物心がついたとき、取組は系統別であった。系統は本家と分家の関
係がベースになっていた。伊瀬ノ海部屋はそれがなく、柏戸は時津
風部屋の豊山と対戦している。孤軍奮闘であった。出羽一門、ニ所
一門は認識していた。
元々一門は巡業の共同組合のようなものであった。現在一門は理事
を生み出す共同組織となった。部屋のルーツからみると、現在の一
門は複雑化している。一門のルーツを色分けした表が以下である。
出羽海部屋は明治の角聖常陸山が一代で大きくした部屋である。元
常陸山の出羽海から独立許可をえていたのが栃木山であった。出羽
海が元両国(前名国岩)の代のとき元栃木山は春日野部屋を創設し
た。出羽海部屋が分家独立を許さずの不文律は元両国(前名国岩)
からである。
元出羽ノ花が出羽海のとき佐田の山が娘婿となった。これで元千代
の山の出羽海の目がなくなり、北の富士らをつれて独立した。破門
独立でそれが現在の九重(元千代大海)、八角(元北勝海)部屋に
つながっている。
元佐田の山の出羽海の代で分家独立を許さずの不文律は事実上なく
なった。元三重ノ海が武蔵川部屋をおこした。これが現在の藤島
(元武双山)部屋である。元両国(前名小林山)が独立して中立部
屋を創設した。これが現在の境川部屋である。
(この項目続く)