大相撲

10大横綱の小結関脇時代

10大横綱は実質横綱が地位化した常陸山以降の横綱
を意味する。大横綱の小結関脇はどうであったか。
調べてみた。

常陸山
常陸山が関脇だった時期は明治33年夏場所から2場
所である。小結の経験はない。横綱は小錦だったが、
同じ片屋で対戦はない。対戦した大関は梅ノ谷と大
砲だった。常陸山は幕下で1度脱走している。復帰
後めきめき強くなり、関脇2場所で大関になってい
る。関脇時代に2回目の幕内最高成績をあげている。

<常陸山のブロマイド>

太刀山
人によっては、史上最強は雷電か太刀山をあげてい
る。その太刀山は関脇8場所かかって大関になった。
4年に及んだわけである。その中に4勝で途中休場
があるが、番付は関脇のままだった。対戦した横綱
は常陸山、大関は駒ヶ嶽であった。

<太刀山のブロマイド>

栃木山
大正5年夏場所、歴史的一番がおこなわれた。8日
目(当時は10日制)、横綱太刀山が5年ぶり黒星を
小結栃木山からきっした日であった。よく太刀山の
56連勝がストップしたという言い方がされるが、そ
れは違う。その中には太刀山の都合による全休が3
場所もあるのだ。栃木山は小結1場所関脇1場所で
大関にあがっている。

<栃木山のブロマイド>

双葉山
春秋園事件で大量の力士が脱退し、十両の双葉山は
繰り上げ入幕となった。十両で力をつけるべきとこ
ろだったが、それがなく幕内では苦労していた。最
初の小結では負け越している。3場所後、関脇にあ
がった双葉山は第一人者の横綱玉錦を寄り倒して初
優勝を成し遂げた。この一番は「覇者交代の一番」
とよばれた 。

<双葉山のブロマイド>

大鵬
大鵬は彗星のごとくあらわれた。新入幕の場所初日
からから11連勝。期待の星大鵬は予想以上のスピー
ド出世をとげた。新小結は入幕4場所目。その2場
所後には関脇で初優勝している。関脇で優勝しなが
ら三賞はないという珍記録を作っている。

<大鵬のブロマイド>

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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