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複雑化する一門7

ニ所ノ関部屋は玉錦が大きくしようとした部屋である。玉錦が現役
で亡くなると、弟子の玉ノ海が二枚鑑札で引き継いだ。玉ノ海は大
方針を打ち立てた。弟子を育成する気のある者は独立を認めるとい
うことである。弟子をもたないと部屋持ちの親方におべっかを使う
ことになる。部屋持ちの親方の靴ひもを結ぶ部屋付きの親方の姿を
見かけたことに嫌気をさした、という。

<玉ノ海のブロマイド>

元玉ノ海のニ所ノ関は年寄名跡を佐賀ノ花に譲って角界から身を引
いた。ニ所ノ関(元佐賀ノ花)から芝田山→花籠(大ノ海)、佐渡
ヶ嶽(元琴錦)、片男波(元玉乃海)、大鵬(一代年寄)が独立し
た。押尾川(元大麒麟)は暫定ニ所ノ関(元十勝岩)から騒動の上
独立した。現在は佐渡ヶ嶽(元琴ノ若)部屋、片男波(元玉春日)
部屋、大鵬→大嶽(元大竜)部屋が引き継がれている。

本家ニ所ノ関は2代目海山-玉錦-玉ノ海-佐賀ノ花-(十勝岩)
-金剛と引き継がれたが、金剛の代であっさり消滅した。本家なき
一門、それがニ所一門である。

分家の分家
花籠(元大ノ海)からニ子山(元初代若乃花)、放駒(元魁傑)が
独立した。花籠は輪島が継いだが、借金の担保を年寄株にしたため
に相撲界を去っていった。佐渡ヶ嶽(元琴桜)から尾車(元琴風)
が独立した。尾車部屋は一代で終わっている。さらに元琴ノ若の佐
渡ヶ嶽のときに鳴戸(元琴欧洲)部屋が独立している。

分家の分家の分家
元初代若乃花の二子山部屋からは多くの部屋が誕生した。
1.藤島(元貴ノ花)
のちに二子山部屋と併合し、二子山部屋と改称した。息子貴乃花
(一代年寄)が引き継いだが、突然協会を離職した。弟子は元隆
三杉の千賀ノ浦部屋に移籍した。現在常盤山部屋に改称している。
2.間垣(元2代目若乃花)
両国に部屋を構えた。照ノ富士は間垣部屋に入門した。当時は若
三勝の四股名だった。間垣が部屋をたたむとき同郷青森の元旭富
士の伊勢ヶ濱に弟子を託した。

<二子山>

3.鳴戸(元隆の里)
鳴戸が急死して弟子の元隆の鶴が引き継いだ。だが、未亡人と話し
合いがつかず、田子ノ浦部屋として存続させた。
4.松ヶ根(元若嶋津)
途中ニ所ノ関に改称している。定年後は元玉乃島にゆずり、放駒部
屋として現在に至っている。
5荒磯(元ニ子岳)
50歳を過ぎてからの独立だった。一代で終えた。
6,花籠(元大寿山)
山梨に部屋を構えたことで話題になった。後に両国に移転している。
一代で終わった。

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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