元安念山=元2代目羽黒山の立浪は1999年2月定年を迎えようとし
ていた。しかし、後継者は弟子ではなかった。旭國、黒姫山、大翔
山は独立していた。大翔山は先代追手風(元追手山)の娘をもらっ
ていた。大島(元旭國)部屋出身の元旭豊を立浪の長女の婿養子に
した。そして元旭豊は元2代目羽黒山=安念山の定年後後継者とし
て歩むことになった。

ところが、先代立浪と現立浪(元旭豊)の間でトラブルはたえなか
った。はじまりは旭豊の引退相撲の利益を先代と長女(妻)に持ち
去られるという金銭トラブルだった。部屋の運営・指導でも意見が
食い違った。その結果先代立浪の長女とはその後離婚した。あらた
に相撲部屋の明け渡しと立浪の株の譲渡金1億7500万円の支払いを
争う裁判が始まった。この裁判は結局最高裁までいき、元旭豊が勝
訴している。
元双葉山の時津風はかつて所属した立浪部屋及び立浪一門とは違う
独自の道を進んだ。元殿りの荒汐部屋、元小田ノ山の甲山部屋、元
白岩の音羽山部屋を併合した。さらに元木村今朝三の錦島部屋も併
合している。また、井筒部屋が双葉山相撲道場に身を寄せた関係で
時津風一門に加わっている。そのため系統別総当たり制では立浪と
時津風の対戦及び時津風と井筒対戦はなかったが、立浪と井筒の対
戦はあった。

時津風は横綱鏡里、大関大内山・豊山(前名内田)・北葉山らを育
てた。理事長として部屋別総あたり制、番付削減に取組み、実施し
た。だが、理事長のまま56歳の若さで急逝してしまった。昭和43年
12月のことであった。部屋の後継者は元横綱であり、45歳になる元
鏡里だった。地位、年齢から当然の判断だった。
ところが双葉山未亡人の発言が時津風部屋の今後を変えた。主人の
意向は元豊山にあるという遺言があったというのである。急遽後継
者が変わることになった。元豊山は九月場所引退したばかりであっ
た。いわば新米親方であった。そういうことならと元鏡里は時津風
を降りた。元豊山は恐縮しながら時津風を襲名し、新たに師匠とな
った。
