大相撲

昭和4年9月場所の乱

九月場所は幕内最高成績が11勝4敗と最低レベルに
終わった。11勝はちょっとがんばれば出る成績であ
る。七月場所、琴ノ若は小結で11勝をあげている。
三月場所、金峰山が新入幕で11勝をあげ敢闘賞を受
賞している。

11勝は優勝に値しない。単なる1位にすぎないとし
てきた。九月場所1位になった貴景勝に横綱の声は
ない。11勝は15日制部屋別総当たりで行われた結果
である。

<常ノ花のブロマイド>

ところが大相撲史においては11日制や13日制がある。
昭和4年9月場所は11日制のなか名古屋でおこなわ
れた。しかも東西制で同じ片屋は対戦しなかった。
千秋楽をむかえて横綱常ノ花8勝2敗、7勝3敗は
横綱宮城山ほか多数いたが、優勝決定戦がなかった
時代は番付上位の優勝だった。だから常ノ花の優勝
は決まっていた。

だが、千秋楽常ノ花は宮城山に負け8勝3敗という
最低成績の優勝となってしまった。同点は宮城山、
大関豊國、前頭2枚目朝潮であった。大正15年に始
まった優勝制度だが、11日制で8勝3敗は最低の成
績であった。あとにも先にもない。

<宮城山のブロマイド>

常ノ花は横綱が実質地位化した常陸山以降で初めて
場所中引退した横綱でもあった。理事長として自殺
未遂をおこしてもいる。元常ノ花が出羽海部屋を元
千代の山にゆずると遺言を残していたら、その後の
出羽海部屋の歴史は変わっていた。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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