大相撲

井筒の系統

明瀬山が引退し、井筒を襲名した。これによって井
筒の株はこれまでの時津風系ではなく、旧三保ヶ関
部屋から独立した木瀬系に移ったことを意味してい
る。

<明瀬山>

井筒はそれまで元豊ノ島が名のっていた。井筒株の
返上を求められたのか、協会を離れ芸能界など広く
活動している。豊ノ島は時津風系の力士だった。

そもそも井筒の本当の所有者は志摩ノ海である。こ
れは逆鉾の娘と結婚したことで井筒の株が回ってき
たものである。逆鉾は井筒部屋を父(鶴ヶ嶺昭男)
から引き継ぎ、横綱鶴竜を育てた。病のため58歳で
亡くなり、井筒部屋は消滅した。

<国技館に別れを告げた元逆鉾>

そもそも井筒はどういう流れを汲み、いつから時津
風系になったのか。系統は以下である。

井筒部屋の創設者は明治の横綱初代西ノ海である。
西ノ海は京都相撲から、高砂改正組の巡業に加わり、
高砂部屋に入門した。井筒部屋のルーツは実は高砂
なのである。ただ、明治の末期以前は本家、分家に
よる一門意識はなかった。井筒部屋は2代目西ノ海、
先代星甲実義へと引き継がれていった。

それ以降年表的に記すと以下になる。

昭和19年 
星甲実義の井筒が死去
鶴ヶ嶺道芳が二枚鑑札を申し入れるが拒否
力士は双葉山相撲道場に身を寄せる
井筒が時津風系に

昭和22年
鶴ヶ嶺道芳引退後井筒部屋復興

昭和47年
元鶴ヶ嶺道芳の井筒死去
陸奥(元星甲良夫)と君ヶ浜(元鶴ヶ嶺昭男)で後
継争い
敗れた君ヶ浜は独立

<鶴ヶ嶺昭男のブロマイド>

昭和49年
元星甲良夫の井筒は遺族との話し合いがつかず、井
筒を返上
陸奥部屋としてスタート
これが元霧島の陸奥部屋につながっている
北の富士が井筒を襲名して元千代の山の九重部屋か
ら独立

昭和52年
九重が51歳の若さで他界
井筒部屋と九重部屋が併合、九重部屋としてスター

君ヶ浜(元関脇鶴ヶ嶺)は井筒の株獲得に始動
獲得後、君ヶ濱部屋を井筒部屋に改称

井筒は高砂系、時津風系、九重系、時津風系を経て
木瀬系へと変遷してきたわけである。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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