花籠(元大ノ海)部屋から独立したのが元
初代若乃花の二子山であった。龍虎が「自分
も連れて行ってください」と嘆願したが、
二子山は「それよりも早く強くなって花籠
親方を安心させろ」と諭している。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/03/若乃花-e1646104300176.jpg)
元初代若乃花の二子山は一代で実に多くの
関取を育てた。横綱2代目若乃花・隆の里、
大関貴ノ花・若嶋津、関脇大寿山、小結二子
岳・若獅子・隆三杉・三杉里、幕内力士魁ご
う(あみがしらかんむりに正)・大旺・飛騨
ノ大勢花)・若翔洋(のち関脇)・浪ノ花
(のち小結)・大こう(角へんに光)はじめ
大勢の関取を輩出した。二子山は「相撲という
字はけいこと呼んでもいいのです」という
ほど稽古を第一とした。若乃花自身が猛稽古
で強くなった。
協会では理事、理事長代行、理事長を務めた。
平成5年(1993年)一月場所後、65歳の定年
にともない弟子を実弟の元貴ノ花の藤島に
託し、二子山の株もゆずった。二子山部屋は
一代限りとなった。藤島部屋は名称を二子山
部屋に変更したが、実質は旧二子山を吸収
した形となった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/03/貴ノ花-e1646104321131.jpg)
かなりの額が(3億円ともいわれる)実の
兄弟間で支払われた。これが脱税ということ
で元初代若乃花は摘発された。そのため相撲
博物館館長を辞め、相撲界を完全に離れる
ことになった
元初代若乃花の大相撲中継の解説は大変面白く、
相撲哲学・理念を感じさせる内容であった。
もう一度聞きたかった思いが強く残った。
元横綱朝潮というと元前田山の高砂亡き後高砂を
継いだというイメージが強いかもしれない。高砂
になりたてのころは、北の富士に「高砂さん、
高砂さん}とひやかされていた。元朝潮の高砂は
元前田山の高砂から引き継いだ小結高見山を関脇
にし、富士櫻を関脇に引き上げた。また朝潮・
小錦を大関にまで育てた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/03/朝潮太郎A(3代)-e1646104338647.jpg)
そんな元朝潮、実は振分部屋をおこしたことが
ある。昭和37年9月のことである。引退後、約9
カ月後のことである。だが、振分部屋は昭和39年
3月に本家高砂部屋に戻っている。こうして元
横綱の振分部屋は消えた。
(この項目続く)
少しずつ温かくなってきました。 。
興味深いテーマをこれからもお届けします。