元嘉風の中村部屋がニ所ノ関部屋から独立した。6
月1日承認、3日引っ越しとなった。引っ越し先は
旧陸奥部屋である。旧陸奥部屋は元霧島が定年を迎
え、部屋を閉鎖していた。
部屋の系統でみると中村部屋の位置は下記になる。
まず、本家ニ所ノ関は消滅してないということであ
る。元金剛の代で消滅した。金剛を指名したのは元
佐賀ノ花死去後の未亡人である。次女と金剛を結婚
させようとして式をあげた。だが次女は別の方と籍
をいれた。
元嘉風は尾車(元琴風)部屋出身である。尾車の定
年が近づいたとき年寄中村として元稀勢の里のニ所
ノ関部屋へ移籍している。尾車は再雇用として元豪
風の押尾川部屋へ移籍している。元稀勢の里のニ所
ノ関部屋は本家ニ所ノ関部屋の分家の分家の分家の
分家である。さらにその分家が中村部屋である。
玉ノ海がニ所ノ関のとき分家独立が奨励された。部
屋付の親方ではごますりに走るというのである。玉
ノ海は部屋の親方の靴の紐を部屋付の親方が結んで
いる光景を見てそう思ったという。弟子の光は七光
というわけである。これがニ所ノ関一門を繁栄させ
る原点になった。
新十両になった嘉陽は中村部屋へ移籍した。ほかに
友風、幕下の宮城なども同様である。大の里(ニ所
ノ関部屋)との対戦がやがて実現するときがくるか
もしれない。