大相撲

平幕優勝力士のその後1

<徳勝龍>

一月場所は予想もできない展開で徳勝龍が
幕尻優勝した。早くも気になるのはまず三月
場所の成績である。なにしろ大関貴景勝、
前頭4枚目正代以外は前頭8枚目以下の平幕
なのだから、実力者がひしめく上位での対戦
が気になるところである。平幕優勝力士は
それ以降引退するまでどんな成績を残して
いるのか、調べてみた。それをまとめたのが
以下である。

正式な優勝制度は大正15年に始まった。平幕
優勝力士のグレイは横綱・大関戦なき優勝、
ラベンダー色は横綱・大関戦部分対戦である。
項目の在位、三賞、三役在位、最高成績、
最高位、備考は平幕優勝の翌場所から引退
までの成績である。備考の十両○は十両の
在位場所数である。平幕優勝2回の琴錦は
初優勝以降2回目優勝前場所までのデータと
した。また、栃ノ新と朝乃山は現役なので、
このあと内容は変わっていく。

<高見山発優勝の記事>

平幕優勝以降最も長く務めた力士が高見山で
ある。71場所、12年弱である。高見山が優勝
したとき28歳であったから、40歳直前まで
現役であったことになる。息の長い力士で
あったことがわかる。次点は貴乃花の66場所
である。入門から注目されていた貴花田の
初優勝は19歳という若さであった。これが
大きかった。

<貴乃花>

逆に金剛は6場所務め、27歳で早々と引退
してしまった。二所ノ関部屋は元佐賀ノ花の
死去で後継者をめぐってお家騒動に発展して
いた。元十勝岩が二所ノ関部屋を継いでいた
が、あくまで暫定であった。本格的二所ノ関
は先代の次女と結婚した金剛が継ぐことが
規定路線になっていた。そのため、早目の
引退となった。しかし、金剛と次女は、式は
あげたが、実は、籍はいれていなかった。
人生をともにすることはなかったのである。

<金剛優勝の記事>

三賞は平幕優勝後1度も受賞しなかった力士
が11人もいる。目だった活躍が乏しかった
ことになる。水戸泉は平幕優勝後49場所、
約8年務めたが、ついに三賞受賞はなかった。
平幕優勝後最多三賞受賞者は初優勝後の琴錦
である。殊勲勝3回、敢闘賞1回、技能賞
5回と計9回受賞している。琴錦のF1相撲
は魅力的だった。今の現役には見られない
スピード相撲だった。これに続くのが、高見
山の殊勲賞5回、敢闘賞3回である。高見山
は輪島に強かった。

(この項目続く)

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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