■富樫
のちの横綱柏戸である。若秩父と同じ昭和
33年9月場所19歳で入幕した。新入幕大鵬の
連勝止め役に抜擢されるが、8場所入幕が
早かった。大関になったのが21歳、横綱に
なったのが、23歳であった。前褌を取って
走る柏戸は速攻で取るタイプであった。とき
には勢い余って土俵下に落ち、ケガで休場
することが目立った。時津風理事長(元双葉
山)は「柏戸の体はセトモノか」と嘆いて
いた。系統別総当たり制では豊山をはじめ、
ほどんどの力士と対戦しなければならず、
孤軍奮闘であった。30歳で引退した。
現役時代、柏戸は稽古が少なかった。「あれ
は親にもらった体に感謝しなければいけない」
とまるで体だけが財産のように言われた。
その柏戸が親方になって弟子に「稽古をした
くない者は荷物をまとめて帰れ。帰るときは
挨拶はいらないぞ。こっちも挨拶されるほど
世話してないからな」と言うから、いかにも
柏戸らしく面白い。
■豊ノ海
若秩父、富樫(柏戸)とともにハイティーン
トリオとして注目を集めた。昭和33年9月
場所19歳での入幕だった。師匠の時津風(元
双葉山)と同じ、大分県宇佐市の出身である。
体は細かったが、足腰は強靭で、相撲感が
鋭かった。しかし、幕内は2場所で最高位は
前頭18枚目であった。相撲の世界になじめ
なかったのか、十両に落ちてから3場所で
角界を去っている。まだ20歳であった。
■大鵬
二所ノ関(元佐賀ノ花)の英才教育で地位を
上げてきた力士が大鵬である。昭和35年一月
場所入幕したときは19歳であった。その場所
大鵬は初日から連戦連勝。連勝はついに11
まできた。止め役は小結柏戸であった。力の
こもった熱戦となったが、一日の長がある
柏戸が最後下手出し投げで連勝を止めた。
この場所、大鵬の名を一挙に全国に知らしめ
た。
入幕した年に優勝し、あっという間に大関、
横綱に昇進した。大関になったのが20歳、
横綱になったのが21歳であった。巨人・大鵬・
卵焼きというキャッチフレーズができるほど
人気があった。負けない相撲の大鵬は2度に
わたる6連覇、32回の優勝、45連勝など6場
所時代の申し子のごとく様々な記録をうち
たてた。その功績から一代年寄り大鵬を贈ら
れた。31歳直前で引退した
■宇田川
大鵬と同じ昭和35年一月場所に20歳で入幕
している。本名である。のちに宇多川に改名
している。左四つ寄りの正攻法の相撲。反面
勝ちみが遅かった。幕内は5年1場所努め、
大関佐田の山・琴ヶ濱を倒したことがある。
最高位は前頭3枚目であった。最後は幕下で
引退した。まだ27歳であった。
■開隆山
昭和35年七月場所、20歳で新入幕を果した。
入門した荒磯(元照國)部屋(のち伊勢ヶ濱
部屋に改称)の後援者に開隆堂出版の社長が
おり、この四股名になった。昭和36年十一月
場所、新横綱の大鵬、柏戸を倒して殊勲賞を
受賞している。金星は8個獲得している。
小結2場所、関脇2場所努めている。最終
場所は十両となった。28歳であった。
(この項目続く)
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