去る七月場所は琴勝峰の優勝で幕を閉じた。琴勝峰は佐渡ヶ嶽部屋
10人目の優勝力士である。優勝力士を10人も輩出すれば名門といっ
ていい。ちなみに出羽海部屋は大正15年の公式優勝制度以降では12
人である。これまでの9人をあげられればあなたは相撲通である。
佐渡ヶ嶽部屋は元初代琴錦が昭和30年、7人の弟子とともにニ所ノ
関(元佐賀ノ花)部屋から独立してできた部屋である。佐渡ヶ嶽部
屋の初の優勝は大関初代琴櫻であった。昭和43年七月場所であった。
この場所は第一人者の大鵬が全休であった。なお、琴櫻2回目の優
勝も大鵬が連勝記録を誤審でストップされ、途中休場した場所だっ
た。

佐渡ヶ嶽部屋2人目の優勝者は関脇長谷川である。昭和47年三月場
所、魁傑との優勝決定戦を制しての優勝だった。一人横綱の北の富
士は乱調の場所であった。なお、長谷川はなぜか大関清國との対戦
はなかった。翌場所2日目に対戦して敗れている。
引退した琴櫻は独立して白玉部屋をおこす予定だった。ところが思
いもよらぬ事態がおこった。病気中であった佐渡ヶ嶽が突然亡くな
ってしまったのだ。52歳であった。元初代琴櫻が佐渡ケ嶽部屋を継
承することになった。昭和49年7月のことであった。

元初代琴櫻の佐渡ヶ嶽は力士のスカウト・育成にとても熱心であっ
た。四股名に琴の字がつくようになったのは琴櫻の代からであった。
彼のもとで優勝した力士が琴風であった。昭和56年九月場所関脇で
優勝した。12勝3敗だった。場所後大関に昇進した。9勝-10勝-
12勝だった。琴風は大関でもう1回優勝している。