弱体化した大関陣は御嶽海の大関降格に続いて正代
まで降格が決定した。これできたる一月場所は一人
横綱一人大関である。正代が10勝以上あげれば大関
に復帰するが、前例から復帰は容易でないことは、
これまでさんざん書いてきた。
1横綱1大関は125年ぶりとか。明治31年春場所横綱
小錦大関鳳凰以来とか。番付上に横綱と書いてある
が、横綱はまだ地位化していなかった。称号から地
位化への端境期であった。翌場所朝潮が大関になっ
て解消した。1横綱1大関は2場所で終わっている。
当時は年2場所であった。
現代は年6場所制である、今誰が優勝するのか混沌
とした時代である。優勝力士が翌場所負け越しても
不思議ではない。大関への道はとにかく連続2ケタ
勝利から始まる。若隆景は期待しにくくなった。12
勝優勝の翌場所は9勝、九月場所11勝のあとは8勝
であった。
豊昇龍は十一月場所11勝をあげた。一時は優勝争い
のトップにいながら連敗して優勝圏外となっての11
勝であった。いわば優勝のチャンスを逃しての11勝
である。豊昇龍は一月場所も2ケタ勝てるのか。そ
れだけの地力があるのか。まだ疑問段階である。
結論をいうと一人横綱一人大関はしばらく続いても
不思議はない。もっと言えば次に大関になる力士は
大関どまりの大関ではなく、横綱を目指せる大関が
ほしい。