金30%減 が、あわせて発表された。処分となった要因 は外出禁止をうたった相撲協会の新型... -
相撲の歴史
現実化する横綱不在時代
横綱白鵬・鶴竜のダブル休場が4場所続いて いる。白鵬は48連続休場中、鶴竜は59連続 休場中である。鶴竜は目下8場所優勝から 遠ざかっている。それだけではない。両横綱 とも35歳である。年6場所制以降誕生した 横綱では35歳まで取った横綱は千代の富士... -
相撲の歴史
時津風の系統2
立浪部屋と時津風部屋は袂を分かつことに なったが、破門ではなかった。系統別総あた りでは立浪の力士と時津風の力士の対戦は なかった。鏡里・大内山と安念山・北ノ洋の 対戦はなかった。 <元双葉山の時津風> 元双葉山の時津風は横綱鏡里、大関大内... -
相撲の歴史
時津風の系統1
時津風(元時津海)親方が一月場所中雀荘、 歓楽街に何度も外出したとして問題になって いる。コロナ禍のなか不要不急の外出や人 との接触を禁じた相撲協会感染予防に反する ことになった。しかも九月場所前ゴルフ旅行、 居酒屋会食で委員から平年寄に2階... -
相撲の歴史
大関優勝の時代はくるか
2横綱の休場が続く中、一月場所優勝した のは元関脇の大栄翔であった。昨年(2020年) は5場所中4場所2横綱が休場するなか、 大関の優勝は十一月場所の貴景勝だけであっ た。それも大関優勝は2017年の大関稀勢の里 以来であった。大関は協会の看板であ... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情13
元常ノ花出羽海の急死で出羽海の後継者を 決めなければならなくなった。以前元常ノ花 出羽海が自殺をはかったとき、遺書があって 1通は千代の山にあてたものだった。それ には出羽海の後継者を千代の山とすると書い てあったというが、今となっては確認の... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情12
元両国(前名国岩)出羽海は時系列ではなく、 項目別に触れていくことにしよう。先代の 元常陸山の認可がおり、元両国(前名国岩) 出羽海の下で元栃木山の春日野部屋、元大門 岩の山分部屋がスタートした。分家独立は ここまでで、これ以上は認められなか... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情11
数ある相撲部屋で最も歴史があり、名門中の 名門といわれる部屋が出羽海部屋である。 9代続いている。出羽海部屋は、角聖といわ れた元横綱常陸山の出羽ノ海が大きくした 部屋である。常陸山の師匠にあたるのが、 元常陸山虎吉の出羽ノ海である。さらに常... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情10
7代続いている部屋が高砂部屋である。創設 者は明治の風雲児高砂浦五郎である。大名の お抱え力士という時代でなくなっていたなか で、相撲会所(日本相撲協会の当時の呼称) のトップ筆頭玉垣(前身は謎)とNo.2筆脇 伊勢ノ海五太夫(元柏戸宗五郎)の... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情9
引き続き5代続いた部屋をみていこう。宮城 野部屋の5代は同じ師匠が2度になっている。 それはまったく無関係の師匠が突然部屋を 組み入れたことに起因していた。 高島(元巴潟)部屋の横綱吉葉山は現役の ときから年寄吉葉山として総檜造りの吉葉山 相... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情8
九月場所優勝した正代は時津風部屋の所属で ある。時津風部屋は双葉山がおこした部屋で ある。双葉山は立浪(元緑嶋)部屋出身で ある。師匠の娘をもらうことを断ったり、 様々な点で師匠と意見が折り合わなかったり した。双葉山は現役のうちから双葉山相... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情7
九月場所があり、いくぶん間が空いたが、 引き続き4代続いた相撲部屋をみていこう。 陸奥(元霧島)部屋のルーツは井筒部屋で ある。井筒部屋といっても高砂部屋から分家 独立した初代西ノ海がおこした井筒部屋まで は遡らない。この部屋は先代星甲實義の... -
相撲の歴史
相撲部屋の継承事情⑥|4代続く立浪部屋など
立浪部屋は、緑嶋が興してから羽黒山、安念山(2代目羽黒山)、旭豊へと4代にわたって継がれてきた。安念山は長女の婿養子に元旭豊を迎えて後継者にしたが、引退相撲の利益をめぐる金銭トラブルから、部屋の明け渡しと名跡の譲渡金を争う裁判になった。裁... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情5
・佐渡ヶ嶽(元琴ノ若)部屋 初代琴錦が引退後に二所ノ関(元佐賀ノ花) 部屋から独立した部屋。創設したものの本家 二所ノ関が琴ヶ濱を手放さない。ほかに二所 ノ関の幕内力士は玉ノ海(後の玉乃海)と 大天竜しかいなく、看板力士の琴ヶ濱を失い たくな... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情4
3代に渡って引き継がれた部屋にはいる。 ・東関(元高見盛)部屋 ハワイ出身の元高見山が高砂(元横綱朝潮) 部屋から独立した部屋。定年によって部屋は 弟子の元潮丸に引き継がれた。ところが、 元潮丸が病で急死してしまった。後継者が すぐに決まらず... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情3
引き続き2代に渡って引き継がれた部屋を みていこう。 ・高田川(元安芸乃島)部屋 元前の山が高砂(元横綱朝潮) 部屋から独立 した部屋。元前の山が一門の意向に反して 理事に立候補したため、高砂一門を破門と なった。 一方、元安芸乃島は貴乃花親方... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情2
引き続き独立して部屋をおこした相撲部屋で まだ継承されたことはなく、一代のままの 部屋をみていこう。 ・西岩(元若の里)部屋 田子ノ浦(元隆の鶴)部屋より独立。浅草に 部屋をかまえたが、これからの部屋である。 ・二所ノ関(元若嶋津)部屋 二子山... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情1
相撲部屋の盛衰は世の常で、一代で大きく した部屋やかつては名門だったが、閉鎖して 消滅してしまった部屋もある。現代の相撲 部屋は44部屋ある。新興の部屋もあれば伝統 の部屋もある。部屋は何代に渡って継承され てきたのか。あらためて調べてみた。 ... -
相撲の歴史
高砂の系統12
現役時代、二子山(元大関貴ノ花)部屋に 所属していた元安芸乃島がなにゆえ高田川 (元前の山)の部屋を引き継ぐことになった のか。それは元安芸乃島の千田川と貴乃花 親方との確執にあった。現役時代、貴乃花が 貴花田として入門したとき、安芸乃島はす... -
相撲の歴史
不自然部屋を継承した中川部屋の運命
七月場所を前にして不祥事が明るみになった。 元旭里の中川が弟子に対しパワハラがあった という。稽古場で暴言的指導があったため、 弟子が発言を録音し、協会に提出したという のだからただ事ではない。よほど耐えかねる モノだったことになる。協会は事... -
相撲の歴史
高砂の系統11
高田川(元前の山)は一門の意向を無視して の理事立候補であった。境川理事長の年寄 名跡の改革私案反対の急先鋒としての意志 表明であり、それを問う立候補であった。 高砂一門は従来陣幕(元北の富士)と高砂 (元富士錦)の2名、理事を出していた。 ... -
相撲の歴史
高砂の系統10
5代高砂(元横綱朝潮)の下では3つの分家 独立があった。 昭和49年三月場所で引退した前の山(最高位 大関)が、4月に内弟子8人を連れて高田川 部屋を創設した。小結前乃臻、剣晃、鬼雷砲 などを育て上げた。高田川部屋が二所ノ関系 の元安芸乃島に引... -
相撲の歴史
高砂の系統9
4代高砂(元前田山)の下で以下が分家して いる。 まず、昭和30年3月、元前頭2枚目朝響の 佐ノ山が分家独立した。朝響は大正11年春 場所入幕し、昭和4年9月場所に引退した 力士である。引退から実に約25年半経って の部屋持ちである。58歳のときのこ... -
相撲の歴史
高砂の系統8
昭和17年1月、前田山が4代高砂となった とき、まだ大関だった。昭和22年秋場所横綱 に昇進したが、成績は不振だった。昭和24年 秋場所、初日勝っただけで、5連敗して途中 休場した。休場した前田山は大阪から帰京 した。 <前田山のブロマイド> ところ... -
相撲の歴史
系統別総あたり制をめぐるif
昭和40年一月場所に部屋別総あたり制が始ま って、約55年が経った。今ではすっかり定着 して当たり前になってきたが、成立時はいろ いろとあった。部屋別総あたり制は、二所ノ 関系の上位進出で取組編成に行き詰まりが 出てきたことから論じられるようにな... -
相撲の歴史
高砂の系統7
引き続き3代高砂(元2代朝潮)の下で分家 独立した部屋をみていこう。 昭和4年3月場所で引退した阿久津川(最高 位前頭筆頭)が引退し、佐渡ヶ嶽部屋をおこ した。現役のときから内弟子として育てた 力士に男女ノ川がいたが、なかなか移籍でき なかっ... -
相撲の歴史
高砂の系統6
3代高砂の後継をめぐり、綾川(前名響矢) を支持した元浪ノ音の振分は出羽海一門へ 移籍した、と前回記述した。振分は昭和に 入って振分部屋をおこした。昭和15年1月 から、養子の玉ノ井(元陸奥錦)に弟子を 譲り、玉ノ井部屋としてスタートすることに... -
相撲の歴史
高砂の系統5
高砂の後継争いは2代朝潮と綾川(前名響矢) の争いとなった。大正3年夏場所の番付では 2代朝潮は関脇で翌場所大関に昇進している。 綾川(前名響矢)は入幕2場所目であった。 なお、綾川は複数いて、江戸時代の綾川は 陣幕によって横綱免許を受けた力... -
相撲の歴史
高砂の系統4
2代高砂(元高見山宗五郎)の下では多くの 分家が創設されていった。前回に引き続き みていこう。幕内格行司木村一学は明治34年 6代若松を襲名し、部屋を開いた。昔は行司 も年寄になれた。栃木山の前の春日野は木村 宗四郎だし、横綱柏戸の前の鏡山は5... -
相撲の歴史
高砂の系統3
風雲児高砂浦五郎は、明治16年5月ついに 取締の座についた。明治24年永久取締を 宣言すると雷(元初代梅ヶ谷)らの猛反発を 招き、取り消さざるを得なくなった。高砂の 専横はついに力士のクーデターを招き、つい に退任せざるを得なくなった。明治29年1... -
相撲の歴史
高砂の系統2
巡業はともかく、東京で興行をおこなう組織 が相撲会所と高砂改正組が存在することに なった。今と違い相撲会所に国技館はないし、 放送のバックアップもない時代である。この あたりが昭和の春秋園事件と異なる点である。 東京に2つの相撲組織はまかりな... -
相撲の歴史
高砂の系統1
高砂の系統は正確性から難しいテーマとなる だけにこれまで発表を控えてきた。だが、 いつまでもそれではいけない、と明らかに していくときがきたようである。高砂部屋 から何をイメージするだろうか。突き押しの パワー相撲力士=前田山、朝潮(前名米川... -
相撲の歴史
北玉時代10
昭和46年九月場所が終了して、今度こそ手術 のはずが、そうはいかなかった。一門の大先 輩大鵬の引退相撲が10月2日に控えていた。 大鵬最後の土俵入りの太刀持ちを務めなけれ ばならなかった。結局玉の海が入院したのは 10月4日であり、手術は6日になっ... -
相撲の歴史
北玉時代9
昭和46年七月場所、玉の海は全勝優勝、北の 富士は8勝7敗に終わった。玉の海の相撲は 安定して来た。右四つの型と腰で取る相撲は 取りこぼすことは、ほとんどなかった。同時 期のライバル北の富士は不安定さをともなっ ていた。NHKの解説者神風氏は「... -
相撲の歴史
北玉時代8
昭和46年五月場所が5月9日から始まった。 初日大鵬は積極的に栃富士を攻めていったが、 尻からくずれるもろさを露呈した。早くも 1敗。その栃富士は2日目から11連敗という さんざんな成績だった。NHK解説者の玉の 海梅吉氏は「食いなれないものを食...