横綱在位が短い、あるいは横綱としてのフル出場が極端に少ない横綱を「短命横綱」と呼ぶ。常陸山以降で在位が終わった55人を協会公式の在位期間で短い順に並べると、最短は大阪相撲の横綱だった大木戸の13か月、次が琴櫻・三重ノ海・双羽黒の15か月だった。田口は、短命横綱の多くは高齢での昇進(琴櫻32歳・三重ノ海31歳)か、大ケガ(武蔵山・稀勢の里)によると見ている。
弱い横綱・史上最弱の横綱という見方からの考察は史上最弱の横綱は誰かに、負け越した場所と番付の扱いは横綱が負け越したらどうなるにまとめた。
短命横綱とは
いったん横綱になれば、引退後は元横綱である。しかし、そんな単純な図式で横綱ははかれない、と田口は書く。
横綱にもピンキリがあり、おのずと格付けがある。弱い横綱と大横綱が同格のはずはない。
短命横綱は、文字どおり横綱在位が短い場合を指す。もうひとつ、横綱でのフル出場が極端に少ない場合もあり、田口はこれを実質的な短命横綱と見ている。
短命横綱とその理由|田口が挙げた顔ぶれ
田口は短命横綱を表にまとめ、戦前では鳳・2代目西ノ海・3代目西ノ海・武蔵山、戦後では前田山・琴櫻・三重ノ海・双羽黒・旭富士・3代目若乃花・稀勢の里を挙げている。そのうち理由まで書いている横綱を、田口の記述から並べた。
| 横綱 | 短命・実質短命の理由(田口の記述から) |
|---|---|
| 2代目西ノ海 | 横綱になったときは、すでに晩年だった |
| 武蔵山 | 沖ツ海戦で破壊された右腕で、満足に土俵を務められなかった |
| 前田山 | 横綱としての好成績が皆無。休場中の日米野球観戦で引退を強いられた |
| 琴櫻 | 32歳での横綱昇進 |
| 三重ノ海 | 31歳での横綱昇進(短い在位で連続優勝・全勝優勝は達成) |
| 双羽黒 | 優勝なしで昇進し、師匠との確執から相撲界を去った |
| 旭富士 | 双羽黒の影響で2場所連続優勝が絶対とされ、昇進が遅れた |
| 3代目若乃花 | 2場所連続優勝で昇進したが、その後は苦難の連続 |
| 稀勢の里 | 新横綱の場所で致命的な負傷を負い、休場がちになった |
こうしてみると、短命横綱は高齢での昇進か、大ケガによるところが大きい。田口は、とりわけ前者は防げるはずで、それが歴史の戒めだと書いている。
短命横綱ランキング|横綱在位が短い順(常陸山以降の55人)
在位が最も短いのは大阪相撲の横綱だった大木戸の13か月。大阪相撲の4人を除くと、琴櫻・三重ノ海・双羽黒の15か月が最短で、旭富士の17か月、玉の海の19か月と続く。
数字はすべて日本相撲協会の公式サイトのもの。在位月数は在位の開始月から終了月までを数えた月数で、場所数ではない。年間の本場所数は時代によって違うので、月数の長短がそのまま務めた場所数の多少にはならない。
幕内通算成績は横綱在位中の成績ではない。協会は横綱在位中だけの勝敗を公表しておらず、前頭・大関時代を含む幕内通算しか出していない。在位が続いている第74代豊昇龍・第75代大の里は、在位が確定していないので入れていない。
この並びが表すのは在位の長さだけで、短い理由までは表さない。現役のまま亡くなった第51代玉の海も同じ列に入っている。※印の4人は大阪相撲の横綱で、表には公式が「幕内戦歴」として出している東京相撲の記録を載せ、記載が無い欄は「-」にした。
| 短い順 | 代位 | 四股名(出身地) | 横綱在位 | 在位月数 | 幕内通算成績(公式表記) | 優勝 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 第23代※ | 大木戸 森右衛門 兵庫県神戸市 | 大正2年1月~大正3年1月 | 13か月 | - | 10(大阪相撲) |
| 2 | 第53代 | 琴櫻 傑将 鳥取県倉吉市 | 昭和48年3月~昭和49年5月 | 15か月 | 553勝345敗77休(65場所) | 5 |
| 3 | 第57代 | 三重ノ海 剛司 三重県松阪市 | 昭和54年9月~昭和55年11月 | 15か月 | 543勝413敗1分51休(68場所) | 3 |
| 4 | 第60代 | 双羽黒 光司 三重県津市 | 昭和61年9月~昭和62年11月 | 15か月 | 197勝87敗16休(20場所) | 0 |
| 5 | 第63代 | 旭富士 正也 青森県つがる市 | 平成2年9月~平成4年1月 | 17か月 | 487勝277敗35休(54場所) | 4 |
| 6 | 第51代 | 玉の海 正洋 愛知県蒲郡市 | 昭和45年3月~昭和46年9月 | 19か月 | 469勝221敗(46場所) | 6 |
| 7 | 第21代※ | 若島 権四郎 千葉県市川市 | 明治38年6月~明治40年1月 | 20か月 | 13勝26敗4分1預(6場所) | 4(大阪相撲) |
| 8 | 第66代 | 若乃花 勝 東京都中野区 | 平成10年7月~平成12年3月 | 21か月 | 487勝250敗124休(58場所) | 5 |
| 9 | 第72代 | 稀勢の里 寛 茨城県牛久市 | 平成29年3月~平成31年1月 | 23か月 | 714勝453敗97休(85場所) | 2 |
| 10 | 第39代 | 前田山 英五郎 愛媛県八幡浜市 | 昭和22年11月~昭和24年10月 | 24か月 | 206勝104敗39休(27場所) | 1 |
| 11 | 第25代 | 西ノ海 嘉治郎 鹿児島県西之表市 | 大正5年5月~大正7年5月 | 25か月 | 106勝38敗27分9預70休(25場所) | 1 |
| 12 | 第59代 | 隆の里 俊英 青森県青森市 | 昭和58年9月~昭和61年1月 | 29か月 | 464勝313敗80休(58場所) | 4 |
| 13 | 第46代 | 朝潮 太郎 鹿児島大島郡徳之島町 | 昭和34年5月~昭和36年11月 | 31か月 | 431勝248敗101休(52場所) | 5 |
| 14 | 第49代 | 栃ノ海 晃嘉 青森県南津軽郡田舎館村 | 昭和39年3月~昭和41年11月 | 33か月 | 315勝181敗104休(40場所) | 3 |
| 15 | 第50代 | 佐田の山 晋松 長崎県南松浦郡新上五島町 | 昭和40年3月~昭和43年3月 | 37か月 | 435勝164敗61休(44場所) | 6 |
| 16 | 第33代 | 武蔵山 武 神奈川横浜市 | 昭和11年1月~昭和14年5月 | 41か月 | 174勝69敗2分71休(28場所) | 1 |
| 17 | 第73代 | 照ノ富士 春雄 モンゴル・ウランバートル | 令和3年9月~令和7年1月 | 41か月 | 366勝207敗197休(52場所) | 10 |
| 18 | 第28代※ | 大錦 大五郎 愛知県弥富市 | 大正7年5月~大正11年1月 | 45か月 | - | 6(大阪相撲) |
| 19 | 第62代 | 大乃国 康 北海道河西郡芽室町 | 昭和62年11月~平成3年7月 | 45か月 | 426勝228敗105休(51場所) | 2 |
| 20 | 第37代 | 安藝ノ海 節男 広島県広島市 | 昭和18年1月~昭和21年11月 | 47か月 | 142勝59敗38休(18場所) | 1 |
| 21 | 第43代 | 吉葉山 潤之輔 北海道石狩市 | 昭和29年3月~昭和33年1月 | 47か月 | 304勝151敗1分79休(37場所) | 1 |
| 22 | 第45代 | 若乃花 幹士 青森県弘前市 | 昭和33年3月~昭和37年3月 | 49か月 | 546勝235敗4分55休(57場所) | 10 |
| 23 | 第52代 | 北の富士 勝昭 北海道旭川市 | 昭和45年3月~昭和49年7月 | 53か月 | 592勝294敗62休(64場所) | 10 |
| 24 | 第67代 | 武蔵丸 光洋 米国ハワイ・オアフ島 | 平成11年7月~平成15年11月 | 53か月 | 706勝267敗115休(73場所) | 12 |
| 25 | 第56代 | 若乃花 幹士 青森県南津軽郡大鰐町 | 昭和53年7月~昭和58年1月 | 55か月 | 512勝234敗70休(55場所) | 4 |
| 26 | 第61代 | 北勝海 信芳 北海道広尾郡広尾町 | 昭和62年7月~平成4年3月 | 57か月 | 465勝206敗109休(52場所) | 8 |
| 27 | 第42代 | 鏡里 喜代治 青森県三戸郡三戸町 | 昭和28年3月~昭和33年1月 | 59か月 | 360勝163敗28休(38場所) | 4 |
| 28 | 第24代 | 鳳 谷五郎 千葉県印西市 | 大正4年6月~大正9年5月 | 60か月 | 108勝49敗7分8預68休(24場所) | 2 |
| 29 | 第70代 | 日馬富士 公平 モンゴル・ゴビアルタイ | 平成24年11月~平成29年11月 | 61か月 | 712勝373敗85休(78場所) | 9 |
| 30 | 第32代 | 玉錦 三右衛門 高知県高知市 | 昭和8年1月~昭和13年5月 | 65か月 | 308勝92敗1分2痛分17休(38場所) | 9 |
| 31 | 第44代 | 栃錦 清隆 東京都江戸川区 | 昭和30年1月~昭和35年5月 | 65か月 | 513勝203敗1分44休(52場所) | 10 |
| 32 | 第30代 | 西ノ海 嘉治郎 鹿児島霧島市 | 大正12年5月~昭和3年10月 | 66か月 | 134勝60敗2分2預116休(30場所) | 1 |
| 33 | 第26代 | 大錦 卯一郎 大阪府大阪市 | 大正6年5月~大正12年1月 | 69か月 | 119勝16敗3分32休(17場所) | 5 |
| 34 | 第34代 | 男女ノ川 登三 茨城県つくば市 | 昭和11年5月~昭和17年1月 | 69か月 | 247勝136敗1痛分33休(35場所) | 2 |
| 35 | 第40代 | 東富士 謹一 東京都台東区 | 昭和24年1月~昭和29年9月 | 69か月 | 261勝104敗1分1痛分54休(31場所) | 6 |
| 36 | 第31代 | 常ノ花 寛市 岡山県岡山市 | 大正13年5月~昭和5年5月 | 73か月 | 221勝58敗8分6預68休(34場所) | 10 |
| 37 | 第22代 | 太刀山 峰右衛門 富山県富山市 | 明治44年6月~大正7年1月 | 80か月 | 195勝27敗10分5預(31場所) | 9 |
| 38 | 第68代 | 朝青龍 明徳 モンゴル・ウランバートル | 平成15年3月~平成22年1月 | 83か月 | 596勝153敗76休(55場所) | 25 |
| 39 | 第71代 | 鶴竜 力三郎 モンゴル・スフバートル | 平成26年5月~令和3年3月 | 83か月 | 645勝394敗231休(85場所) | 6 |
| 40 | 第27代 | 栃木山 守也 栃木県栃木市 | 大正7年5月~大正14年5月 | 85か月 | 166勝23敗6分1痛分4預(22場所) | 9 |
| 41 | 第41代 | 千代の山 雅信 北海道松前郡福島町 | 昭和26年9月~昭和34年1月 | 89か月 | 366勝149敗2分147休(46場所) | 6 |
| 42 | 第47代 | 柏戸 剛 山形県鶴岡市 | 昭和36年11月~昭和44年7月 | 93か月 | 599勝240敗140休(66場所) | 5 |
| 43 | 第54代 | 輪島 大士 石川県七尾市 | 昭和48年7月~昭和56年3月 | 93か月 | 620勝213敗85休(62場所) | 14 |
| 44 | 第35代 | 双葉山 定次 大分県宇佐市 | 昭和13年1月~昭和20年11月 | 95か月 | 276勝68敗1分33休(31場所) | 12 |
| 45 | 第64代 | 曙 太郎 米国ハワイ・オアフ島 | 平成5年3月~平成13年1月 | 95か月 | 566勝198敗181休(63場所) | 11 |
| 46 | 第65代 | 貴乃花 光司 東京都中野区 | 平成7年1月~平成15年1月 | 97か月 | 701勝217敗201休(75場所) | 22 |
| 47 | 第29代※ | 宮城山 福松 岩手県一関市 | 大正11年5月~昭和6年1月 | 105か月 | 90勝70敗1痛分26休(17場所) | 2 4(大阪相撲) |
| 48 | 第48代 | 大鵬 幸喜 北海道川上郡弟子屈町 | 昭和36年11月~昭和46年5月 | 115か月 | 746勝144敗136休(69場所) | 32 |
| 49 | 第58代 | 千代の富士 貢 北海道松前郡福島町 | 昭和56年9月~平成3年5月 | 117か月 | 807勝253敗144休(81場所) | 31 |
| 50 | 第38代 | 照國 万蔵 秋田県湯沢市 | 昭和18年1月~昭和28年1月 | 121か月 | 271勝91敗74休(32場所) | 2 |
| 51 | 第19代 | 常陸山 谷右衛門 茨城県水戸市 | 明治37年1月~大正3年5月 | 125か月 | 150勝15敗22分2預(32場所) | 1 |
| 52 | 第55代 | 北の湖 敏満 北海道有珠郡壮瞥町 | 昭和49年9月~昭和60年1月 | 125か月 | 804勝247敗107休(78場所) | 24 |
| 53 | 第20代 | 梅ケ谷 藤太郎 富山県富山市 | 明治37年1月~大正4年6月 | 138か月 | 168勝27敗47分2預(36場所) | - |
| 54 | 第36代 | 羽黒山 政司 新潟県新潟市 | 昭和17年1月~昭和28年9月 | 141か月 | 321勝94敗1分117休(39場所) | 7 |
| 55 | 第69代 | 白鵬 翔 モンゴル・ウランバートル | 平成19年7月~令和3年9月 | 171か月 | 1093勝199敗253休(103場所) | 45 |
戦前の短命横綱|鳳・2代目西ノ海・3代目西ノ海・武蔵山
明治・大正・昭和戦前の短命横綱を、田口は次の表にまとめている。

年2場所の時代である。年数は経過しても休場が多い。フル出場ができないのは横綱の務めが不十分だった証だ、と田口は書く。
表には鳳と3代目西ノ海も入っている。本文で田口が理由を書いているのは2代目西ノ海と武蔵山で、2代目西ノ海が横綱になったときは、すでに晩年だった。武蔵山は沖ツ海戦で破壊された右腕のために、満足に土俵を務められなかった。

戦後の短命横綱|前田山から稀勢の里まで
戦後の短命横綱は次のとおり。

前田山・琴櫻・三重ノ海
前田山は、横綱としての好成績が皆無だった。休場中に日米野球を観戦して、引退を強いられている。
琴櫻は32歳での横綱昇進で、最初から大きな期待はできなかった。31歳で横綱になった三重ノ海も同様だったが、三重ノ海は短い横綱在位のあいだに連続優勝と全勝優勝を成し遂げている。

双羽黒|優勝なしで昇進し、相撲界を去った
双羽黒は優勝のないまま横綱に昇進した。横綱審議委員会の稲葉修氏は「優勝のない力士が横綱になるのはおかしい」と発言したが、協会は押し切ってしまった。
やがて師匠の立浪親方(元2代目羽黒山=安念山)との確執がおこり、修復できない間柄になる。結局、双羽黒は相撲界を去るという前代未聞の事態になった。

旭富士・3代目若乃花・稀勢の里
旭富士は、もっと前に横綱になってもおかしくない時期があった。ところが双羽黒の影響で、2場所連続優勝が昇進の絶対条件とされる時代に入っていた。その最初の対象になったのが旭富士である。
3代目若乃花の横綱は予想できなかった、と田口は振り返る。2場所連続優勝で昇進したものの、その後は苦難の連続だった。
稀勢の里は新横綱の場所で致命的な負傷を負い、以後は休場がちになる。強い稀勢の里は、ついに戻ってこなかった。

短命横綱についてよくある質問
Q. 短命横綱とは何ですか?
横綱在位が短い横綱、または横綱としてのフル出場が極端に少ない横綱を指します。田口は後者も実質的な短命横綱と見ており、原因の多くは高齢での昇進か大ケガだとしています。
Q. 横綱在位がいちばん短いのは誰ですか?
常陸山以降で在位が終わった55人では、大阪相撲の横綱だった大木戸の13か月が最短です。大阪相撲の4人を除くと、琴櫻・三重ノ海・双羽黒の15か月が最短になります(在位の開始月から終了月までの月数)。
Q. 双羽黒は優勝なしで横綱になったのですか?
はい。田口は、双羽黒が優勝のないまま横綱に昇進したと書いています。横綱審議委員会の稲葉修氏が異を唱えましたが協会は押し切り、双羽黒はのちに師匠との確執の末に相撲界を去りました。横綱に上がってから優勝できなかった横綱は横綱になって優勝できなかった力士にまとめています。
Q. 史上最弱の横綱は誰ですか?
NHKの番組は前田山を「史上最弱の横綱」と紹介しました。田口は2015年の連載で昭和・平成の横綱ワースト10を選び、「あえて順位をつけるとしたら休場が多すぎ、満足に土俵にあがれなかった武蔵山を1位にあげる。差がなく2位が前田山である。」と書いています(横綱ワースト10 3)。弱い横綱の条件と考察は史上最弱の横綱は誰かにまとめています。
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