若乃花といえば土俵の鬼といわれた横綱によって名
前をクローズアップさせた。若乃花は栃錦とともに
相撲の黄金時代を築いた横綱でもあった。体は小さ
いが豪快な相撲を取った。なお、大関7場所目まで
は若ノ花であった。昭和37年五月場所前引退した。
この四股名は一代限りと思っていた。
実は若乃花という四股名は師匠である元大ノ海が若
いころ名のっていた名前であった。昭和13年ごろ、
玉錦は弟子集め、その育成に熱心に取り組んだ。当
時60人以上の弟子を抱えていた。関取の玉ノ海、佐
賀ノ花をはじめ幕下以下に若ノ花(後の大ノ海)、
神風、福住(後の玉乃海)、琴錦らがいた。彼らが
育っていき、将来の大二所ノ関一門の礎が築かれて
いった。
元若乃花の二子山が青森から夜行列車で連れてきた
弟子がいた。素材も素質もすばらしく将来性が期待
された。下山→朝ノ花→若三杉と四股名を変えてき
た。横綱になるとき若乃花に改名した。昭和53年7
月、約15年ぶりに若乃花の名が復活した。
師匠の元若乃花の二子山はさらに娘と結婚させた。
昭和55年9月のことである。これで名実ともにニ子
山部屋の後継者として位置づけられた。ところが、
師匠の娘とは翌年の12月に離婚し、銀座のママと再
婚した。のちに2代目若乃花は間垣として独立して
いる。照ノ富士は若三勝として彼の弟子だった。
時は流れ、初代若乃花の実弟貴ノ花の2人が入門し
た。若花田、貴花田である。大変な人気でスピード
出世した。若ノ花は平成5年五月場所からである。
初優勝後である。さらに平成6年十一月場所から若
乃花に改名している。若乃花はおいっこへと引き継
がれていった。
若乃花は弟子さらに親戚へと受け継がれたわけであ
る。もう打ち止めで襲名されることはないと思われ
る。