大相撲

関脇以下同士の優勝決定戦 上

去る七月場所は関脇豊昇龍と前頭9枚目北勝富士の
間で優勝決定戦がおこなわれた。豊昇龍が勝って初
優勝と大関昇進を決めた。関脇以下同士の優勝決定
戦は今年の三月場所、関脇霧馬山対小結大栄翔以来
である。つまり今年は関脇以下同士の優勝決定戦が
初めて2回おこなわれた年となった(まだ終わって
いないが)。

<豊昇龍対北勝富士の優勝決定戦>

成績が同点の場合は番付上位が優勝者だった。それ
を改めて成績同点者が出た場合優勝決定戦を行うと
したのが昭和22年夏場所からであった。優勝決定戦
には横綱あるいは大関が必ず登場していた。関脇以
下同士の優勝決定戦は極めて珍しかった。

最初の関脇同士以下の優勝決定戦がおこなわれたの
は昭47年三月場所であった。この場所一人横綱の北
の富士は大乱調。大関琴櫻・清國・前の山・大麒麟
は頼りにならない存在だった。

<魁傑>

そんななか浮上したのが関脇長谷川と前頭7枚目の
魁傑であった。特に魁傑は外掛けで横綱・大関、そ
して長谷川を倒してきていた。花籠(元大ノ海)部
屋は輪島だけではない。魁傑がいると注目が高まっ
た。

優勝決定戦はがっぷり左四つで膠着した。魁傑が外
掛けにいこうとした瞬間、長谷川が出て勝負を決め
た。

<長谷川のブロマイド>

長谷川は優勝したが、8勝-10勝-12勝で大関昇進
はなかった。「長谷川が30勝あげましたが、大関は
?」という記者の質問に春日野(元栃錦)は答えた。
「輪島だって11勝-10勝-9勝で30勝なんだよ」ま
たなぜか大関清國対関脇長谷川戦は実現しなかった。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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