負け星が一つもない優勝、いわゆる全勝優勝は、その場所のすべての取組に勝って賜杯を抱くことを指す。文字どおりの完全優勝で、頂点に立つ力士でもそうそう手の届くものではない。この記事は、全勝優勝した力士を歴代でたどる一覧として、なかでも全勝優勝を3回以上達成した11人を軸に整理する。回数の多寡だけでなく、関脇や大関での全勝、何回目の優勝で全勝に届いたかといった切り口まで踏み込んで並べていく。
全勝と1敗は大変な違いだよ
― 元横綱・安藝ノ海 永田氏
全勝優勝とは|公式制度は大正15年から
全勝優勝とは、その場所の全取組に勝って優勝することをいう。一敗もしない完全優勝である。大相撲で優勝を公式の制度として定めたのは大正15年から。それ以前の記録は、後年になって遡って整理されたものが混じる。たとえば常ノ花は優勝8回・全勝2回とされるが、これは制度が整う前後の経緯から別扱いになっている。
全勝優勝を3回以上達成した11人(一覧)
全勝優勝を3回以上成し遂げた力士は、長い大相撲の歴史でも11人しかいない。回数の多い順に並べると次のようになる。
| 力士 | 全勝優勝 |
|---|---|
| 白鵬 | 16回 |
| 双葉山 | 8回 |
| 大鵬 | 8回 |
| 北の湖 | 7回 |
| 千代の富士 | 7回 |
| 羽黒山 | 4回 |
| 貴乃花 | 4回 |
| 朝青龍 | 4回 |
| 北の富士 | 3回 |
| 輪島 | 3回 |
| 日馬富士 | 3回 |
なお、この11人とは別に常ノ花がいる。優勝8回・全勝2回を記録しているが、公式の優勝制度が整う前後の経緯から、ここでは別扱いとして並べていない。
関脇・大関での全勝優勝
全勝優勝の大半は横綱が成し遂げているが、その下の地位で全勝した例もある。関脇で全勝優勝したのは双葉山ただ一人。ただし11戦全勝で、当時の年2場所制という時代の限界がそこにある。双葉山はこのとき69連勝の途上にいた。羽黒山には、戦中・戦後の混乱期に10戦全勝の場所が2つある。

大関で連続して全勝優勝した力士となると、さらに絞られて3人になる。双葉山は新大関とその翌場所を、いずれも11戦全勝で駆け抜けた(年2場所制、大関での勝率100%)。貴乃花は大関10場所目・11場所目に連続全勝、通算では6回目・7回目の優勝にあたる。日馬富士は大関21場所目・22場所目に連続全勝、こちらは通算3回目・4回目の優勝だった。

横綱は何回目の優勝で全勝優勝したか
同じ全勝優勝でも、何度目の優勝でそこに届いたかは力士によって大きく違う。10大横綱のうち貴乃花を除く面々を見ると、大鵬は11回目の優勝で初めて全勝、北の湖は8回目、千代の富士も8回目、朝青龍は5回目だった。白鵬だけは3回目という早さで、しかもこれは大関時代の達成である。残る面々はいずれも横綱に上がってからの全勝だった。

大鵬が初めて全勝優勝を遂げた場所、終生のライバルと並び称された柏戸は全休していた。さらに大鵬は、北の富士と玉の海の全勝を土俵際でつぶし続けた。両者がそろって全勝優勝を果たすのは、大鵬が引退したあとのことになる。
回数の白鵬、率の双葉山
全勝優勝の回数では白鵬の16回が群を抜く。ただ、優勝に占める全勝の割合という物差しを当てると、景色は変わる。双葉山は12回の優勝のうち8回が全勝で、全勝優勝率は66.7%にのぼる。白鵬は45回の優勝のうち16回が全勝、率にすると35.6%である。回数では白鵬が最多だが、率の点では双葉山に遠く及ばない。どちらを上と見るかは、数字の読み方しだいだ。
白鵬の全勝優勝を一場所ずつ追った記録は、白鵬10大記録・全勝優勝でくわしくたどっている。
直近の全勝優勝と現状
直近の全勝優勝は、令和3年11月場所の照ノ富士までさかのぼる。それ以降は出ておらず、この記事の時点で20場所が経過した。負け星のない優勝がいかに難しいか、この間隔そのものが物語っている。その照ノ富士の一番については、福岡千秋楽・照ノ富士の全勝優勝でふり返っている。
次の全勝優勝は誰がいつ成し遂げるのか。近年では大の里がその焦点に挙がった場所もあった(大の里の全勝優勝が場所の焦点に)。予想はまるでつかないが、途絶えた記録が次に動く瞬間を待ちたい。
よくある質問
全勝優勝を一番多くしたのは?
白鵬で、16回の全勝優勝を記録している。歴代でこの回数に並ぶ力士はいない。
全勝優勝の制度はいつから?
大相撲で優勝を公式の制度として定めたのは大正15年からである。それ以前の記録には、後年に遡って整理されたものが含まれる。
関脇で全勝優勝した力士は?
双葉山ただ一人で、11戦全勝での達成だった。このとき双葉山は69連勝の途上にいた。
最近の全勝優勝は?
令和3年11月場所の照ノ富士が直近で、以降は出ていない。この記事の時点で20場所が経過している。