平幕優勝以降の三役在位記録をみていこう。
最高位関脇以下ではまず時津山が小結3場所、
関脇10場所を記録した。これを更新した力士
が若三杉である。のちの大豪である。小結
8場所関脇10場所を記録した。小結と関脇
在位の数字を逆にした力士が高見山である。
ところが不滅(?)と思われる記録を打ち
立てた力士がいる。琴錦である。初優勝の
翌場所から2回目の平幕優勝の直前まで小結
10場所、関脇16場所勤めた。2回目の平幕
優勝以降では小結2場所在位があり、計28
場所になる。彼らは平幕優勝後も強豪力士で
あったことを証明した。
最高位が大関以上では琴光喜が平幕優勝以降
小結7場所、関脇20場所在位した。これだけ
でも大変な数値である。逆にいうとなかなか
大関のチャンスをつかめなかったとも言える。
大関になって10勝以上5場所、1ケタ勝ち越し
10場所、負け越し2場所。2010年野球賭博が
発覚し、解雇になったのはいかにも惜しま
れる。
平幕優勝力士は大関になれないというジン
クスがあった。これを最初に破った力士が
佐田の山であった。佐田の山は大関が17場所
と長かったが、ついに横綱にまでかけあがっ
た。大鵬という壁が高かった。対戦成績は
ともかく、二人の相撲内容は熱戦が多かった。
次に大関に上がったのは魁傑だった。もっと
も魁傑は1度大関にあがり、1度降格して
いた。そんな中でゼロから平幕優勝をきっ
かけに2度目の大関昇進を果した。大関では
花開くことがなかったが「休場は試合放棄」
と負けが込んでも休まなかった。当時この
言葉は新鮮な響をもって歓迎された。
3人目は貴花田である。同期の曙が出世は
先行したが、曙をぬくのは時間の問題という
ほど可能性を秘めていた。横綱昇進尾チャ
ンスは何度もあったが、当時は2場所連続
優勝が絶対の時代であった。22回優勝で一代
年寄りを贈られるも、自ら協会を離職し、
部屋を閉鎖したのはいかにももったいなかっ
た。
4人目は琴光喜である。前述したとおりで
ある。
5人目は栃ノ心である。上がる直前は37勝
8敗とりっぱな成績だったが、大関としては
ふるわなかった。朝乃山が大関になれば、
平幕優勝力士としては6人目になる。今の
ところ大関候補は朝乃山しかみあたらない。
ベストをつくしていただきたい。
そのほかは表を参考にしていただきたい。
新型コロナウイルスに経済は押しつぶされそう。
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