相撲の歴史– category –
部屋の系統・一門・横綱十大史・昇進成績の考証
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相撲の歴史
消えた横綱の相撲部屋2
3人目は鳳である。鳳は元大関鳳凰の宮城野部屋に入門した。その鳳凰は宮城野馬五郎の部屋に入門した。宮城野部屋は江戸天保年間から3代に渡って継がれた。大関鳳凰の師匠である宮城野馬吾郎が明治22年に亡くなって部屋は消滅している。鳳凰は元刺扠の錦... -
相撲の歴史
消えた横綱の相撲部屋1
横綱ともなると継承するにせよ、独立するにせよ部屋をもって弟子を育てたいと思うのは当然である。しかし、相撲部屋の栄華盛衰は常にあり、相撲部屋が消滅することさえありえる。ここでは消えた横綱の相撲部屋として横綱が実質地位化した常陸山以降の東京... -
相撲の歴史
新版二所ノ関の系統
二所ノ関の系統に変化があった。定年が迫っ ている元若嶋津の二所ノ関が弟子の松鳳山、 一山本らを部屋付きの親方である元玉乃島に 託したのである。ただし、部屋名は元玉乃島 の年寄株である放駒部屋となる。 <元若嶋津の二所ノ関> 元三重ノ海の武蔵川... -
相撲の歴史
現代相撲部屋関取事情
現在幕内は42人、十両は28人である。関取は 合計70人である。これに対し、親方は最大 105人である。スポーツ界では珍しい構図で ある。それはさておき、力士はまず十両入り を目指す。相撲部屋も十両力士を育てたい。 現在相撲部屋の関取事情はどのように... -
相撲の歴史
大相撲は冬の時代
十一月場所のチケットの売れ行きが芳しく ない。観客は半分におさえての状況だけに ただならない事態である。福岡だけではない。 東京場所もかけねなしに入るのは14日目、 千秋楽である。名古屋も少しも変わりない。 平日はガラガラだった。きっかけは新型... -
相撲の歴史
再び消滅する部屋、継承される部屋
以前消滅する部屋、継承される部屋を書いた。 継承する部屋として師匠の定年が近い元若嶋 津の二所ノ関部屋、元琴風の尾車部屋、元 竹葉山の宮城野部屋を取りあげた。3人の 部屋持ち親方の定年は来年の2022年である。 尾車部屋は元豪風が後継かと思われた... -
相撲の歴史
58年前の相撲部屋
今年に入って3つの部屋が閉鎖になった。 東関(元高見盛)部屋、峰崎(元三杉磯)、 鏡山(元多賀竜)部屋である。峰崎は定年に よるものだが、東関は部屋を継いだものの、 無理があった。鏡山は2人の弟子が続いた だけに限界であった。東関の弟子は八角... -
相撲の歴史
横綱の土俵入りにまつわる歴史的過ち
新横綱照ノ富士の土俵入りの型が決まった。 師匠(元旭富士)譲りでせりあがるとき両手 を広げる型である。通常ならば場所後の木曜 に綱打ち、金曜に明治神宮で披露となる運び である。だが、今は新型コロナウイルスの ため巡業はなく、人が集まる行事を控... -
相撲の歴史
消滅する部屋、継承される部屋 下
引き続き来年(2022年)に師匠が定年を迎え る部屋をみていこう。二所ノ関(元若嶋津) 部屋は二子山(元初代若乃花)部屋から独立 した。最初は松ヶ根部屋であった。定年が 迫った荒磯(元二子岳)部屋の3人の弟子の うち2人が引退、1人が花籠(元大寿... -
相撲の歴史
消滅する部屋、継承される部屋 上
元十両の華王錦の断髪式が旧東関部屋でおこ なわれた。元高見盛の東関と元高見山がはさ みをいれた。新旧の師匠が顔を合わせた。 東関部屋は元高見山が高砂(元横綱朝潮) 部屋から独立しておこした部屋であった。 <元高見盛の東関> 高見盛より地位も年... -
相撲の歴史
元稀勢の里の荒磯部屋の位置付け
元稀勢の里の荒磯親方が田子ノ浦(元隆の鶴) 部屋から独立することになった。部屋は出身 地である牛久に隣接する茨城県の阿見町に 建設予定である。2019年一月場所で引退した ときは秋葉原と浅草橋の間あたりに部屋を 構えるといわれたが、広さを優先した... -
相撲の歴史
地に落ちた時津風部屋
元時津海の処分が22日、日本相撲協会臨時 理事会で決定した。2番目に重い退職勧告と なった。すでに本人から退職届けが出されて おり、受理した。退職にあたり退職金30%減 が、あわせて発表された。処分となった要因 は外出禁止をうたった相撲協会の新型... -
相撲の歴史
現実化する横綱不在時代
横綱白鵬・鶴竜のダブル休場が4場所続いて いる。白鵬は48連続休場中、鶴竜は59連続 休場中である。鶴竜は目下8場所優勝から 遠ざかっている。それだけではない。両横綱 とも35歳である。年6場所制以降誕生した 横綱では35歳まで取った横綱は千代の富士... -
相撲の歴史
時津風の系統2
立浪部屋と時津風部屋は袂を分かつことに なったが、破門ではなかった。系統別総あた りでは立浪の力士と時津風の力士の対戦は なかった。鏡里・大内山と安念山・北ノ洋の 対戦はなかった。 <元双葉山の時津風> 元双葉山の時津風は横綱鏡里、大関大内... -
相撲の歴史
時津風の系統1
時津風(元時津海)親方が一月場所中雀荘、 歓楽街に何度も外出したとして問題になって いる。コロナ禍のなか不要不急の外出や人 との接触を禁じた相撲協会感染予防に反する ことになった。しかも九月場所前ゴルフ旅行、 居酒屋会食で委員から平年寄に2階... -
相撲の歴史
大関優勝の時代はくるか
2横綱の休場が続く中、一月場所優勝した のは元関脇の大栄翔であった。昨年(2020年) は5場所中4場所2横綱が休場するなか、 大関の優勝は十一月場所の貴景勝だけであっ た。それも大関優勝は2017年の大関稀勢の里 以来であった。大関は協会の看板であ... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情13
元常ノ花出羽海の急死で出羽海の後継者を 決めなければならなくなった。以前元常ノ花 出羽海が自殺をはかったとき、遺書があって 1通は千代の山にあてたものだった。それ には出羽海の後継者を千代の山とすると書い てあったというが、今となっては確認の... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情12
元両国(前名国岩)出羽海は時系列ではなく、 項目別に触れていくことにしよう。先代の 元常陸山の認可がおり、元両国(前名国岩) 出羽海の下で元栃木山の春日野部屋、元大門 岩の山分部屋がスタートした。分家独立は ここまでで、これ以上は認められなか... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情11
数ある相撲部屋で最も歴史があり、名門中の 名門といわれる部屋が出羽海部屋である。 9代続いている。出羽海部屋は、角聖といわ れた元横綱常陸山の出羽ノ海が大きくした 部屋である。常陸山の師匠にあたるのが、 元常陸山虎吉の出羽ノ海である。さらに常... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情10
7代続いている部屋が高砂部屋である。創設 者は明治の風雲児高砂浦五郎である。大名の お抱え力士という時代でなくなっていたなか で、相撲会所(日本相撲協会の当時の呼称) のトップ筆頭玉垣(前身は謎)とNo.2筆脇 伊勢ノ海五太夫(元柏戸宗五郎)の... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情9
引き続き5代続いた部屋をみていこう。宮城 野部屋の5代は同じ師匠が2度になっている。 それはまったく無関係の師匠が突然部屋を 組み入れたことに起因していた。 高島(元巴潟)部屋の横綱吉葉山は現役の ときから年寄吉葉山として総檜造りの吉葉山 相... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情8
九月場所優勝した正代は時津風部屋の所属で ある。時津風部屋は双葉山がおこした部屋で ある。双葉山は立浪(元緑嶋)部屋出身で ある。師匠の娘をもらうことを断ったり、 様々な点で師匠と意見が折り合わなかったり した。双葉山は現役のうちから双葉山相... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情7
九月場所があり、いくぶん間が空いたが、 引き続き4代続いた相撲部屋をみていこう。 陸奥(元霧島)部屋のルーツは井筒部屋で ある。井筒部屋といっても高砂部屋から分家 独立した初代西ノ海がおこした井筒部屋まで は遡らない。この部屋は先代星甲實義の... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情6
引き続き4代続いた部屋を見ていこう。 ・立浪(元旭豊)部屋 緑嶋友之助は春日山(元朝日森)部屋に入門 し、春日山(元当たり矢)部屋のとき立浪 部屋として独立した。横綱双葉山、横綱羽黒 山、大関名寄岩の立浪三羽烏を育て一大勢力 を築いた。立浪(... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情5
・佐渡ヶ嶽(元琴ノ若)部屋 初代琴錦が引退後に二所ノ関(元佐賀ノ花) 部屋から独立した部屋。創設したものの本家 二所ノ関が琴ヶ濱を手放さない。ほかに二所 ノ関の幕内力士は玉ノ海(後の玉乃海)と 大天竜しかいなく、看板力士の琴ヶ濱を失い たくな... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情4
3代に渡って引き継がれた部屋にはいる。 ・東関(元高見盛)部屋 ハワイ出身の元高見山が高砂(元横綱朝潮) 部屋から独立した部屋。定年によって部屋は 弟子の元潮丸に引き継がれた。ところが、 元潮丸が病で急死してしまった。後継者が すぐに決まらず... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情3
引き続き2代に渡って引き継がれた部屋を みていこう。 ・高田川(元安芸乃島)部屋 元前の山が高砂(元横綱朝潮) 部屋から独立 した部屋。元前の山が一門の意向に反して 理事に立候補したため、高砂一門を破門と なった。 一方、元安芸乃島は貴乃花親方... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情2
引き続き独立して部屋をおこした相撲部屋で まだ継承されたことはなく、一代のままの 部屋をみていこう。 ・西岩(元若の里)部屋 田子ノ浦(元隆の鶴)部屋より独立。浅草に 部屋をかまえたが、これからの部屋である。 ・二所ノ関(元若嶋津)部屋 二子山... -
相撲の歴史
現代相撲部屋継承事情1
相撲部屋の盛衰は世の常で、一代で大きく した部屋やかつては名門だったが、閉鎖して 消滅してしまった部屋もある。現代の相撲 部屋は44部屋ある。新興の部屋もあれば伝統 の部屋もある。部屋は何代に渡って継承され てきたのか。あらためて調べてみた。 ... -
相撲の歴史
高砂の系統12
現役時代、二子山(元大関貴ノ花)部屋に 所属していた元安芸乃島がなにゆえ高田川 (元前の山)の部屋を引き継ぐことになった のか。それは元安芸乃島の千田川と貴乃花 親方との確執にあった。現役時代、貴乃花が 貴花田として入門したとき、安芸乃島はす... -
相撲の歴史
不自然部屋を継承した中川部屋の運命
七月場所を前にして不祥事が明るみになった。 元旭里の中川が弟子に対しパワハラがあった という。稽古場で暴言的指導があったため、 弟子が発言を録音し、協会に提出したという のだからただ事ではない。よほど耐えかねる モノだったことになる。協会は事... -
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高砂の系統11
高田川(元前の山)は一門の意向を無視して の理事立候補であった。境川理事長の年寄 名跡の改革私案反対の急先鋒としての意志 表明であり、それを問う立候補であった。 高砂一門は従来陣幕(元北の富士)と高砂 (元富士錦)の2名、理事を出していた。 ... -
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高砂の系統10
5代高砂(元横綱朝潮)の下では3つの分家 独立があった。 昭和49年三月場所で引退した前の山(最高位 大関)が、4月に内弟子8人を連れて高田川 部屋を創設した。小結前乃臻、剣晃、鬼雷砲 などを育て上げた。高田川部屋がニ所ノ関系 の元安芸乃島に引... -
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高砂の系統9
4代高砂(元前田山)の下で以下が分家して いる。 まず、昭和30年3月、元前頭2枚目朝響の 佐ノ山が分家独立した。朝響は大正11年春 場所入幕し、昭和4年9月場所に引退した 力士である。引退から実に約25年半経って の部屋持ちである。58歳のときのこ... -
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高砂の系統8
昭和17年1月、前田山が4代高砂となった とき、まだ大関だった。昭和22年秋場所横綱 に昇進したが、成績は不振だった。昭和24年 秋場所、初日勝っただけで、5連敗して途中 休場した。休場した前田山は大阪から帰京 した。 <前田山のブロマイド> ところ... -
相撲の歴史
系統別総あたり制をめぐるif
昭和40年一月場所に部屋別総あたり制が始ま って、約55年が経った。今ではすっかり定着 して当たり前になってきたが、成立時はいろ いろとあった。部屋別総あたり制は、二所ノ 関系の上位進出で取組編成に行き詰まりが 出てきたことから論じられるようにな... -
相撲の歴史
高砂の系統7
引き続き3代高砂(元2代朝潮)の下で分家 独立した部屋をみていこう。 昭和4年3月場所で引退した阿久津川(最高 位前頭筆頭)が引退し、佐渡ヶ嶽部屋をおこ した。現役のときから内弟子として育てた 力士に男女ノ川がいたが、なかなか移籍でき なかっ... -
相撲の歴史
高砂の系統6
3代高砂の後継をめぐり、綾川(前名響矢) を支持した元浪ノ音の振分は出羽海一門へ 移籍した、と前回記述した。振分は昭和に 入って振分部屋をおこした。昭和15年1月 から、養子の玉ノ井(元陸奥錦)に弟子を 譲り、玉ノ井部屋としてスタートすることに... -
相撲の歴史
高砂の系統5
高砂の後継争いは2代朝潮と綾川(前名響矢) の争いとなった。大正3年夏場所の番付では 2代朝潮は関脇で翌場所大関に昇進している。 綾川(前名響矢)は入幕2場所目であった。 なお、綾川は複数いて、江戸時代の綾川は 陣幕によって横綱免許を受けた力... -
相撲の歴史
高砂の系統4
2代高砂(元高見山宗五郎)の下では多くの 分家が創設されていった。前回に引き続き みていこう。幕内格行司木村一学は明治34年 6代若松を襲名し、部屋を開いた。昔は行司 も年寄になれた。栃木山の前の春日野は木村 宗四郎だし、横綱柏戸の前の鏡山は5... -
相撲の歴史
高砂の系統3
風雲児高砂浦五郎は、明治16年5月ついに 取締の座についた。明治24年永久取締を 宣言すると雷(元初代梅ヶ谷)らの猛反発を 招き、取り消さざるを得なくなった。高砂の 専横はついに力士のクーデターを招き、つい に退任せざるを得なくなった。明治29年1... -
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高砂の系統2
巡業はともかく、東京で興行をおこなう組織 が相撲会所と高砂改正組が存在することに なった。今と違い相撲会所に国技館はないし、 放送のバックアップもない時代である。この あたりが昭和の春秋園事件と異なる点である。 東京に2つの相撲組織はまかりな... -
相撲の歴史
高砂の系統1
高砂の系統は正確性から難しいテーマとなる だけにこれまで発表を控えてきた。だが、 いつまでもそれではいけない、と明らかに していくときがきたようである。高砂部屋 から何をイメージするだろうか。突き押しの パワー相撲力士=前田山、朝潮(前名米川... -
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北玉時代10
昭和46年九月場所が終了して、今度こそ手術 のはずが、そうはいかなかった。一門の大先 輩大鵬の引退相撲が10月2日に控えていた。 大鵬最後の土俵入りの太刀持ちを務めなけれ ばならなかった。結局玉の海が入院したのは 10月4日であり、手術は6日になっ... -
相撲の歴史
北玉時代9
昭和46年七月場所、玉の海は全勝優勝、北の 富士は8勝7敗に終わった。玉の海の相撲は 安定して来た。右四つの型と腰で取る相撲は 取りこぼすことは、ほとんどなかった。同時 期のライバル北の富士は不安定さをともなっ ていた。NHKの解説者神風氏は「... -
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北玉時代8
昭和46年五月場所が5月9日から始まった。 初日大鵬は積極的に栃富士を攻めていったが、 尻からくずれるもろさを露呈した。早くも 1敗。その栃富士は2日目から11連敗という さんざんな成績だった。NHK解説者の玉の 海梅吉氏は「食いなれないものを食... -
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北玉時代7
明けて昭和46年一月場所が1月10日から始ま った。蔵前国技館はこの場所から暖房設備が 完備となった。入場料は 一月場所から値上げ となった。一人分の料金は以下である。 特別席2千円→3千円 特い 千6百円→2千3百円 特ろ 千3百円→千7百円 特は ... -
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北玉時代6
長い夏巡業を終えて昭和45年九月場所が始ま った。北の富士、玉の海、大鵬の3横綱は そろって出場。先場所7枚目で11勝4敗の 貴ノ花が初めて小結に上がってきた。20歳の 若武者は初代若乃花の実弟という七光りを 離れ、逞しさを身につけてきていた。私生... -
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北玉時代5
昭和45年五月場所、横綱2場所目の北の富士 は好調だった。12日目まで全勝。玉の海は 1敗。大鵬はすでに3敗で優勝戦線から1歩 後退していた。13日目から横綱リーグ戦に 突入していった。13日目北の富士対玉の海戦 が組まれた。北の富士あたって突っ張り... -
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北玉時代4
玉乃島は横綱になるにあたり、玉の海の四股 名を希望した。玉ノ海は玉錦の弟子であり、 NHK相撲界説者の四股名であった。また、 師匠である片男波が現役時代玉乃海を名のっ ていた四股名でもある。当時の相撲ファンは 何でいまさら改名しなければならな... -
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北玉時代 番外
昭和45年一月場所後北の富士と玉乃島は同日 横綱に昇進した。よく同時昇進という表現を 使用するが、1つの組織が2つの件を物理的 に◆時□分■秒まで狂いなく決定できるだろ うか。大関で連続優勝した北の富士が先に 決まったとみるのが自然である。また、... -
相撲の歴史
北玉時代3
昭和44年十一月場所は1横綱、4大関でスタ ートした。横綱大鵬は6勝3敗から休場。 8日目関脇前の山戦で左ひざを痛めてしまっ た。この場所は大関北の富士の独走となった。 「清國一人に甘い蜜を吸わしてなるものか」 燃える要素があるときの北の富士は... -
相撲の歴史
北玉時代2
昭和44年九月場所、横綱は大鵬一人、大関は 先場所優勝した清國が東正大関で、琴櫻、 北の富士、玉乃島と続いた。大関ではこれ まで琴櫻が2回、あとは1回優勝があるだけ であった。九月場所は7日目までに大鵬が 7連勝、琴櫻・玉乃島が1敗、清國・北の... -
相撲の歴史
北玉時代1
北玉時代、北はNHK解説者の北の富士さん である。玉は悲劇の横綱玉の海である。同日 に横綱になった2人は、ともに中型の横綱。 北の富士は左四つ速攻で取るタイプ、玉の海 は右四つの型、腰で取る相撲。大型で大味な 相撲の大鵬、柏戸とはタイプが違っ... -
相撲の歴史
2020年5月相撲部屋事情
五月場所の番付が発表されて久しい。三月 場所は就職場所といわれ、多くの新弟子が 入ってきた。五月場所の番付に掲載された 力士数は幕内42人、十両28人幕下以下が625 人である。この中には引退した豊ノ島、亡く なられた勝武士が含まれている。ほかに番... -
相撲の歴史
不毛の時代が続く大相撲
一月場所の徳勝龍の幕尻優勝は、史上最大の 下克上と呼ばれた。同時にこの場所は白鵬、 鶴竜の両横綱の衰退が顕著になった場所でも あった。誰が優勝するかわからない。誰が 優勝しても不思議でない。そんな優勝力士 予測不能の時代に入って久しいが、徳勝... -
相撲の歴史
一人大関の時代3
昭和40年代の一人大関は1例のみである。 昭和41年七月場所、豊山一人になった。先場 所大関北葉山が引退したためにおきた。その 豊山は好成績をあげられなくなってきていた。 そんな事情からか、北の富士が8勝-10勝- 10勝で翌場所大関に昇進した。かな... -
相撲の歴史
一人大関の時代2
昭和戦前に一人大関は3度ある。最初は昭和 11年の夏場所である。清水川だけになった。 これは大関だった男女ノ川が横綱に昇進した ためにおきた。今日の基準と違うとはいえ、 男女ノ川は8勝3敗、9勝2敗による優勝な き横綱昇進であった。横綱になって... -
相撲の歴史
一人大関の時代1
豪栄道の引退によって三月場所は貴景勝の 一人大関になる。番付上は横綱鶴竜を横綱 大関とするのだろうが、特別な意味はない。 鶴竜が大関として土俵入りをするわけでも、 1日に大関として、横綱として2番取るわけ ではない。月給は横綱と大関分いただけ... -
相撲の歴史
今後も続く混迷の時代
今年(2019年)の年間最多勝は朝乃山に決まった。成績は55勝35敗であった。小結では初ということであるが、これは朝乃山の責任ではない。横綱・大関の休場の多さから来ている。これで50勝台の年間最多勝は2017年から3年連続となった。まさにどんぐりの背... -
相撲の歴史
阿武松の系統
最近元益荒雄が退職し、元大道が阿武松部屋を継ぐことになった。元益荒雄は任期途中であり、突然な出来事であった。表向きは体調面がよくないとのことだが、実際は精神的に落ち込んでいるという話が伝わってきている。部屋を継ぐといっても最終的に建物は... -
相撲の歴史
部屋別力士数番付
最近井筒部屋が師匠の急死により、鶴竜ら所属力士3人は陸奥部屋へ移籍した。また、阿武松部屋は任期途中で師匠の元益荒雄が退職することになり、元大道が部屋を継ぐことになった。その相撲部屋は現在45あるが、弟子はどれくらいいるのだろうか、調べてみ... -
相撲の歴史
井筒部屋の消滅
<井筒親方の訃報を伝える日刊スポーツ> 九月場所九日目、元逆鉾の井筒親方が亡くなられた。58歳という若さであった。九月場所前から体調が悪く入院していたという。原因は千代の富士と同じすい臓がんとみられる。24日通夜、25日告別式がおこなわれた。... -
相撲の歴史
かつてあった6大関時代
5大関でも多いのに、大相撲史上6大関が誕生した時期がある。平成24年五月場所から3場所である。その前場所の三月場所は把瑠都、日馬富士、稀勢の里、琴奨菊、琴欧洲の5大関だった。この場所、優勝決定戦で白鵬に敗れたとはいえ、13勝2敗の関脇鶴竜の... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 昭和部屋別編2
昭和44年三月場所は、大鵬の連勝が誤審によって45でストップされた場所である。大鵬は途中休場し、優勝戦線に浮上したのが、大関琴櫻と前頭9枚目の竜虎である。竜虎は11日目麒麟児から勝利すると、12日目は10勝1敗同士で琴櫻と直接対戦した。この一番な... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 昭和部屋別編1
昭和40年一月場所より部屋別総あたり制がスタートした。この場所平幕下位の若杉山は12勝3敗で優勝した大関佐田の山は13勝2敗で1差である。だが、若杉山は前半ですでに3敗していた。佐田の山は13日目まで1敗だった。14日目大鵬に敗れ、ここで初めて1... -
相撲の歴史
優勝予測不能の時代
五月場所の朝乃山の優勝を場所前予想できた方はほとんどいなかったのではないだろうか。3人優勝候補をあげても難しかったのでは、と思われる。こうした傾向が昨年(2018年)の一月場所の栃ノ心から続いている。9場所経過して初優勝が5人、それも関脇以... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 6場所制系統別2
大鵬は第一人者の道を歩まんとしていた。時代は新しい英雄を誕生させようとしていた。昭和36年五月場所、上位は総崩れであった。横綱若乃花・柏戸10勝5敗、横綱大鵬11勝4敗であった。そんななか浮上してきたのは、入幕3場所目前頭13枚目の佐田の山であ... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 6場所制系統別1
昭和33年から年6場所制がスタートした。前年福岡で本場所が開催されたばかりだが、6場所目は名古屋となった。昭和33年一月場所、13日目を終え、2敗は横綱千代の山、大関若乃花、前頭14枚目大内山であった。大内山の対戦相手はすべて平幕であった。14日... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 戦後系統別1
戦後、相撲人気を高めるために好取組を増や そうということになり、系統別総当たり制が 昭和22年秋場所から復活した。その場所新入 幕の出羽錦は好調。千秋楽をむかえて、1敗。 上位では横綱羽黒山がただ一人1敗であった。 千秋楽、出羽錦の対戦相手は前... -
相撲の歴史
歴史的一番横綱太刀山対小結栃木山戦
大正5年5月25日は歴史的一番がおこなわれた日であった。夏場所8日目(当時は10日制)、横綱太刀山が5年ぶり黒星を小結栃木山からきっした日であった。よく太刀山の56連勝がストップしたという言い方がされるが、それは違う。その中には太刀山の都合に... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 戦前系統別期
昭和7年10月場所、千秋楽をむかえ、2敗は大関清水川、関脇沖ツ海、前頭筆頭高登、前頭6枚目瓊ノ浦であった。このうち清水川、沖ツ海、高登は直接対戦している。千秋楽は全員が勝ち、番付上位の清水川の優勝となった。<瓊ノ浦のブロマイド>>昭和8年... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 戦前系統別へ
昭和7年、大相撲をゆるがす大事件が起きた。事件は1月6日におきた。幕内西方の全力士20人と十両の出羽系11人が、中華料店春秋園に集結した。大相撲の近代化へ向け、力士生活の安定化、大相撲の大衆化、協会の制度改善を天竜が中心になってまとめ、協会... -
相撲の歴史
白鵬時代は終わったのか
九月場所全勝優勝したものの、今年(平成30年)の白鵬は全休2場所、途中休場2場所と初めて年間4場所休場した。横綱初の連続休場も経験した。年間4場所休場という数字は、かなり重い。昨年は2場所休場したが、3場所優勝したことと比較すると大幅ダウ... -
相撲の歴史
現代相撲部屋系統事情
7月下旬、5つの一門に必ず入るよう理事会で決まった。この規定は旧貴乃花一門のみを対象とした規定であった。貴乃花は貴乃花一門の名前を返上し、一門をつくるきかっけとなった貴乃花自らが脱退したため、旧貴乃花一門はなくなった。<阿武松(元益荒雄... -
相撲の歴史
到来するか横綱不在時代
相撲ファンを悩ます質問がある。「次の横綱は誰ですか」である。この場合、横綱は若く息の長い横綱を意味する。現在横綱は3人おり、満たされているように思える。しかし、白鵬33歳、鶴竜・稀勢の里32歳である。高齢化は当然ながら1年1年進んでいく。<... -
相撲の歴史
千賀ノ浦部屋の系統
貴乃花が協会を辞めるにあたり、弟子を託した元隆三杉の千賀ノ浦及び千賀ノ浦部屋とはどんな人物であり、どのような部屋なのか。隆三杉は初代若乃花の二子山部屋に入門した力士である。あだ名はドラえもん。最高位は小結だが、三賞にはついに縁がなかった... -
相撲の歴史
今の井筒部屋は本家井筒部屋の分家
井筒部屋といえば横綱鶴竜をかかえる部屋である。師匠は元逆鉾で、父の鶴ヶ嶺から部屋を引き継いで今日に至っている。横綱を擁する部屋としてはいささか弟子の数が寂しい状態である。井筒部屋というと名門のイメージがあるが、今の井筒部屋は、実は本家井... -
相撲の歴史
相撲部屋の未来
満員御礼が続く大相撲。チケットが入手困難で寝込む方、立ち直れない方まで出るほどである。過熱を通り越した異常事態である。人気は最高だが、そうはいかない面がある。新弟子である。七月場所は新弟子がゼロだったのである。関取になれる確率が低いから... -
相撲の歴史
続旧貴乃花一門は呼称なしのその他に分類
決まり手係だった親方がかつてこう言ったことがある。「マスコミの決まり手が正式な決まり手になるのではありません。協会が決定した決まり手が正式な記録になるのです」これは報道されたことは必ずしも日本相撲協会の見解や決定ではないということを表し... -
相撲の歴史
【7月20日】日馬富士の時代
安馬は技能派の力士であった。それが大関になり、優勝し、横綱にまで上り詰めることは予想外のできごとだった。優勝は9回であった。きりがいい10回まではいきたかったのかもしれない。それでも日馬富士は自己の限界以上の力を発揮した力士であった。<雄... -
相撲の歴史
【7月18日】安馬の時代
<引退相撲の案内>9月30日、日馬富士の引退大相撲が開催される。日馬富士はスピードと集中力で取る力士であった。現代ではそうしたタイプは少ないだけに貴重な存在だった。筆者は日馬富士が国技館から離れた所でもファンサービスに徹している姿を見てき... -
相撲の歴史
旧貴乃花一門は呼称なしのその他に分類
本日は名古屋場所展望号の専門誌の発売日である。それを見てあることに目がいった。それは立浪(元旭豊)常盤山(元舛田山)そして貴乃花が離脱した旧貴乃花一門が呼び名もなく、その他に分類されていたことである。貴乃花が離脱をしたときは阿武松グルー... -
相撲の歴史
一門離脱、無所属になる貴乃花は無責任
今年に入って貴乃花親方の変身ぶりが激しい。貴公俊の支度部屋での付け人暴行を機に協会との対決姿勢からこれまでの言動を平謝りに謝る姿勢に転じた。三月場所直前、内閣府への告発状を提出していたが、取り下げた。貴公俊の師匠としての責任から厳罰を受... -
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今は昔 系統別総当たり制
系統別総当たり制は昭和7年から昭和14年及び昭和22年夏場所から昭和39年十一月場所に施行された取組編成方法である。それでは系統別総当たり制とはいったいどういうものか。本家、分家を中心として大阪相撲の流れの部屋を組み込んだものが系統である。具... -
相撲の歴史
3横綱時代の休場
三月場所は結局白鵬が休場、鶴竜、貴ノ岩が出場することになった。ただし、15日間務まるとは限らない要因を含んでいる。場合によっては3横綱休場のケースが出てくるかもしれない。白鵬、日馬富士、鶴竜、稀勢の里の4横綱の皆勤はついに1度もなかった。... -
相撲の歴史
大関時代より弱い今の稀勢の里
久々に会った相撲仲間が開口一番こう言った。「稀勢の里は一段と弱くなったね。大関時代より弱いのではないか」稀勢の里は確かに攻撃力も防御力も鈍い。大関時代より弱いと言われても反論のしようがない。横綱が大関時代より弱い。それは稀勢の里にとって... -
相撲の歴史
4横綱時代の終焉
<H29年7月 鶴竜(右)今年最後の一番となった北勝富士戦>鶴竜が早々と十一月場所の休場を決定した。これでまたも4横綱皆勤はならなかったと嘆く方がいるだろうが、4横綱時代は75場所あって皆勤はわずか14場所にすぎない。期待値は20%にすぎないので... -
相撲の歴史
46年前の相撲部屋事情
今から46年前の昭和46年三月場所、相撲部屋は26であった。なお、昭和46年三月場所は北の富士、玉の海が同日横綱に昇進してから1年たった場所である。そのなかで十両以上の関取を擁する部屋は、以下である。時津風(元豊山=内田)部屋 6人春日野(元栃... -
相撲の歴史
現代相撲部屋事情
現在相撲部屋は45ある。そのなかで十両以上の関取を最も多く擁している部屋はどこか。伊勢ケ濱(元旭富士)部屋と九重(元千代大海)部屋の6人が第1位。追手風(元大翔山)部屋と木瀬(元肥後ノ海)部屋が5人で第3位。なお、希善龍は幕下落ちが濃厚な... -
相撲の歴史
改訂二所ノ関の系統
元若嶋津の二所ノ関親方が、サウナ帰りの自転車で転倒して、緊急脳手術をしたというニュースが流れた。サウナでも体に変調が見られたとか、自転車で何度も転倒しながら、泥だらけで走らせていたという情報が出ている。サウナと雨が降る外の温度差が、血管... -
相撲の歴史
横綱10大史10 外国人横綱誕生
外国人関取の事実上のパイオニアといえば、ハワイ出身の高見山である。外国人唯一の幕内力士であった時代は97場所に及んだ。高見山は愛嬌があり、強さともろさをもち合わせて土俵をわかせた。優勝経験はあるが、最高位は関脇であった。<高見山優勝の記事... -
相撲の歴史
横綱10大史9 双羽黒横綱途上で相撲界を去る
双羽黒は優勝なく、横綱に昇進した。横綱審議委員会の稲葉修氏は「優勝のない力士が横綱になるのはおかしい」と発言したが、協会は押し切ってしまった。双羽黒はなぜ横綱に押し上げられたのか。昭和61年七月場所は、北尾(双羽黒)、大乃国、朝潮、北天佑... -
相撲の歴史
横綱10大史8 千代の山横綱返上問題
千代の山は戦後の相撲界で最も期待される力士であった。千代の山も食料事情の悪い中にもかかわらず、期待に応えてきた。5場所で十両昇進というスピード出世。2場所後には入幕。入幕した場所ではなんと10戦全勝している。<千代の山のブロマイド>入幕9... -
相撲の歴史
横綱10大史7 横綱審議委員会誕生
現代は、横綱に推挙する力士が出現したとき、協会はまず、横綱審議委員会に諮問する。横綱審議委員会がOKを出してはじめて協会が最終決定をする。こうして横綱は誕生する。それでは、横綱審議委員会はいつどのような経緯で誕生したのか。歴史をふり返っ... -
相撲の歴史
横綱10大史6 根拠のない土俵入り名と意味2
昭和16年相撲評論家の彦山光三氏が、羽黒山の土俵入りを不知火型と決めつけてしまった。その根拠は、不知火(諾)が両手を広げて立っている錦絵があることであった。そしてそのほかの土俵入りを雲竜型としてしまった。<羽黒山のブロマイド>しかし、不知... -
相撲の歴史
横綱10大史6 根拠のない土俵入り名と意味1
今年の一月場所後、稀勢の里が横綱に昇進した。横綱の土俵入りは、せり上がるときに左手を曲げ、右手をのばす型を選び、雲竜型と紹介された。一方、白鵬、日馬富士が見せるせり上がるときに両手を広げる型を不知火型と呼ばれている。何が問題なのか。まず... -
相撲の歴史
横綱10大史5 横綱地位となる
これまで横綱は上覧相撲を機会にそのときの強豪力士が土俵入りをする資格であった。それが幕末から強豪大関の称号と化した。しかし、横綱の最大の変化は地位化である。それはいつ、だれから始まったのか。きっかけは横綱10大史3で述べた明治23年夏場所、... -
相撲の歴史
名門出羽海部屋の推移3
昭和43年三月場所、横綱佐田の山が引退した。その後出羽海部屋は若手のホープ三重ノ海の登場を待たねばならなかった。三重ノ海が入幕したのは、昭和44年九月場所であった。三重ノ海はホープであったが、貴ノ花、後から入幕した輪島、大受、北の湖、魁傑に... -
相撲の歴史
横綱10大史4 歴代横綱誕生
江戸時代、最後に横綱を免許されたのは陣幕であった。陣幕が吉田司家から横綱を免許されたのは1867(慶応3)年10月であった。大関2場所後であった。1966年冬場所 8勝1分1967年春場所 7勝2分 10月横綱免許1967年冬場所 7勝2休 引退陣幕は大関...