現代相撲部屋の系統11

三保ヶ関部屋は大阪相撲の流れをくむ部屋である。師匠の元滝ノ海
が急死したため、増位山(父)ら弟子は以前から親交のあった出羽
海(元両国=前名国岩)部屋に身を寄せた。昭和21年のことである。
出羽一門に属しているのはこうしたいきさつである。

三保ヶ関部屋
三保ヶ関部屋

昭和25年、増位山(父)は引退後三保ヶ関部屋を興した。だが、部
屋の経営は苦しいものだった。昭和44年九月場所、大竜川が十両に
昇進した。部屋を復興させてから20年近くが立っていた。

三保ヶ関部屋が花開いたのは北の湖が17歳で十両入りしてからであ
る。北の湖は大横綱になるほどの逸材だった。さらに大関北天佑・
増位山(子)などが育っていった。元増位山(父)の三保ヶ関は名
伯楽といっていい育成の手腕を発揮した。

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北の湖と三保ヶ関(左)
北の湖と三保ヶ関(左)

昭和59年定年にともない、部屋は息子の元増位山に引き継がれた。
肥後ノ海、濱ノ嶋、把瑠都、阿覧などを育てた。平成25年9月、元
増位山(子)の三保ヶ関は定年を迎えた。後継者はいなかった。こ
れを機会に阿覧は引退した。三保ヶ関部屋は2代で消滅した。

三保ヶ関部屋から独立して現存する部屋は3つある。まず、北の湖
部屋である。一代年寄の部屋である。だが、病のため62歳の若さか
つ理事長のまま他界した。部屋は弟子の元巌雄の山響が引き継ぎ現
在に至っている。

息子増位山の三保ヶ関部屋から肥後ノ海と濱ノ嶋が独立した。肥後
ノ海は木瀬部屋を興した。2010年、チケットが暴力団に渡っていた
ことから部屋を閉鎖された時期があった。力士は北の湖部屋に移籍
した。木瀬部屋は2013年3月に復活し、多くの学生出身力士を抱え
た。育てた関取は清瀬海、徳勝龍、臥牙丸、英乃海、常幸龍、徳真
鵬、明瀬山、希善龍、高立、宇良などがいる。

篤勝隆と木瀬(右)
篤勝隆と木瀬(右)

濱ノ島の場合は尾上部屋を興した。その際連れていった力士は把瑠
都、里山の関取、幕下有望の白石(後の白乃波)で豪華な独立であ
った。ほかに天鎧鵬などを育てた。本家は消えたが、分家は3部屋
残った。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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