常陸山の新入幕は明治32年春場所であった。地位は
前頭4枚目であった。なぜ、そんな高い地位だった
のか。前場所十両筆頭で9勝1分であった。しかも
新十両であった。
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幕内は14枚目しかなかった。さらに同じ片屋同士の
対戦はなかった。前頭4枚目だから新入幕で三役と
対戦している。
大関鳳凰に勝ち、関脇大砲と引き分け、小結梅ノ谷
に勝って8勝1分の成績を残した。新入幕の常陸山
は脅威の新人であった。ただ、翌場所は前頭筆頭に
番付をあげたが、全休している。
太刀山の入幕は明治36年春場所である。大砲、梅ケ
谷と同じ片屋で前頭9枚目であった。だが、初日大
関常陸山といきなり対戦した。この一番には敗れた
が、張出大関朝汐、関脇稲川に勝ち、6勝3敗の成
績を残した。
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太刀山が常陸山をこえるのは、大関になってからで
ある。常陸山は休場が多くかったが、太刀山は連勝
を積み重ねていった。引き分けを挟んで46連勝を記
録している。この後56連勝したという記録は間違い。
自己都合の全休を3場所はさんでいる。
栃木山の新入幕は大正4年春場所である。同じ出羽
海部屋の大錦が奇しくも同じ場所新入幕を果たして
いる。前頭16枚目の栃木山は8勝2敗と健闘した。
前頭12枚目の大錦は8勝1敗1対戦相手休であった。
幕内最高成績(優勝制度はまだない)は鳳の10勝で
あった。
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杤木山と大錦の出世争いは常に大錦が先行した。だ
が、大錦は三河島事件の責任を取って髷を切ってい
る。こうしたこともあって栃木山が台頭することに
なった。弟子栃錦にとって栃木山と双葉山は神様で
あった。
(この項目続く)