大相撲

複雑化する一門

一門は本場所が少ない時代、巡業組合だった。
この巡業は独立採算制であった。現代は一門
の意味が変化した。一門は理事、副理事を
生むシステムとなった。一門は本家分家の
系統を中心にかなり複雑化した形態に変わっ
てきている。いまは理事は10人であり、その
頂点を理事長としている。一門に年寄が多け
れば、それだけ多くの理事を輩出できる理屈
になる。

<出羽海を大きくした常陸山のブロマイド>

現在の一門ごとの年寄数は以下である。
出羽海一門 36人
二所ノ関一門30人
時津風一門 16人
伊勢ヶ濱一門12人
高砂一門  11人
なかには借株で実際理事選の投票がおこなわ
れると、どう動くかわからない面がある。

昭和43年の機構改革で現在の理事選のカタチ
になった。そのときの理事は以下である。
時津風(元双葉山)理事長
立田川(元鏡里)
出羽海(元出羽ノ花)
春日野(元栃錦)
二所ノ関(元佐賀ノ花)
花籠(元大ノ海)
立浪(元羽黒山)
伊勢ヶ濱(元照國)
宮城野(元吉葉山)
高砂(元前田山)
立浪と伊勢ヶ濱は連合を組んでいて3人の
理事を出していた。

<羽黒山のブロマイド>

それ以前は理事の上に取締が理事長を含め
4人から5人いた。元双葉山の時津風は昭和
25年の2月に取締になっている。昭和33年
1月に元羽黒山の立浪、元前田山の高砂が
取締になっている。元双葉山の時津風はその
とき理事長であった。昭和36年に横綱大鵬を
育てた元佐賀ノ花の二所ノ関はなかなかなれ
ず、苦悩していた。

<双葉山のブロマイド>

昭和34年11月の一門別の年寄数をみていこう。
時津風一門19人
出羽海一門29人
高砂一門 11人
立浪一門 12人
荒磯(のちの伊勢ヶ濱)一門18人
二所ノ関一門9人

分家独立を許さずの不文律があった出羽一門は
その後元佐田の山の代に分家を許して部屋数
を増やすきっかけとなった。同時に年寄も
増加した。二所一門は分家独立とともに部屋
数、年寄数を増やしてきた。高砂一門に変化
はほとんどない。

立浪一門は消滅し、荒磯(のちの伊勢ヶ濱)
部屋は清國の代で閉鎖した。力士2人は分家
の桐山(元黒瀬川)部屋に移籍した。今の
伊勢ヶ濱部屋は立浪(安念山=2代目羽黒山)
部屋の分家(大島部屋(元旭國)の分家の
元旭富士が安治川(元陸奥嵐)部屋を引き
継いで改称したものである。

<清國のブロマイド>

出羽海一門は出羽系・旧三保ヶ関系・外様
(立浪)の連合体である。二所ノ関一門は
二所系と他系統の部屋を二所系の年寄が引き
継いだ系、時津風系の理事選出に不満をもっ
た元時津風系で構成されている。時津風一門
は立浪系・伊勢ノ海・井筒系の連合体である。

<貴乃花>

伊勢ヶ濱一門は立浪系・高島系・その他で
構成されている。高砂一門は高砂系と九重系
で構成されている。かつて貴乃花一門があっ
たが、つくるきっかけとなった本人が自ら
解散した。ついてきた親方達の立場をなくす
結果を招いた。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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