大相撲

佐渡ヶ嶽部屋代々

2024年2月1日

佐渡ヶ嶽部屋から大関琴ノ若が誕生した。これで佐
渡ヶ嶽部屋はこれまで1横綱6大関を生み出してき
たことになる。横綱琴櫻、大関琴ヶ濱・琴風・琴欧
洲・琴光喜・琴奨菊・琴ノ若である。ここまでくれ
ば名門である。佐渡ヶ嶽部屋はいつ誕生し、どうい
う流れをたどってきたのか、調査してみた。

佐渡ヶ嶽部屋は初代琴錦が昭和30年、7人の弟子と
ともにニ所ノ関(元佐賀ノ花)部屋から独立した。
初代琴錦は玉錦が現役で亡くなったときの弟子で、
その時は序ノ口だった。ただ、内弟子だった琴ヶ
濱の移籍はかなわなかった。琴ヶ濱の移籍が実現
したのは3年以上経った昭和33年十一月場所であ
った。琴ヶ濱はすでに大関になっていた。

<元琴錦の佐渡ヶ嶽>

横綱琴櫻と師匠佐渡ヶ嶽(元初代琴錦)は引退をめ
ぐり、十分な話し合い合いが行われていなかかった。
引退を引っ込める、引っ込めないでもめ、感情的に
なってしまった。琴櫻は独立して白玉部屋をおこす
つもりでいた。実現していたら四股名に「琴」がつ
く力士は生まれなかっただろう。

ところがここで思いもよらぬ事態がおこった。病気
中であった佐渡ヶ嶽が突然亡くなってしまったのだ。
その結果琴櫻は急遽佐渡ヶ嶽を引き継ぐことになっ
た。まさに紙一重の継承であった。佐渡ヶ嶽(元初
代琴錦)がもう少し長生きしていたら歴史は間違い
なく変わっていた。

<元琴櫻の佐渡ヶ嶽>

佐渡ヶ嶽部屋は琴櫻の代で勢力を拡大した。熱心な
弟子のスカウト・指導が多くの弟子を育てた。大関
琴風、関脇琴錦・琴ノ若・琴ヶ梅・琴富士。小結琴
稲妻らを育てた。琴欧洲・琴光喜を関脇まで、琴奨
奨菊を幕内まで育てた。平成17年十一月場所中に定
年を迎えた。

<元琴ノ若の佐渡ヶ嶽>

娘婿である琴ノ若はその場で引退し、部屋を継承し
た。彼のもとで琴欧洲。琴光喜・琴奨菊が大関に育
った。佐渡ヶ嶽部屋は現在大関琴ノ若、幕内琴勝峰、
十両琴恵光(元幕内)を要している。幕下にはホー
プ琴手計・琴挙龍の若手力士が控えている。佐度ヶ
嶽部屋は前途洋々である。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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