大相撲

変貌する現代相撲部屋の継承

部屋の継承というと弟子と年寄株というのが通常で
ある。建物は複雑な事情から引き継がれないケース
が多い。ところが最近弟子は継承するが、部屋名が
変更という場合が出てきた。

新しいところでは入間川(元栃司)部屋が元垣添の
雷に引き継がれたことである。部屋の名称は雷部屋
となった。これはかつて2代目梅ヶ谷が引き継いだ
雷部屋とは何の関係もない。母体は春日野部屋から
独立した栃司の入間川部屋である。垣添は直弟子で
はなく、元三重ノ海の武蔵川部屋に入門した力士で
ある。元栃司は4月に定年を迎え、再雇用が予想さ
れる。

<雷(元垣添)>

最近では松鳳山が所属した放駒部屋(元玉乃島)部
屋がある。初代若乃花がおこした二子山部屋から独
立したのが、元若嶋津の松ヶ根部屋である。途中、
名称が二所ノ関部屋に変わった。元若嶋津の定年で、
部屋を元玉乃島に譲った。玉乃島は四股名からわか
る通り、片男波(元玉ノ富士~元玉春日)部屋出身
である。ニ所ノ関は元稀勢の里へいき、元若嶋津は
年寄荒磯として再雇用制度で残っている。

<放駒(元玉乃島)>

継承した時点で部屋の名称が変更になった現代相撲
部屋に藤島(元武双山)部屋がある。出羽海部屋は
元常陸山亡き後を継いだ6代出羽海(元両国=前名
国岩)の代から分家独立を許さずという不文律がで
きた。これが長い間支配してきたが、9代出羽海
(元佐田の山)から事実上解除された。その第1号
が元佐田の山の出羽海から円満独立した元三重ノ海
の武蔵川部屋だった。この部屋を引き継いだのが元
武双山の藤島である。部屋名は藤島のままで継いだ。
武蔵川は武蔵丸が受け継ぎ、部屋を運営している。

<藤島(元武双山)>

継承時点ではないが、部屋の名称を変更した部屋が
下記である。
・伊勢ヶ濱(元旭富士)部屋 以前は安治川部屋
・田子ノ浦(元隆の鶴)部屋 以前は鳴戸部屋
・常盤山(元隆三杉)部屋 以前は千賀ノ浦部屋
・大島(元旭天鵬)部屋 以前は友綱部屋

いざこざになったのが、田子ノ浦部屋である。元隆
の里が二子山(元初代若乃花)より独立しておこし
た部屋が鳴戸部屋であった。元隆の里の急死を受け
て部屋を継いだのが元隆の鶴であり、建物もそのま
ま使用していた。ところが未亡人と話し合いがつか
なかった。そのため、挨拶なしに部屋を出て、一時
期閉鎖された元増位山(子)の旧三保ヶ関部屋を田
子ノ浦部屋として使用していた。あらたにかまえた
のが今の江戸川区の田子ノ浦部屋である。鳴戸の名
跡は元琴欧洲へ譲られた。

<田子ノ浦(元隆の鶴)>

なお、一代年寄がらみは特殊事情によるものなので
ここでは触れなかった。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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