相撲の歴史– category –
部屋の系統・一門・横綱十大史・昇進成績の考証
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相撲の歴史
現代相撲部屋の系統15
新型コロナウイルスが蔓延したのは2020年の2月から2023年の5月5日までである。2020年秋、元時津海の時津風は新型コロナウイルスによる外出禁止期間に地方のゴルフコンペに参加した。そのため委員から年寄に降格された。 にもかかわらず外出禁止をうたっ... -
相撲の歴史
伊勢ヶ濱部屋の集団指導体制って何
元照ノ富士の伊勢ヶ濱の暴行事件の結末として地位の降下、減給があった。さらに部屋付きの親方による集団指導体制と一門・協会の監視下に入るという。よくわからないのが、集団指導体制である。集団でどう指導しょうというのか。 これがプロ野球なら監督が... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統14
元豊山(前名内田)の時津風は関脇蔵間、小結豊山(前名長浜)・大潮・双津竜、大豊などを育てた。東京農業大学出身の学生は時津風部屋へという流れができてきた。元豊山(前名内田)の時津風が定年を迎えた時津風部屋を引き継いだのが元双津竜であった。... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統13
元安念山=元2代目羽黒山の立浪は1999年2月定年を迎えようとしていた。しかし、後継者は弟子ではなかった。旭國、黒姫山、大翔山は独立していた。大翔山は先代追手風(元追手山)の娘をもらっていた。大島(元旭國)部屋出身の元旭豊を立浪の長女の婿養... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統12
立浪を本家とする系統を現在ある部屋から系統を見ていこう。立浪部屋の祖は緑嶋である。立浪三羽烏双葉山・羽黒山・名寄岩を育てた。2横綱1大関などを育て一大勢力を築いた。春秋園事件で飛び出さず、協会に踏みとどまったことも大きかった。 緑嶋のブロ... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統11
三保ヶ関部屋は大阪相撲の流れをくむ部屋である。師匠の元滝ノ海が急死したため、増位山(父)ら弟子は以前から親交のあった出羽海(元両国=前名国岩)部屋に身を寄せた。昭和21年のことである。出羽一門に属しているのはこうしたいきさつである。 三保ヶ... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統10
消滅した本家二所ノ関部屋から独立した部屋に元大麒麟の押尾川部屋がある。いきさつについてはすでに記した。少数からの独立だったが、白いウルフ益荒雄が育った。引退後は師匠押尾川とのいさかいで大鵬部屋に移籍した。そこで阿武松部屋を興した。 押尾川... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統9
消滅した二所ノ関部屋の分家に大嶽部屋がある。一代年寄大鵬が興した部屋で大鵬部屋としてスタートした。巨砲、嗣子鵬、露鵬などを育てた。定年を迎えるにあたって、娘婿の元貴闘力に部屋をゆずった。貴闘力は大鵬の弟子ではなく、元大関貴ノ花が育てた力... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統8
佐渡ヶ嶽部屋から独立した部屋に元琴風の尾車部屋、元琴欧洲の鳴戸部屋、元琴奨菊の秀ノ山部屋がある。尾車部屋からは元豪風の押尾川部屋が独立している。また佐渡ヶ嶽部屋出身の元琴錦は尾車部屋に移籍していた。元琴錦は年寄名跡を渡り歩いていた。朝日... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統7
消滅した本家二所ノ関部屋より分家した部屋で現存する部屋は3部屋である。佐渡ヶ嶽、片男波、大嶽である。 佐渡ヶ嶽部屋は初代琴錦が昭和30年、7人の弟子とともにニ所ノ関(元佐賀ノ花)部屋から独立した。しかし、この中に琴ヶ濱は入っていなかった。二... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統6
昭和50年3月28日、元佐賀ノ花の二所ノ関が急性白血病で亡くなった。57歳の若さであった。後継者候補は元大関大麒麟の押尾川であった。尾川と遺族側との譲渡条件が話し合われた。ところが、話し合いは金額差から難航した。8000万円(当時価格)の差ともい... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統5
二所ノ関の系統は現在14部屋に及んでいる。二所一門の繁栄はいかにもたされたのか。 二所ノ関部屋の祖は2代目海山である。その弟子玉錦が一大で二所ノ関部屋を大きくしようとしていた。小部屋の悲哀に泣いた玉錦は弟子集め、その育成に熱心に取り組んだ。... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統4
高砂部屋の分家をみていこう。 歴史的に古いのは井筒部屋であった。この部屋は現在ない。明治の横綱初代西ノ海ー2代西ノ海ー先代星甲と続いた。昭和19年、先代星甲の井筒が他界した。先代鶴ヶ嶺(最高位前2)は二枚監察(親方と現役を兼ねるシステム=現... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統3
高砂部屋の系統について触れていこう。 高砂部屋の始まりは風雲児高砂浦五郎からである。明治11年5月、高砂は高砂部屋をおこした。主な弟子に横綱免許を許された初代西ノ海、さらに小錦が免許を許された。明治33年3月一代の風雲児は波乱の生涯を終えた。... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統2
出羽海部屋は明治の角聖常陸山が大きくした部屋である。横綱常陸山の師匠が常陸山虎吉(最高位前1)である。入間川(元松嶋)部屋に入門し、後に出羽ノ海を四股名とした。ドブ虎とあだ名されるほど酒好きだった。出羽海部屋は元常陸山ー元横綱常陸山ー元... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の系統1
現在相撲部屋は45ある。三月場所前に定年を迎える元隆三杉の常磐山部屋は、すでに弟子の元貴景勝が継承し、湊川部屋に改称している。この部屋は元舛田山の千賀ノ浦が春日野(元栃乃和歌)部屋から独立した部屋である。元舛田山の千賀ノ浦の定年にともない... -
相撲の歴史
相撲部屋今昔
昭和30年の大相撲専門誌を眺めていた。相撲部屋一覧が巻末に掲載されていた。弟子がいる部屋は28あった。相撲部屋は現在45あるから70年前よりはるかに多いといえる。 昭和30年にある相撲部屋で現在も引き継がれている部屋は6部屋しかない。出羽海春日野時... -
相撲の歴史
錦戸部屋の行方
水戸龍が九月場所限りで引退した。幕下落ちしたが最後は全休していた。水戸龍は幕内在位5場所、十両在位40場所であった。十両が長い力士であった。錦戸(元水戸泉)部屋の唯一の看板力士であった。 水戸龍 水戸龍が抜けた錦戸部屋はどうなるのか。一時は... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋の優勝者 下
元琴櫻の佐渡ヶ嶽は平成17年十一月場所中に定年を迎えた。娘婿である琴ノ若はその場で引退し、部屋を継承した。まだ現役でやれそうだったが、弟子の育成・部屋の経営に舵を切った。元琴櫻は定年の約1年9カ月後に亡くなっている。元琴ノ若の佐渡ヶ嶽のも... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋の優勝者 中
元横綱琴櫻の佐渡ヶ嶽のとき4人の優勝者をだしている。琴風についてはすでに触れた。次が思いもよらない優勝者であった。前頭13枚目の琴富士であった。平成3年七月場所のことであった。 琴富士 琴富士は大関霧島、横綱旭富士、大関小錦、関脇貴闘力を倒... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋の優勝者 上
去る七月場所は琴勝峰の優勝で幕を閉じた。琴勝峰は佐渡ヶ嶽部屋10人目の優勝力士である。優勝力士を10人も輩出すれば名門といっていい。ちなみに出羽海部屋は大正15年の公式優勝制度以降では12人である。これまでの9人をあげられればあなたは相撲通であ... -
相撲の歴史
混迷の時代は終わったのか
混迷の時代は場所所前誰が優勝するか予想がつかない時期をいう。それはいつから始まったのか。令和4年一月場所からである。照ノ富士の連続優勝後の場所である。 混迷の時代の特徴が3つある。1.毎場所優勝者が変わった2.12勝3敗優勝が多い3.関脇以下の優... -
相撲の歴史
横綱・大関フル出場少数派時代
現代は2横綱・1大関と横綱・大関は3人と少数派である。最低2横綱2大関と番付を東西にそろえたいところであるが、そうはいかない。このような傾向はいつごろ始まったのか。早速調査してみることにした。 白鵬 傾向としてはどうも令和からである。まず... -
相撲の歴史
大嶽部屋の行方
今年定年になる親方は元旭富士だけではない。大鵬道場の大嶽部屋の大嶽(元大竜)もである。9月下旬までである。大嶽部屋には部屋付の親方はいない。後継問題はどうなるのか。 大嶽部屋は大横綱大鵬がおこした部屋である。一代年寄大鵬部屋としてスタート... -
相撲の歴史
横綱の大関時代 豊昇龍編
これまで横綱の大関時代には触れてきた。横綱になりたての豊昇龍は当然そのなかに入っていない。あらためて豊昇龍の大関時代を振り返ってみよう。 豊昇龍の大関時代は9場所である。成績は91勝41敗3休である。休場を除くと勝率6割8分9厘である。1場所... -
相撲の歴史
今は昔大相撲冬の時代
今は大相撲過熱時代である。チケットの販売開始日に短時間で完売する。これが続いている。来たる五月場所も例外ではない。ファンクラブの先行予約は場所の開催中に始まっている。まさにチケット受難時代である。 大相撲にも冬の時代はあった。国技館でも当... -
相撲の歴史
伊勢ヶ濱部屋継承の行方
元旭富士の伊勢ヶ濱は今年の7月6日で65歳を迎える。定年である。伊勢ヶ濱部屋はどうなる。照ノ富士が引き継ぐことになるとみるのが常識的である。ところがすんなりいくとは限らない。条件面で折り合いがつかないという。 <照ノ富士と伊勢ヶ濱> もう一... -
相撲の歴史
続く大相撲過熱時代
昨年は6場所ともチケット完売だった。福岡はお茶屋がなく、交通の便もいいところとはいいがたい。さらに福岡県の人口は埼玉県や千葉県より少ない。それでもチケットは完売したのだから偉業といっていい。 それは今年に入っても続いている。一月場所、来た... -
相撲の歴史
豊昇龍の大関時代を比較する
一月場所後豊昇龍が横綱に昇進した。大関在位は9場所であった。改めて豊昇龍の大関時代を他の横綱と比較してみる。対象は公式の優勝制度ができた大正15年以降横綱に昇進した力士とした。横綱でいうと玉錦以降とした。 <豊昇龍(右)> ◆大関在位双葉山 ... -
相撲の歴史
相撲部屋への移転 下
引き続き近年の相撲部屋への移転をみていこう。 ◆立浪部屋→千賀ノ浦部屋=常盤山部屋千賀ノ浦部屋は元舛田山が春日野(元栃乃和歌)部屋から独立した部屋である。2004年9月のことである。千賀ノ浦が2016年4月10日で定年を迎えることになり、後継者を探し... -
相撲の歴史
相撲部屋への移転 上
豊昇龍が横綱昇進の日、集まったファンからこんな声を聞いた。「ここの立浪部屋は元何部屋だったんだろう」相撲ファンだけに立浪(元旭豊)部屋がつくばみらいから移転したことは知っていた。近年相撲部屋への移転が目立っている。改めて整理してみよう。 ... -
相撲の歴史
2025年はどうなる 宮城野部屋の復活
事件は北青鵬の悪質な弟弟子への暴行から始まった。北青鵬は引退勧告で引退した。力士が暴行したらどうなるか、前例で分かっていたはずである。力士が相撲を辞めてできることはそうない。力士以上に稼げる職はそうない。誠に愚かな行為であったわけである... -
相撲の歴史
玉の海を偲ぶ
玉の海が現役で急死したのは昭和46年10月18日だった。今から約53年前のことである。玉の海の相撲を見た方は限られてくるほど年月は経ってしまった。玉の海の相撲を見た者として改めて思いつくまま記しておきたい。 玉の海は横綱からの四股名である。それ以... -
相撲の歴史
最新相撲部屋関取事情
大相撲の仕組みは各相撲部屋の師匠が力士を育成して本場所に送り出すことである。目標は関取を誕生させることである。さらに幕内、小結・関脇。大関、横綱と強い力士を育てることである。現代の相撲部屋の関取事情はどうなっているのか。十一月場所予想さ... -
相撲の歴史
複雑化する一門8
分家の分家 元大麒麟の押尾川部屋から独立したのが元益荒雄の阿武松部屋である。現在元大道が部屋を引き継いでいる。元大麒麟は押尾川部屋を閉鎖し、弟子は尾車(元琴風)部屋へ移籍した。序二段飛燕力は元大麒麟の弟子であった。 分家の分家の分家 元魁傑... -
相撲の歴史
複雑化する一門7
ニ所ノ関部屋は玉錦が大きくしようとした部屋である。玉錦が現役で亡くなると、弟子の玉ノ海が二枚鑑札で引き継いだ。玉ノ海は大方針を打ち立てた。弟子を育成する気のある者は独立を認めるということである。弟子をもたないと部屋持ちの親方におべっかを... -
相撲の歴史
複雑化する一門6
元旭富士の伊勢ヶ濱部屋は富士がつく四股名の部屋として知られている。その前身は安治川部屋である。当時、四股名は頭に安を付けていた。旭富士は立浪(元安念山=2代目羽黒山)部屋の分家大島(元旭國)部屋所属の力士である。しかし、部屋は元陸奥嵐の... -
相撲の歴史
複雑化する一門5
八甲山系というのは便宜上筆者が名付けた系統である。八甲山とは何者か。明治44年春場所入幕大正11年春場所引退最高位前頭4枚目。八甲山は元々高砂系の力士であった。行司木村一宇が起こした若松部屋所属であった。大ノ里も同部屋であった。 <八甲山のブ... -
相撲の歴史
チケット受難時代
九月場所のチケットは発売開始後1時間20分で完売した。それだけではない。相撲仲間の話によるとファンクラブ先行予約とチケット大相撲の先行予約を申し込んだ。だが、ともにはずれたという。ファンクラグの予約はあまりに早く、予定が立ちにくい時期にス... -
相撲の歴史
複雑化する一門4
時津風部屋は立浪(元緑嶋)部屋から双葉山が独立しておこした部屋である。立浪部屋は明治の末、元小結緑嶋がおこした部屋である。それでいて時津風部屋は立浪一門の一員ではなく、独自の時津風一門を形成した。 そのいきさつはこうだ。師匠立浪(元緑嶋)... -
相撲の歴史
複雑化する一門3
高砂部屋は明治の風雲児高砂浦五郎が創設した歴史ある相撲部屋である。ところが高砂部屋は分家が育たないという伝統ができてしまった。高砂部屋直系の分家は錦戸(元水戸泉)部屋と高田川(元安芸乃島)部である。錦戸部屋は弟子が少なく危うい状態である... -
相撲の歴史
複雑化する一門2
引き続き出羽一門をみていこう。 分家の春日野部屋から独立した部屋が玉ノ井(元関脇栃東)部屋と入間川(元栃司)部屋である。現在玉ノ井部屋は、息子の元大関栃東が引き継いでいる。入間川部屋は一門の元垣添が継いで雷部屋として運営している。垣添は武... -
相撲の歴史
複雑化する一門1
物心がついたとき、取組は系統別であった。系統は本家と分家の関係がベースになっていた。伊瀬ノ海部屋はそれがなく、柏戸は時津風部屋の豊山と対戦している。孤軍奮闘であった。出羽一門、ニ所一門は認識していた。 元々一門は巡業の共同組合のようなもの... -
相撲の歴史
手薄の時代
現在は誰が優勝するか場所前に予想ができない混迷の時代である。同時に1横綱2大関の手薄の時代になってしまった。霧島・貴景勝と大関降格が続いたことが主因である。しかも横綱照ノ富士が常にフル出場できるとは限らない。 <角番で負け越した貴景勝> ... -
相撲の歴史
混迷の時代の優勝者のその後3
阿炎阿炎が優勝したのは2022年十一月場所である。優勝決定巴戦を制しての結果であった。その後の阿炎は73勝62敗である。大関戦は8勝10敗である。負け越しは1場所しかない。阿炎としてはよくやっている、といえる。 <阿炎> 師匠の元寺尾の錣山が昨年末... -
相撲の歴史
混迷の時代の優勝者のその後2
照ノ富士混迷の時代、照ノ富士は3回優勝している。7回目、8回目、9回目の優勝である。それだけ聞くとよくやっていると思いがちだが、つぶさに検討すると、そうはいかない。7回目の優勝後の成績は58勝25敗92休である。とにかく休場が多すぎる。 <照ノ... -
相撲の歴史
混迷の時代の優勝者のその後1
混迷の時代は2022年一月場所から始まった。誰が優勝するか場所前から予想できない。ときには思いがけない力士が優勝したりする。混迷の時代の優勝者はその時はヒーローである。しかし、その後はどうしているのか、調べてみた。 御嶽海2022年一月場所関脇で... -
相撲の歴史
現代相撲部屋の実情
相撲部屋は現在44ある。このなかに宮城野(元白鵬)部屋は含まれていない。復活を待望するファンがいる一方、人によっては別の見方をする方もいる。会社なら宮城野はクビである。復活は現在の幹部が退くまでとなると4、5年くらいかかるのでは、というの... -
相撲の歴史
大島部屋の変貌
かつて立浪(元安念山=2代目羽黒山)から独立した部屋にあった。元旭國の大島部屋である。旭鷲山、旭天鵬などはそこの弟子だった。時は流れ2012年4月元旭國の大島は定年を迎えた。そのとき部屋を継ぐ者はいなかった。旭天鵬はまだ現役を続けたかった。 ... -
相撲の歴史
混迷の時代の優勝次点
混迷の時代はいつ始まったのか。混迷の時代は場所前から優勝予想ができなく、意外な力士が優勝することである。それは令和4年一月場所からである。照ノ照富士の神通力が失われたときである。これによって絶対的強者が失われた。 <照ノ富士> それに代わ... -
相撲の歴史
中村部屋の位置づけ
元嘉風の中村部屋がニ所ノ関部屋から独立した。6月1日承認、3日引っ越しとなった。引っ越し先は旧陸奥部屋である。旧陸奥部屋は元霧島が定年を迎え、部屋を閉鎖していた。 <中村> 部屋の系統でみると中村部屋の位置は下記になる。 まず、本家ニ所ノ関... -
相撲の歴史
混迷の時代を脱却する力士は誰か
現代は誰が優勝するか予想が立たない時代である。三月場所の尊富士、五月場所の大の里の優勝はまったくの予想外であった。それは絶対的強者が不在であるからだ。逆にいうと、誰が絶対的強者として君臨して混迷の時代を終焉できるか、ということである。 昭... -
相撲の歴史
混迷の時代現在進行中
誰が優勝するか場所前から予想が立たない。時には思いがけない力士が優勝を争う。まさに混迷の時代である。 しかし、これが思いがけない事態をもたらした。大相撲人気を高めているのである。昨年の九月場所、今年の一月場所はチケットが売り切れた。今年の... -
相撲の歴史
名門高砂部屋は分家消滅の歴史
高砂(元朝赤龍)部屋の分家は錦戸(元水戸泉)部屋だけである。その錦戸部屋は弟子が少なく、部屋としては危うい状態である。広い意味では高砂部屋出身の初代西ノ海の流れを組む錣山(元豊真将)部屋、音羽山(元鶴竜)部屋がある。ただし、本家分家の意... -
相撲の歴史
理事長・理事の部屋勢力
一門はかつて巡業をともにする組合だった。本家分家関係を中心としての寄り合い連合だった。現在の一門は理事、副理事を生むシステムに変貌している。 <八角理事長> 🔶高砂一門八角元横綱北勝海)🔶出羽一門春日野(元栃乃和歌)境川(... -
相撲の歴史
なつかしく思える若貴・曙の時代
曙の通夜が14日行われた。かつてのライバル若乃花が弔問に伺った。今改めて若貴・曙の時代が懐かしく語られている。昭和三代人気力士は双葉山・初代若乃花・貴ノ花である。その貴ノ花の二人の息子が相撲界入りしたのだから大変な話題になった。 <曙> 若... -
相撲の歴史
幕内優勝経験者11人時代
尊富士の優勝で11人になったものがある。それは幕内優勝経験者の現役数である。11人あげられれば、あなたは相撲通である。 <優勝尊富士> 照ノ富士貴景勝御嶽海霧島玉鷲豊昇龍朝乃山大栄翔正代尊富士若隆景 豊昇龍以下6人は優勝1回である。尊富士は幕尻... -
相撲の歴史
旧井筒の系統
昨年12月元寺尾の錣山が死去した。60歳という若さだった。近年定年前に亡くなる親は少ない。一月場所、所属力士は錣山部屋で土俵にあがった。場所後元豊真将の立田川が正式に錣山となった。 <霧島> 今年の4月、元霧島の陸奥が定年を迎える。その動向が... -
相撲の歴史
4大関時代の優勝事情
三月場所、琴ノ若が大関に昇進することで久々に4大関になる。1年前は貴景勝の一人大関だったのだから様変わりである。4大関は令和3年七月場所以来である。白鵬が最後の優勝を全勝で飾った場所である。 そのときの大関は照ノ富士、貴景勝、正代、朝乃山... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋代々
佐渡ヶ嶽部屋から大関琴ノ若が誕生した。これで佐渡ヶ嶽部屋はこれまで1横綱6大関を生み出してきたことになる。横綱琴櫻、大関琴ヶ濱・琴風・琴欧洲・琴光喜・琴奨菊・琴ノ若である。ここまでくれば名門である。佐渡ヶ嶽部屋はいつ誕生し、どういう流れ... -
相撲の歴史
鶴竜始動!音羽山部屋誕生
鶴竜が引退したのは2021年三月場所中だった。休場が続いていたが、その途中での引退だった。それからは鶴竜親方として協会に残った。横綱は5年間年寄株がなくても親方でいられる特権がある。 鶴竜親方として約2年9カ月、音羽山の株を入手した。それだけ... -
相撲の歴史
混迷の時代の未達成優勝
昨年は6場所優勝者が異なった。今年は霧島が2回優勝し、これを脱出した。貴景勝は優勝と単なる1位でこれに該当しない。 霧島の年2回優勝で混迷の時代を終えたといえるのか。混迷でない時代とは場所前から優勝予想ができる状態である。つまり絶対的強者... -
相撲の歴史
現代相撲部屋勢力
戦前、相撲部屋は出羽海(元両国=前名国岩)部屋が片屋を占めたことがあった。それほど古くない時代では、二子山(元貴ノ花)部屋が横綱貴乃花・若乃花、大関貴ノ浪ほか三役クラスの安芸乃島、貴闘力などをそろえた時期があった。元三重ノ海の武蔵川部屋... -
相撲の歴史
10大横綱の新入幕時代4
朝青龍の新入幕は平成13年一月場所である。曙が全休後引退している。序ノ口から12場所目であった。負け越しは幕下のときの1回である。 新入幕の場所は9勝6敗と勝ち越したものの平凡な成績で終わった。ただ、新入幕から3場所目には小結に出世した。大関... -
相撲の歴史
10大横綱の新入幕時代3
北の湖、千代の富士、貴乃花には共通点がある。それはいずれも新入幕のとき負け越していることである。しかも幕に留まれず、十両落ちを経験している。そこから10大横綱にかけあがったのだけれど、個別にみていこう。 北の湖の新入幕は昭和47年一月場所であ... -
相撲の歴史
10大横綱の新入幕時代2
双葉山の新入幕は特殊事情によるものだった。昭和7年1月6日春秋園事件が勃発した。幕内西方の全力士20人と十両の出羽系11人が、中華料理店春秋園に集結した。 目的は大相撲の近代化へ向け、力士生活の安定化、大相撲の大衆化、協会の制度改善である。中... -
相撲の歴史
10大横綱の新入幕時代1
常陸山の新入幕は明治32年春場所であった。地位は前頭4枚目であった。なぜ、そんな高い地位だったのか。前場所十両筆頭で9勝1分であった。しかも新十両であった。 <常陸山のブロマイド> 幕内は14枚目しかなかった。さらに同じ片屋同士の対戦はなかっ... -
相撲の歴史
横綱受難時代
朝青龍が横綱の時代、あるいは白鵬の横綱時代は一人横綱だろうが何の心配もなかった。年齢が若かったこともある。まさに優勝をほとんど独占できた。ともに7連覇している。白鵬は63連勝という記録までつくった。 <朝青龍> それ以降の横綱はどうであった... -
相撲の歴史
混迷の時代の終焉はくるか
昨年(2022年)は6場所すべて優勝者が異なった。横綱1回、関脇2回、平幕3回であった。13勝優勝が2回、12勝優勝が4回あった。まさに混迷の時代であった。 <霧馬山初優勝> これは今年も続いている。4場所経過したが、4場所の優勝の顔ぶれがちがう... -
相撲の歴史
歴史に逆行する九月場所番付
九月場所の番付が発表された。横綱・大関が手薄だから上位勝ち越し者が多く、幕内上位はどんづまりである。小幅アップにならざるを得ない。 豊昇龍が新大関としてデビューする。しかし、それは角番大関霧島・貴景勝の風下に位置するものである。はっきりい... -
相撲の歴史
井筒の系統
明瀬山が引退し、井筒を襲名した。これによって井筒の株はこれまでの時津風系ではなく、旧三保ヶ関部屋から独立した木瀬系に移ったことを意味している。 <明瀬山> 井筒はそれまで元豊ノ島が名のっていた。井筒株の返上を求められたのか、協会を離れ芸能... -
相撲の歴史
躍進する宮城野部屋
白鵬が帰化までしてまで親方になりたかったわけがあった。それは部屋をもって力士を育てたかったからである。大相撲界独特のシステムであり、やりがいは大きい。弟子の育成は現役時代の実績とはまったく違う要素である。 <元白鵬の宮城野> 七月場所後元... -
相撲の歴史
混迷の時代終焉のカギ
混迷の代はいつ始まったのか。予想外の力士が優勝戦線に踊り出てくる。優勝のレベルは12勝が多い。となると2022年三月場所からである。この場所は関脇若隆景と高安が優勝を争った。 <若隆景と高安の優勝決定戦> 今年(2023年)の五月場所は照ノ富士が14... -
相撲の歴史
2023年版出羽海の系統
出羽海の系統で変わった点は2つある。1つが元隆三杉の千賀ノ浦部屋が常盤部屋に変更したこと。千賀ノ浦部屋は元舛田山が春日野(元栃ノ海)部屋から独立しておこした部屋だった。部屋及び出羽一門に後継者がいなく、二子山(元初代若乃花から元貴ノ花)... -
相撲の歴史
混迷の時代!優勝者の翌場所の成績
現在8場所連続優勝者の顔ぶれが異なる状態が続いている。場所前の優勝予想がまったくできない。誰が優勝するのかやってみないとわからない日々が続く。 優勝の内訳は横綱1、大関1、関脇3、前頭上位2、前頭中位1である。番付の権威は薄れている。12勝... -
相撲の歴史
続 消えた横綱の部屋 4
人気力士だった大関貴ノ花は引退後しばらくして二子山(元初代若乃花)部屋から独立して藤島部屋をおこした。部屋をつくるにあたって、おかみさんから2つの条件がだされた。いじめと工作相撲の禁止であった。だから藤島部屋の力士は皆ガチンコ相撲だった... -
相撲の歴史
続 消えた横綱の部屋 3
2代目若乃花の失敗の始まりは師匠二子山(元初代若乃花)の娘と結婚したことである。当時、それほど乗り気でない様子がうかがえた。事実、1年2カ月でスピード離婚している。のちに2代目若乃花は銀座のママと再婚している。 <2代目若乃花> 2代目若乃... -
相撲の歴史
続 消えた横綱の部屋 2
ニ所ノ関一門の繁栄は分家を奨励し、弟子の育成をはかってきたことにある。この方針は元玉ノ海の二所ノ関のとき、打ち出された。部屋持ちにならないとおべっかを使うことになる光景に嫌気をさし、弟子の光は七光にした。 戦後、元大ノ海の芝田山のち花籠は... -
相撲の歴史
続 消えた横綱の部屋 1
2022年2月から3月において「消えた横綱の部屋」を掲載した。横綱の代でいうと朝潮で終わっている。当時は時代が古く、ピンとこず、必ずしも好評ではなかった。ここからは大鵬以降になるのでいささか身近に思える横綱が登場するのではないだろうか。 続編... -
相撲の歴史
変貌する現代相撲部屋の継承
部屋の継承というと弟子と年寄株というのが通常である。建物は複雑な事情から引き継がれないケースが多い。ところが最近弟子は継承するが、部屋名が変更という場合が出てきた。 新しいところでは入間川(元栃司)部屋が元垣添の雷に引き継がれたことである... -
相撲の歴史
東西制から系統別へ 歴史的大もめ
東西制は明治42年夏場所、国技館開設とともに始まった。もっともそれ以前も取組は東対西であった。それを東西の優劣を決める団体戦にしたわけである。勝ったほうが翌場所東にまわる。現代の部屋別総あたり制を見慣れている相撲ファンからすると奇妙に思え... -
相撲の歴史
続10大横綱の小結関脇時代
引き続き10大横綱の小結関脇時代をみていこう。ここからは部屋別総当たり制での横綱である。 北の湖輪島、貴ノ花、魁傑の時代が来るとの見方に割って入ってきた力士が怪童北の湖であった。新小結では4勝11敗と大敗した。4場所後再小結で勝ち越し。翌場所... -
相撲の歴史
10大横綱の小結関脇時代
10大横綱は実質横綱が地位化した常陸山以降の横綱を意味する。大横綱の小結関脇はどうであったか。調べてみた。 常陸山常陸山が関脇だった時期は明治33年夏場所から2場所である。小結の経験はない。横綱は小錦だったが、同じ片屋で対戦はない。対戦した大... -
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来なかった時代
昭和36年九月場所後、大鵬と柏戸が同日横綱に昇進した。物理的には2場所連続優勝の大鵬が先に決まったとみるのが常識である。柏戸は直前3場所優勝がなく、大鵬と抱き合わせ的に横綱になった。大関の勝率が大鵬と遜色がないが理由だったが、基準にないこ... -
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一人横綱一人大関時代はいつまで続く
弱体化した大関陣は御嶽海の大関降格に続いて正代まで降格が決定した。これできたる一月場所は一人横綱一人大関である。正代が10勝以上あげれば大関に復帰するが、前例から復帰は容易でないことは、これまでさんざん書いてきた。 <一人大関貴景勝> 1横... -
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混迷の時代はいつまで続く
今年(2022年)に入って優勝候補にあげられ、その通り優勝したケースがどれくらいあっただろうか。しいて言うなら五月場所の照ノ富士の優勝だが、3敗もして絶対強者の優勝ではなかった。きたる十一月場所、優勝候補をあげるのは非常に困難な状況である。... -
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コロナ部屋ごと途中休場後の番付発表
新型コロナウイルスの部屋ごと途中休場が多発した七月場所を受けて、2022年九月場所の番付が発表された。まず、大関カド番の場所コロナ途中休場した御嶽海は、大関のまま据え置きとなった。そういう見方はされてきたが、九月場所再びカド番となる。 <御嶽... -
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宮城野部屋の経緯 下
高島(元巴潟)部屋から独立した吉葉山は宮城野部屋を興した。その部屋は廣川、竹葉山へと引き継がれた。ところが2004年8月26日に異変がおこった。事の経緯はこうだ。1989年廣川宮城野急逝後、部屋付きの元竹葉山が部屋を継いだ。ところが、北の湖部屋(... -
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宮城野部屋の経緯 上
元白鵬の間垣が宮城野部屋を継いで18代宮城野として力士の育成・指導、部屋の経営に携わることになった。宮城野部屋といえば白鵬、炎鵬、石浦で名をはせてきた。特に白鵬は数々の記録を塗り替えてきた大横綱であった。宮城野部屋はどういう経緯をたどって... -
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元白鵬!宮城野部屋継承
元白鵬の間垣と元竹葉山の宮城野が年寄株を交換した。元白鵬は宮城野として部屋を継承することが正式に決まったわけである。これは元竹葉山が8月21日で65歳の定年を迎えることによるものである。白鵬は現役のとき、内弟子がおり、将来は独立するものと思... -
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時津風部屋が生んだ1横綱4大関 下
大内山が昭和33年一月場所、大関の座を去ってしばらく、大関は誕生しなかった。この間小結潮錦・時錦などが活躍していた。そして昭和33年十一月場所、北葉山が入幕してきた。入幕5場所目には小結、7場所目には関脇であった。入幕から8場所連続勝ち越し... -
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時津風部屋が生んだ1横綱4大関 上
時津風部屋というと、大関正代、豊山が所属し、5月に断髪した豊ノ島が年寄井筒として在籍する部屋でもある。時津風部屋はいまや名門と呼ばれるまでになった。時津風部屋は、双葉山が立浪(元緑嶋)部屋から昭和16年双葉山相撲道場として独立したことに始... -
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複雑化する一門
一門は本場所が少ない時代、巡業組合だった。この巡業は独立採算制であった。現代は一門の意味が変化した。一門は理事、副理事を生むシステムとなった。一門は本家分家の系統を中心にかなり複雑化した形態に変わってきている。いまは理事は10人であり、そ... -
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2022年6月版二所ノ関の系統
元稀勢の里の二所ノ関が6月5日茨城・阿見町で部屋開きをおこなった。すでに独立していたが、そのとき稽古場は完成していなかった。つくば市の筑波大の稽古場を使用していた。ようやく持てた自分の城は1800坪という広大な敷地に建てられた。元琴風の尾車... -
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錦戸部屋の行く末
極芯道が五月場所限りで引退した。最後の場所は幕下55枚目で全休だった。極芯道は元十両だが、1場所なので印象は薄いかもしれない。それも今から3年半前の2018年十一月場所だから覚えていなくても無理はない。 2020年七月場所中に阿炎が師匠の指示で休場... -
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2022年5月相撲部屋勢力
力士の育成は相撲部屋とともにある。そこは鍛錬の場であり、生活の場でもある。相撲部屋の目標は強い力士を一人でも多く育てることにある。そこで五月場所の番付をもとに相撲部屋の勢力分布を表にしてみた。 <名門出羽海部屋> 幕内は横綱・大関との対戦... -
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相撲部屋最新事情
相撲部屋の栄枯盛衰はこの世の常であるが、定年とともに終わりを迎える部屋がある。三月場所はかつての尾車(元琴風)部屋の力士の所属が2通りの場内紹介に変わった。これは尾車親方が定年を前にして、三月場所の大阪宿舎のメドがたたないため、早めに部... -
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消えた横綱の相撲部屋5
花籠(元大ノ海)部屋から独立したのが元初代若乃花の二子山であった。龍虎が「自分も連れて行ってください」と嘆願したが、二子山は「それよりも早く強くなって花籠親方を安心させろ」と諭している。 <若乃花のブロマイド> 元初代若乃花の二子山は一代... -
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消えた横綱の相撲部屋4
伊勢ヶ濱部屋は清瀬川がのちに所属した楯山(元友響)部屋から部屋ごと譲りうけたときの名称である。この部屋を継いだのが元横綱照國であった。師匠存命中は荒磯部屋という名称だったが、のちに伊勢ケ濱部屋とした。大関清國はじめ関脇開隆山、小結黒瀬川... -
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消えた横綱の相撲部屋3
宮城山は四股名から宮城県出身と思いがちだが、岩手県出身である。さらに東西合併により大阪から来た横綱である。けれども、入門は出羽ノ海(当時は「ノ」の字があった)部屋であった。入門当時の師匠は常陸山寅吉だが、横綱常陸山谷右衛門の名声で多くの...