大相撲

横綱受難時代

朝青龍が横綱の時代、あるいは白鵬の横綱時代は一
人横綱だろうが何の心配もなかった。年齢が若かっ
たこともある。まさに優勝をほとんど独占できた。
ともに7連覇している。白鵬は63連勝という記録ま
でつくった。

<朝青龍>

それ以降の横綱はどうであったか。横綱デビューは
以下であった。
2011年十一月場所日馬富士
2014年五月場所 鶴竜
2017年三月場所 稀勢の里
2023年九月場所 照ノ富士

日馬富士から照ノ富士まで22年経過して横綱は4人
である。5年余りに1回しか横綱は誕生していない。

横綱2人がフル出場したのは2020年三月場所である。
無観客場所のときで、白鵬と鶴竜のときである。も
はや遠い昔になりつつある。

横綱不在は実質横綱が地位化した常陸山以降は2回
しかない。昭和6年春場所横綱宮城山が引退すると
翌場所から昭和7年10月場所まで横綱不在だった。
昭和8年春場所、玉錦が横綱に昇進して解消した。

<白鵬>

もう1回は最近である。平成4年一月場所、横綱旭
富士が引退。その年の五月場所前北勝海が28歳で引
退して平成4年五月場所から横綱不在となった。平
成5年一月場所曙が横綱デビューして横綱不在は解
消された。

一人横綱照ノ富士の寿命は尽きようとしている。横
綱不在となったら(実質不在同然であるが)しばら
く続くかもしれない。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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