![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/02/平幕A-1024x794.jpg)
平幕優勝以降の三役在位記録をみていこう。
最高位関脇以下ではまず時津山が小結3場所、
関脇10場所を記録した。これを更新した力士
が若三杉である。のちの大豪である。小結
8場所関脇10場所を記録した。小結と関脇
在位の数字を逆にした力士が高見山である。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/02/琴錦-e1582970260455.jpg)
ところが不滅(?)と思われる記録を打ち
立てた力士がいる。琴錦である。初優勝の
翌場所から2回目の平幕優勝の直前まで小結
10場所、関脇16場所勤めた。2回目の平幕
優勝以降では小結2場所在位があり、計28
場所になる。彼らは平幕優勝後も強豪力士で
あったことを証明した。
最高位が大関以上では琴光喜が平幕優勝以降
小結7場所、関脇20場所在位した。これだけ
でも大変な数値である。逆にいうとなかなか
大関のチャンスをつかめなかったとも言える。
大関になって10勝以上5場所、1ケタ勝ち越し
10場所、負け越し2場所。2010年野球賭博が
発覚し、解雇になったのはいかにも惜しま
れる。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/02/無題A-1024x708.jpg)
平幕優勝力士は大関になれないというジン
クスがあった。これを最初に破った力士が
佐田の山であった。佐田の山は大関が17場所
と長かったが、ついに横綱にまでかけあがっ
た。大鵬という壁が高かった。対戦成績は
ともかく、二人の相撲内容は熱戦が多かった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/02/佐田-の山-e1582970339852.jpg)
次に大関に上がったのは魁傑だった。もっと
も魁傑は1度大関にあがり、1度降格して
いた。そんな中でゼロから平幕優勝をきっ
かけに2度目の大関昇進を果した。大関では
花開くことがなかったが「休場は試合放棄」
と負けが込んでも休まなかった。当時この
言葉は新鮮な響をもって歓迎された。
3人目は貴花田である。同期の曙が出世は
先行したが、曙をぬくのは時間の問題という
ほど可能性を秘めていた。横綱昇進尾チャ
ンスは何度もあったが、当時は2場所連続
優勝が絶対の時代であった。22回優勝で一代
年寄りを贈られるも、自ら協会を離職し、
部屋を閉鎖したのはいかにももったいなかっ
た。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/02/貴 -e1582970371165.jpg)
4人目は琴光喜である。前述したとおりで
ある。
5人目は栃ノ心である。上がる直前は37勝
8敗とりっぱな成績だったが、大関としては
ふるわなかった。朝乃山が大関になれば、
平幕優勝力士としては6人目になる。今の
ところ大関候補は朝乃山しかみあたらない。
ベストをつくしていただきたい。
そのほかは表を参考にしていただきたい。
新型コロナウイルスに経済は押しつぶされそう。
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