大相撲

中村部屋の位置づけ

元嘉風の中村部屋がニ所ノ関部屋から独立した。6
月1日承認、3日引っ越しとなった。引っ越し先は
旧陸奥部屋である。旧陸奥部屋は元霧島が定年を迎
え、部屋を閉鎖していた。

<中村>

部屋の系統でみると中村部屋の位置は下記になる。

まず、本家ニ所ノ関は消滅してないということであ
る。元金剛の代で消滅した。金剛を指名したのは元
佐賀ノ花死去後の未亡人である。次女と金剛を結婚
させようとして式をあげた。だが次女は別の方と籍
をいれた。

元嘉風は尾車(元琴風)部屋出身である。尾車の定
年が近づいたとき年寄中村として元稀勢の里のニ所
ノ関部屋へ移籍している。尾車は再雇用として元豪
風の押尾川部屋へ移籍している。元稀勢の里のニ所
ノ関部屋は本家ニ所ノ関部屋の分家の分家の分家の
分家である。さらにその分家が中村部屋である。

<尾車(当時)>

玉ノ海がニ所ノ関のとき分家独立が奨励された。部
屋付の親方ではごますりに走るというのである。玉
ノ海は部屋の親方の靴の紐を部屋付の親方が結んで
いる光景を見てそう思ったという。弟子の光は七光
というわけである。これがニ所ノ関一門を繁栄させ
る原点になった。

新十両になった嘉陽は中村部屋へ移籍した。ほかに
友風、幕下の宮城なども同様である。大の里(ニ所
ノ関部屋)との対戦がやがて実現するときがくるか
もしれない。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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