大相撲

続10大横綱の小結関脇時代

引き続き10大横綱の小結関脇時代をみていこう。こ
こからは部屋別総当たり制での横綱である。

北の湖
輪島、貴ノ花、魁傑の時代が来るとの見方に割って
入ってきた力士が怪童北の湖であった。新小結では
4勝11敗と大敗した。4場所後再小結で勝ち越し。
翌場所関脇に昇進した。千秋楽は負傷をおしての出
場で大関大麒麟に勝って10勝をあげた。この10勝が
大きな意味をもつことになった。

<北の湖>

その翌場所昭和49年一月場所初日、横綱輪島と対戦
した。横綱と関脇が初日に対戦というのは異例だっ
た。北の湖は輪島に勝つとあれよあれよと突っ走っ
て14勝1敗で優勝してしまった。同時に大関昇進を
決定づけた。

千代の富士
千代の富士は投げ主体の相撲だった。脱臼癖があり、
これが千代の富士の出世を阻んでいた。新小結は5
勝10敗で大敗した。再小結は11場所後だった。ここ
でも6勝9敗と負け越している。

<千代の富士>

千代の富士は筋肉の鎧で脱臼を防御した。さらに前
みつを取って出る相撲に変えたことで変貌した。関
脇2場所目に千代の富士は開花した。千秋楽14勝で
1敗横綱北の湖と激突した。本割では北の湖が勝っ
て優勝決定戦になった。決定戦では千代の富士が出
し投げで勝って初優勝した。相撲ファンは新しい英
雄に熱狂した。

貴乃花
小結関脇時代は貴花田の四股名で取っていた。貴花
田は初優勝以前に小結関脇を経験していた。新小結
では11勝4敗で殊勲賞と技能賞を獲得している。新
関脇では7勝8敗で平幕に降格している。平幕での
初優勝は関脇から2場所後である。初優勝の翌場所
関脇に復帰したが、5勝10敗と大敗している。その
3場所後の平成4年九月場所小結で2回目の優勝を
している。これを足がかりにして大関に昇進してい
る。

<貴花田>

朝青龍
朝青龍の下地は明徳義塾に相撲留学していたことで
ある。モンゴルと日本の貨幣価値からいって大変な
留学費だったろうと想像する。そのせいか、朝青龍
はスピード出世だった。入幕3場所目は小結だった。
連続小結後平幕に降格するが、1場所で復帰。連続
5場所小結関脇で大関昇進を決めてしまった。横綱
貴乃花は致命的な負傷で連続休場中であった。部屋
別総当たり制5大横綱の小結関時代では最も勝率が
いい。

<朝青龍>

白鵬
白鵬の新小結は入幕5場所目だった。新小結では11
勝4敗で技能賞を獲得している。入幕から負け越し
なしだったが、関脇3場所目に左足関節靱帯損傷に
より途中休場している。1場所後に小結に復帰した。
その後連続13勝で大関昇進を果たした。横綱は朝青
龍だけで、難敵は一人だった。

<白鵬>

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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