大相撲

混迷の時代の優勝者のその後3

阿炎
阿炎が優勝したのは2022年十一月場所である。優勝
決定巴戦を制しての結果であった。その後の阿炎は
73勝62敗である。大関戦は8勝10敗である。負け越
しは1場所しかない。阿炎としてはよくやっている、
といえる。

<阿炎>

師匠の元寺尾の錣山が昨年末亡くなられた。情報通
によるとそのとき阿炎は優勝した表彰状を棺に入れ
たという。もう1度優勝すればいいという話である。
そう簡単ではない。いや、阿炎ならやれるかもと両
方の見方がある。

貴景勝
貴景勝が優勝したのは2023年一月場所である。その
後11勝の1位がある。それよりも休場が目立ってき
た。負け越しは実に4度に及ぶ。成績は41勝31敗48
休である。

<貴景勝(右)>

何か下り坂に入って来たような兆候が見える。角番
は8勝、11勝、8勝で乗り切った。さる五月場所は
初日出場していきなり休場した。きたる七月場所は
角番だが楽観はできない。

霧島
2023年三月場所、霧馬山として初優勝した。五月場
所後大関に昇進した。新大関の場所、初日、2日目
休場した。その後出場したものの6勝しかできなか
った。

<霧馬山>

十一月場所は優勝したが、チャンスを生かせなかっ
た。今年の三月場所は負け越し。さる五月場所はな
かなか勝てず途中休場で大関の座を明け渡した。初
優勝後は56勝39敗10休である。

混迷の時代の優勝者のその後はどうも迷走が多い。
これが結論である。

(この項目終わり)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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