大相撲

消えた横綱の相撲部屋5

花籠(元大ノ海)部屋から独立したのが元
初代若乃花の二子山であった。龍虎が「自分
も連れて行ってください」と嘆願したが、
二子山は「それよりも早く強くなって花籠
親方を安心させろ」と諭している。

<若乃花のブロマイド>

元初代若乃花の二子山は一代で実に多くの
関取を育てた。横綱2代目若乃花・隆の里、
大関貴ノ花・若嶋津、関脇大寿山、小結二子
岳・若獅子・隆三杉・三杉里、幕内力士魁ご
う(あみがしらかんむりに正)・大旺・飛騨
ノ大勢花)・若翔洋(のち関脇)・浪ノ花
(のち小結)・大こう(角へんに光)はじめ
大勢の関取を輩出した。二子山は「相撲という
字はけいこと呼んでもいいのです」という
ほど稽古を第一とした。若乃花自身が猛稽古
で強くなった。

協会では理事、理事長代行、理事長を務めた。
平成5年(1993年)一月場所後、65歳の定年
にともない弟子を実弟の元貴ノ花の藤島に
託し、二子山の株もゆずった。二子山部屋は
一代限りとなった。藤島部屋は名称を二子山
部屋に変更したが、実質は旧二子山を吸収
した形となった。

<貴ノ花>

かなりの額が(3億円ともいわれる)実の
兄弟間で支払われた。これが脱税ということ
で元初代若乃花は摘発された。そのため相撲
博物館館長を辞め、相撲界を完全に離れる
ことになった

元初代若乃花の大相撲中継の解説は大変面白く、
相撲哲学・理念を感じさせる内容であった。
もう一度聞きたかった思いが強く残った。

元横綱朝潮というと元前田山の高砂亡き後高砂を
継いだというイメージが強いかもしれない。高砂
になりたてのころは、北の富士に「高砂さん、
高砂さん}とひやかされていた。元朝潮の高砂は
元前田山の高砂から引き継いだ小結高見山を関脇
にし、富士櫻を関脇に引き上げた。また朝潮・
小錦を大関にまで育てた。

<朝潮のブロマイド>

そんな元朝潮、実は振分部屋をおこしたことが
ある。昭和37年9月のことである。引退後、約9
カ月後のことである。だが、振分部屋は昭和39年
3月に本家高砂部屋に戻っている。こうして元
横綱の振分部屋は消えた。

(この項目続く)

少しずつ温かくなってきました。             。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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