高砂部屋の系統について触れていこう。

高砂部屋の始まりは風雲児高砂浦五郎からである。明治11年5月、
高砂は高砂部屋をおこした。主な弟子に横綱免許を許された初代西
ノ海、さらに小錦が免許を許された。明治33年3月一代の風雲児は
波乱の生涯を終えた。61歳であった。2代目高砂となったのが元高
見山宗五郎の阿武松だった。温厚な人柄で人望があり、取締になっ
た。

2代目高砂が亡くなると後継争いがおきた。2代朝潮と綾川(前名
響矢)の間で争われた。結局3代高砂は2代朝潮に決定した。昭和
16年12月、3代高砂(元2代朝潮)は62歳で隠居して、翌年1月前
田山が現役と親方の二枚鑑札の形で4代高砂となった。
昭和17年1月、前田山が4代高砂となったとき、まだ大関だった。
引退後元前田山は4代高砂として数多くの弟子を育てた。横綱朝潮、
関脇若前田、前ノ山政三、高錦、愛宕山、前ヶ潮、小結富士錦、関
脇前田川、朝ノ海、東錦、朝岡、 大関前の山太郎、小結高見山(の
ち関脇)、朝嵐などがいる。特に外国人を本格的に入門させたパイ
オニアであった。

昭和46年8月17日、4代高砂(元前田山)が死去した。57歳だった。
5代高砂を引き継いだのは、元横綱朝潮であった。以前振り分け部
屋をおこしたが、本家に戻ってきていた。5代高砂は先代の弟子富
士櫻を関脇に育てた。さらに大関5代朝潮、大関小錦、関脇水戸泉、
南海龍らを育てた。
昭和63年10月23日、5代高砂(元横綱朝潮)が死去。58歳だった。
あとを継いだのは元小結富士錦の尾上であった。あだ名は平和ちゃ
んであった。高砂の本家は平成14年2月5日、定年が近い元富士錦
の高砂と元5代朝潮の若松の年寄名跡を交換した。こうして高砂部
屋と若松部屋が併合する形で5代朝潮が7代高砂となった。7代高
砂は横綱朝青龍、大関朝乃山、関脇朝赤龍らを育てた。

令和2年末、7代高砂親方(元大関・朝潮)が相撲協会の定年を迎
えた。後継指名したのは元朝赤龍の錦島親方であった。元朝赤龍は
モンゴル出身で帰化していた。現在幕内に朝紅龍、朝乃山、朝白龍
を要している。当分は元朝赤龍の8代高砂が続くことになる。