現代は2横綱・1大関と横綱・大関は3人と少数派である。最低2
横綱2大関と番付を東西にそろえたいところであるが、そうはいか
ない。このような傾向はいつごろ始まったのか。早速調査してみる
ことにした。

傾向としてはどうも令和からである。まず、番付上横綱・大関が3
人以下だった場所が以下である。
令和2年3月横綱白鵬・鶴竜、大関貴景勝
令和3年11月~1月横綱照ノ富士、大関正代・貴景勝
令和4年11月横綱照ノ富士、大関正代・貴景勝
令和5年1月~5月横綱照ノ富士、大関貴景勝
令和5年7月横綱照ノ富士、大関貴景勝・霧島
令和6年9月横綱照ノ富士、大関琴櫻・豊昇龍
令和7年3月~5月横綱豊昇龍、大関大の里・琴桜
令和7年7月横綱豊昇龍・大の里、大関琴櫻
12場所に及んでいる。要因はどこにあるのか。白鵬・鶴竜が晩年及
び引退があった。新横綱照ノ富士は2場所目から一人横綱であった。
大関に昇進しても降格が多かった。などがあげられる。
次に横綱・大関フル出場が4人以上の場所をあげてみよう。
令和4年5月横綱照ノ富士、大関御嶽海・正代・貴景勝
この1場所のみである。令和は来たる七月場所までで36場所である。
なお、令和2年五月場所は中止になっている。よって番付上横綱・
大関3人以下を別にした横綱・大関のフル出場3人以下の場所数は
23場所になる。

トータルで横綱・大関のフル出場3人以下の少数派は令和では実質
35場所に及ぶことになる。要するにほとんどである。平成24年五月
場所から3場所、6大関時代があった。把瑠都、日馬富士、稀勢の
里、琴奨菊、琴欧洲、鶴竜である。今は昔、横綱・大関のフル出場
少数派時代はしばらく続きそうである。