幕内・藤ノ川(若碇改め6代目)の出身地は公称では京都府だが、実際は東京生まれである(出身地は申告制)。5歳から相撲を始め、高校は相撲の名門・埼玉栄高校に進んで3年時に主将を務めた。父は元幕内・大碇の甲山親方で、その縁から父と同じ伊勢ノ海(元北勝鬨)部屋へ入門。幕下を一度も負け越さずに通過し(貴乃花・朝青龍・白鵬も成しえていない)、2025年七月場所で入幕すると同時に若碇から藤ノ川へ改名した。20歳は幕内現役最年少である。
※2025年七月場所の入幕時点。四股名「藤ノ川」の歴代と伊勢ノ海部屋の系譜は藤ノ川とは|四股名の由来と歴代力士に分けてまとめた。
藤ノ川の出身地は京都? 実は東京生まれ
藤ノ川は京都出身と紹介されているが、実際は東京生まれである。相撲の出身地は申告制で、たとえば大関貴ノ花は北海道生まれの東京育ちだが、青森県出身とされた。藤ノ川も同様で、公称は京都府出身となっている。本人は相撲少年で、5歳から相撲を始めた。少年時代は相撲道場で基礎を身につけている。

高校は相撲の名門・埼玉栄、3年で主将
高校は相撲の名門・埼玉栄高校へ進学した。3年生のときには主将を務めている。父は元大碇の甲山親方である。その関係から、父と同じ伊勢ノ海(元北勝鬨)部屋へ入門した。序ノ口・序二段・三段目をいずれも1場所で通過し、三段目では優勝している。これが十両以下で唯一の優勝となった。

幕下を一度も負け越さず通過
幕下は7場所かかった。ただし、その間に一度も負け越さなかった。これは大変な実績である。貴乃花も朝青龍も白鵬も成しえていない記録である。連続5場所を4勝3敗で重ね、十両入りを決めた。なお幕下時代には、琴手計(現・琴栄峰)と千代丸に対戦して1敗している。
新十両は令和6年十一月場所だった。1勝5敗から粘り、7勝7敗まで持ち直したが、惜しくも負け越した。星取人生で初めての負け越しだった。十両2場所目はいいスタートを切り、9勝1敗とした。だが11日目、思わぬ左上腕二頭筋腱遠位断裂のために途中休場している。
休場明けの三月場所は8勝7敗に終わった。五月場所は十両西5枚目で、本来なら幕内を狙える位置ではなかった。だが、ここで奮闘して12勝3敗の好成績をあげた。これが決め手となり、入幕を果たすことができた。

若碇から藤ノ川へ改名、20歳は幕内最年少
入幕となった七月場所から、四股名を若碇から藤ノ川に改名した。長く親しんだ四股名だっただけに、個人的には改名に反対で、必要はなかったと考えている。なお、20歳は幕内現役の最年少である。改名後の藤ノ川という四股名がどのような系譜を持つのかは、藤ノ川とは|四股名の由来と歴代力士でくわしく検証している。
プロフィール
京都府出身(実際は東京生まれ)/伊勢ノ海(元北勝鬨)部屋
176センチ 117キロ 押し 20歳(2025年入幕時)
藤ノ川についてよくある質問
藤ノ川の出身地はどこですか?
公称では京都府出身ですが、実際は東京生まれです。相撲の出身地は申告制のため、こうした例は珍しくありません(大関貴ノ花も北海道生まれの東京育ちで青森県出身とされました)。
藤ノ川の出身高校は?
相撲の名門・埼玉栄高校です。3年生のときに主将を務めました。相撲は5歳から始めています。
藤ノ川の改名前の四股名は?
若碇です。2025年七月場所の入幕と同時に、藤ノ川へ改名しました。藤ノ川としては6代目にあたります。
藤ノ川の父は誰ですか?
元幕内・大碇の甲山親方です。その縁で父と同じ伊勢ノ海(元北勝鬨)部屋に入門しました。
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