大相撲

北玉時代5

昭和45年五月場所、横綱2場所目の北の富士
は好調だった。12日目まで全勝。玉の海は
1敗。大鵬はすでに3敗で優勝戦線から1歩
後退していた。13日目から横綱リーグ戦に
突入していった。13日目北の富士対玉の海戦
が組まれた。北の富士あたって突っ張り合い
から左四つ。さらにもろざしになってから
すくい投げ。玉の海は右ひざをついて2敗に
後退。北の富士は玉の海を寄せつけなかった。
14日目、大鵬-玉の海はまたも大鵬が勝ち、
北の富士4回目の優勝が決定した。

<北の富士>

千秋楽全勝優勝をかけて、北の富士は大鵬戦
を迎えた。北の富士突っ張るが、大鵬左ざし
で左四つ。北の富士が上手投げを打つと、
大鵬すくい投げで返す。両者の体が土俵に
向って徐々に沈んでいく。その中で大鵬が
左足を割り込むと北の冨士が一瞬早く土俵に
ついた。大鵬は「先輩横綱は苦労して全勝
優勝をしている。横綱2場所目で全勝優勝
されたくなかった」と語った。大鵬の意地が
この一番を制した。

五月場所、大鵬、玉の海、関脇前の山が12勝
3敗で次点だった。

<大鵬>

昭和45年七月場所は意外な展開となった。
大鵬は3日目、新鋭三重ノ海にもろざしで
食い下げられて負けた。そのさい右足首捻挫
で休場。ところが親方(元佐賀ノ花)に一任
とか今は、秋場所での自信はないというので、
引退かと大騒ぎになった。親しい記者に「も
うだめだ。相撲を取る気持ちがなくなった」
とまで語ったので引退に踏み切ったと誰しも
思った。結局、数日後大鵬と師匠のニ所ノ関
が記者会見してもう一度やり直す旨を発表
した。

<前の山>

場所はご当地玉の海が不調、前半で3敗した。
優勝争いは千秋楽を迎えて、北の富士、関脇
前の山、関脇大麒麟が2敗で並んでいた。
そして前の山と大麒麟は直接対戦するから
優勝ラインは13勝2敗が確定していた。まず、
前の山対大麒麟戦がおこなわれた。前の山は
左にとんで、体勢がくずれて向き直る大麒麟
を突きたて押し出した。北の富士は玉の海に
もろざしから寄り切り、優勝決定戦へ駒を
進めた。

<玉の海>

北の富士対前の山戦は、本割では北の富士が
勝っていた。優勝決定戦は、左四つから北の
富士が上手投げでしとめたて5回目の優勝を
決めた。北の富士はここ1年で78勝12敗と
いう充実ぶりであった。9勝-12勝-13勝の
前の山は大関に昇進することが決定した。
玉の海は9勝6敗に終わり、こんな横綱ある
か、と批判を浴びた。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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