大相撲

元白鵬!宮城野部屋継承

元白鵬の間垣と元竹葉山の宮城野が年寄株を交換し
た。元白鵬は宮城野として部屋を継承することが正式
に決まったわけである。これは元竹葉山が8月21日で
65歳の定年を迎えることによるものである。白鵬は
現役のとき、内弟子がおり、将来は独立するものと
思われた。だが、ここにいたって元白鵬以外宮城野
部屋の後継者はいないことから、元白鵬の間垣が宮城
野部屋を継ぐことになった。

<元白鵬>

年寄株を交換したということは、元竹葉山は年寄間垣
として再雇用されることになるわけである。元竹葉山
は最高位前頭13枚目、幕内経験2場所でありながら、
大横綱白鵬を育てたことになる。その手腕はもっと
高く評価されていい。名伯楽である。宮城野部屋は
白鵬で大きく花開いたことになる。

白鵬入門のいきさつは有名である。2000年10月、旭鷲
山をつてに6人のモンゴル人と一緒に来日した。大阪
摂津の倉庫で相撲を学んでいた。他のモンゴル人は
次々に相撲部屋にスカウトされた。白鵬はどこからも
声がかからず、お土産を買って帰国の予定だった。
そのとき、旭鷲山が宮城野(元竹葉山)に声をかけ、
ぎりぎりで入門が決まった。

<かつての宮城野と白鵬>

白鵬は体が60キロと軽かった。宮城野は稽古よりも
体づくりから始めた。白鵬は「なんで稽古できないの
かな」と思ったという。入門60キロの少年が後年150
キロになるのだから驚愕である。また、部屋の先輩に
モンゴル人の龍皇がいたことが大きかった。当時、
外国出身者は1部屋1人という申し合わせはなかっ
た。

白鵬はどんな指導者になるのか。指導者になりたい
ために日本国籍に変更したたほどである。「力士を
強くするにはどうしたらいいか」にやりがいを見出す
だけに手腕に期待したい。部屋には北青鵬という角界
の星がいる。その逸材をどこまで押し上げるか。それ
とともに弟子のスカウトに熱をいれていただきたい。
ちょっと油断すると弟子が激減するのが現代である。

元横綱で横綱を育てたのは、実質横綱が地位化した
常陸山以降では以下である。

<横綱2人育てた北の富士>

元常陸山→大錦・栃木山・(大関までの常ノ花)
元2代目西ノ海→3代目西ノ海
元栃木山→栃錦
元常ノ花→千代の山
元双葉山→鏡里
元前田山→朝潮
元千代の山→北の富士
元栃錦→栃ノ海
元初代若乃花→2代目若乃花・隆の里
元佐田の山→三重ノ海
元北の富士→千代の富士・北勝海
元三重ノ海→武蔵丸
元旭富士→日馬富士・照ノ富士

元白鵬の宮城野はこの仲間入りができるだろうか。
新宮城野師匠に注目したい。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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