相撲ほど勝負時間が短い格闘技はない。ボク
シングや剣道でもあっという間に勝負がつく
ことはまれである。短時間でもひいき力士が
立つときは緊張が走る。朝青龍が現役のとき、
日本に留学していた妹が、兄の取組をみて
ドキドキしたという。
格闘技は柔道やレスリングのように組むか
ボクシングや空手のように離れて戦うかの
どちらかである。ところが相撲は離れて戦う
ことも組んで戦うこともある両面をもちあわ
せている。組んだら離れることはないと思い
がちだが、栃錦は「出し投げをうてば離れる」
と言っていた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/03/無題A.jpg)
相撲は自分の力が発揮できる体勢をつくる
ための戦いであり、しのぎあいである。その
勝負の始まりは立ち合いになる。勝負を大き
く左右をするのが立ち合いである。
デビット・ジョーンズ氏はかつてパンアメリ
カン航空の優勝力士の表彰者であった。彼は
特に優勝を争う力士が仕切りを重ねることほど
エキサイティングなものはないと語っていた。
その立ち合いは両力士にゆだねられている。
陸上や水泳のように第3者がスタートさせる
ようなことはない。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/03/栃木山.jpg)
相撲は先に攻めたほうが有利だが、それでは
立ち合いは成り立たない。栃木山は「同時に
立って早く攻めろ」、と立ち合いのあり方を
述べていた。
双葉山といえば「後の先」の立ち合いを完成
させたことは有名である。白鵬がごく一時期
取り入れたことがあった。だが、言葉から
か、相手より後で立ったように映った。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/03/双葉A、.jpg)
双葉山が後の先の立ち合いを身につけたのは
69連勝の時期ではない。昭和15年夏場所は
7勝5敗3休とどん底だった。「信念の歯車
がくるった」という言葉はこのときである。
人里を離れ山にこもった双葉山は精神的に
ふっきれ、稽古はいっそう充実していった。
後の先の立ち合いはこのときのものである。
双葉山の立ち合いは腰を割って足をきめると、
まず左手をつく。右手はひざの上にあって、
相手の動きを見ながら合わせていって、サッ
とおろす。おろして、砂についたときが立っ
たときである。だから、おろすのは相手の
ほうが早くても、立って土俵から手が離れる
瞬間は双葉山のほうが早いのである。(大相
撲1969年2月号 相撲技論小坂秀二筆 読売
新聞社刊より)
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/03/futaba_1A.jpg)
後の先の立ち合いは相手より遅れて立つよう
に映るが、実際はそうでないことが読み取れ
る。まさに極意中の極意である。仕切りの妙、
立ち合いの真髄はここにある
ウクライナが心配です。 。
興味深いテーマをこれからもお届けします。