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三賞多数獲得者たち2

■三賞獲得8回
引き続き三賞8回獲得者をみていこう。

黒姫山 殊4・敢3・技1
幕下にいる黒姫山の祖父である。立ち合いの強烈な
ぶちかましからの突き押しでD51と呼ばれた。再入
幕2場所目に敢闘賞を受賞した。9勝6敗だったが、
このころの三賞は相撲内容が重視されていた。9場
所後唯一の技能賞を獲得した。さらに2場所後優勝
北の富士に勝って殊勲賞に輝いた。1年後の敢闘賞
から3年2場所三賞から遠ざかった。

<黒姫山のブロマイド>

三賞空白期後最初の三賞は殊勲賞であった。横綱北
の湖・輪島に勝って獲得した。9場所後3場所連続
三賞を受賞した。敢闘賞・殊勲賞・殊勲賞であった。
3日目の殊勲賞は優勝北の湖に唯一の黒星を与えた
結果であった。約10年の幕内生活なかで積み重ねた
8回の三賞受賞だった。

富士櫻 殊2・敢3・技3
徹底した突き押し相撲でファンをわかせた。ついた
異名が突貫小僧であった。入幕2場所目に敢闘賞を
受賞した。このとき輪島も敢闘賞を受賞し、初めて
三賞を4人が受賞した。昭和46年十一月場所のこと
であった。その後、突き押し相撲がさえ、技能賞を
2回獲得した・

<富士櫻のブロマイド>

4年の三賞空白期を経て殊勲賞を2回受賞した。最
初の殊勲賞は優勝同点の14勝若三杉(=2代目若乃
花)に土をつけたことによるものであった。さらに
まばらながら敢闘賞を2回受賞している。昭和58年
の敢闘賞が最後の三賞になった。

鷲羽山 敢3・技5
小兵でありながら鋭い出足、はず押し、俊敏な動き
で暴れまくった。新入幕で敢闘賞を受賞した。昭和
51年三月場所は殊勲北瀬海、敢闘賞鷲羽山、技能旭
國の小兵トリオが独占した。鷲羽山は技能派で繰り
出した技は31に及んだ。3場所連続三賞受賞を記録
している。

<鷲羽山のブロマイド>

鷲羽山が三賞の獲得時期はわずか4年2場所であっ
た。ケガの影響もあって残りの8年2場所は三賞と
は無縁の土俵となった。

栃赤城 殊4・敢4
型破りでかいなひねり、ちょん掛け、すそ払い、こ
またすくいなどを駆使した。足腰がよく、右でまわ
しを取ると強かった。しかし、技能賞には縁がなか
った。新入幕で敢闘賞。2年後は敢闘賞と殊勲賞を
2回取る活躍をみせた。1回目の殊勲賞は14勝優勝
同点の三重ノ海に、2回目の殊勲賞は14勝優勝の三
重ノ海に勝っての受賞であった。

<栃赤城のブロマイド>

翌年殊勲賞と敢闘賞、その翌年も殊勲賞と敢闘賞を
獲得している。最後の殊勲賞は優勝北の湖に勝利し
て手中にした。実質5年弱で三賞8回に輝いている。
これが最後で、ケガのため十両中心の土俵生活が目
立つようになった。さらに番付は幕下まで下げ、最
後は三段目で全敗して引退した。

霧島 殊3・敢1・技4
筋骨隆々、和製アランドロンと言われたほど美男子
だった。左四つ出しなげを得意とした。新入幕で敢
闘賞を受賞した。その後ぽつぽつと技能賞を2回獲
得している。

<霧島>

平成にはいって三賞の常連になった。初の殊勲賞は
優勝大乃国に勝って輝いた。3場所後から3場所連
続三賞を受賞している。大関直前の場所は横綱北勝
海、大関小錦に勝って殊勲賞、同時に技能賞も獲得
した。また、北勝海。小錦とともに優勝決定巴戦に
出場している。

大関降格後は3年1場所幕内を務めたが、再び三賞
を受賞することはなかった。

雅山 殊勲2・敢闘5・技1
明治大学を3年で中退し相撲界入りした、幕下60枚
目付出で2場所連続優勝によって十両入りした。十
両でも2場所連続優勝で入幕した。そのため平成の
新怪物と言われた。

新入幕で敢闘賞を受賞。その5場所後から3場所連
続三賞受賞を記録した。殊勲賞、敢闘賞、敢闘賞で
あった。3場所34勝で大関に昇進している。しかし、
大関はわずか8場所で陥落した。

<雅山>

それから4年半後、雅山は新大関の白鵬と優勝を争
った。優勝決定戦で敗れたものの殊勲賞と敢闘賞を
受賞した。殊勲賞は14勝白鵬に勝って輝いた。それ
から2年4場所後敢闘賞を受賞した。これが最後の
三賞となった。

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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