双葉山の新入幕は特殊事情によるものだった。昭和
7年1月6日春秋園事件が勃発した。幕内西方の全
力士20人と十両の出羽系11人が、中華料理店春秋園
に集結した。
目的は大相撲の近代化へ向け、力士生活の安定化、
大相撲の大衆化、協会の制度改善である。中心人物
天竜がまとめ、協会に要求決議書10ヶ条を訴えたの
である。
これに対し協会の回答は誠意なきものであった。そ
のため力士の大量離脱を招いた。双葉山は本来十両
で力をつける時期であったが、繰り上げ入幕せざる
をえないほど多くの力士が離脱した。
双葉山同様十両から繰り上がった力士に旭川と大ノ
濱がいた。さらに幕下からいきなりなり幕内に繰り
上がった力士がいた。出羽ノ花、国ノ濱、射水川、
鷹城山、瓊ノ浦と5人に及んだ。
取組は系統別総あたりで行われた。旭川・大ノ濱と
は同部屋だったので対戦はなかった。幕下繰り上げ
力士とは3番戦い2勝1敗だった。先輩幕内力士と
は3勝2敗で、トータル5勝3敗の成績だった。
昭和35年一月場所、新入幕大鵬は初日から11連勝と
快進撃。同じく横綱栃錦も並走していた。12日目止
め役として小結柏戸が組まれた。現代なら栃錦対大
鵬が組まれるところだが、当時はそうした規定はな
かった。大鵬対柏戸は力の入った一番になったが、
最後柏戸が下手出し投げで面目を保った。
大鵬はその後2関脇、鶴ヶ嶺と対戦し、12勝3敗の
好成績をのこし、敢闘賞を受賞した。大鵬の出現は
将来の相撲界をしょって立つ逸材を予感させた。大鵬
の人気はぐんぐん上昇した。
(この項目続く)