一門は本場所が少ない時代、巡業組合だった。
この巡業は独立採算制であった。現代は一門
の意味が変化した。一門は理事、副理事を
生むシステムとなった。一門は本家分家の
系統を中心にかなり複雑化した形態に変わっ
てきている。いまは理事は10人であり、その
頂点を理事長としている。一門に年寄が多け
れば、それだけ多くの理事を輩出できる理屈
になる。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/06/横綱常陸山-e1654921788557.jpg)
現在の一門ごとの年寄数は以下である。
出羽海一門 36人
二所ノ関一門30人
時津風一門 16人
伊勢ヶ濱一門12人
高砂一門 11人
なかには借株で実際理事選の投票がおこなわ
れると、どう動くかわからない面がある。
昭和43年の機構改革で現在の理事選のカタチ
になった。そのときの理事は以下である。
時津風(元双葉山)理事長
立田川(元鏡里)
出羽海(元出羽ノ花)
春日野(元栃錦)
二所ノ関(元佐賀ノ花)
花籠(元大ノ海)
立浪(元羽黒山)
伊勢ヶ濱(元照國)
宮城野(元吉葉山)
高砂(元前田山)
立浪と伊勢ヶ濱は連合を組んでいて3人の
理事を出していた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/06/羽黒山 (.jpg)
それ以前は理事の上に取締が理事長を含め
4人から5人いた。元双葉山の時津風は昭和
25年の2月に取締になっている。昭和33年
1月に元羽黒山の立浪、元前田山の高砂が
取締になっている。元双葉山の時津風はその
とき理事長であった。昭和36年に横綱大鵬を
育てた元佐賀ノ花の二所ノ関はなかなかなれ
ず、苦悩していた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/06/双葉山.jpg)
昭和34年11月の一門別の年寄数をみていこう。
時津風一門19人
出羽海一門29人
高砂一門 11人
立浪一門 12人
荒磯(のちの伊勢ヶ濱)一門18人
二所ノ関一門9人
分家独立を許さずの不文律があった出羽一門は
その後元佐田の山の代に分家を許して部屋数
を増やすきっかけとなった。同時に年寄も
増加した。二所一門は分家独立とともに部屋
数、年寄数を増やしてきた。高砂一門に変化
はほとんどない。
立浪一門は消滅し、荒磯(のちの伊勢ヶ濱)
部屋は清國の代で閉鎖した。力士2人は分家
の桐山(元黒瀬川)部屋に移籍した。今の
伊勢ヶ濱部屋は立浪(安念山=2代目羽黒山)
部屋の分家(大島部屋(元旭國)の分家の
元旭富士が安治川(元陸奥嵐)部屋を引き
継いで改称したものである。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/06/清国.jpg)
出羽海一門は出羽系・旧三保ヶ関系・外様
(立浪)の連合体である。二所ノ関一門は
二所系と他系統の部屋を二所系の年寄が引き
継いだ系、時津風系の理事選出に不満をもっ
た元時津風系で構成されている。時津風一門
は立浪系・伊勢ノ海・井筒系の連合体である。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/06/180520八日目幕内-012-e1654921832229.jpg)
伊勢ヶ濱一門は立浪系・高島系・その他で
構成されている。高砂一門は高砂系と九重系
で構成されている。かつて貴乃花一門があっ
たが、つくるきっかけとなった本人が自ら
解散した。ついてきた親方達の立場をなくす
結果を招いた。