相撲の歴史– category –
部屋の系統・一門・横綱十大史・昇進成績の考証
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相撲の歴史
北玉時代7
明けて昭和46年一月場所が1月10日から始ま った。蔵前国技館はこの場所から暖房設備が 完備となった。入場料は 一月場所から値上げ となった。一人分の料金は以下である。 特別席2千円→3千円 特い 千6百円→2千3百円 特ろ 千3百円→千7百円 特は ... -
相撲の歴史
北玉時代6
長い夏巡業を終えて昭和45年九月場所が始ま った。北の富士、玉の海、大鵬の3横綱は そろって出場。先場所7枚目で11勝4敗の 貴ノ花が初めて小結に上がってきた。20歳の 若武者は初代若乃花の実弟という七光りを 離れ、逞しさを身につけてきていた。私生... -
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北玉時代5
昭和45年五月場所、横綱2場所目の北の富士 は好調だった。12日目まで全勝。玉の海は 1敗。大鵬はすでに3敗で優勝戦線から1歩 後退していた。13日目から横綱リーグ戦に 突入していった。13日目北の富士対玉の海戦 が組まれた。北の富士あたって突っ張り... -
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北玉時代4
玉乃島は横綱になるにあたり、玉の海の四股 名を希望した。玉ノ海は玉錦の弟子であり、 NHK相撲界説者の四股名であった。また、 師匠である片男波が現役時代玉乃海を名のっ ていた四股名でもある。当時の相撲ファンは 何でいまさら改名しなければならな... -
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北玉時代 番外
昭和45年一月場所後北の富士と玉乃島は同日 横綱に昇進した。よく同時昇進という表現を 使用するが、1つの組織が2つの件を物理的 に◆時□分■秒まで狂いなく決定できるだろ うか。大関で連続優勝した北の富士が先に 決まったとみるのが自然である。また、... -
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北玉時代3
昭和44年十一月場所は1横綱、4大関でスタ ートした。横綱大鵬は6勝3敗から休場。 8日目関脇前の山戦で左ひざを痛めてしまっ た。この場所は大関北の富士の独走となった。 「清國一人に甘い蜜を吸わしてなるものか」 燃える要素があるときの北の富士は... -
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北玉時代2
昭和44年九月場所、横綱は大鵬一人、大関は 先場所優勝した清國が東正大関で、琴櫻、 北の富士、玉乃島と続いた。大関ではこれ まで琴櫻が2回、あとは1回優勝があるだけ であった。九月場所は7日目までに大鵬が 7連勝、琴櫻・玉乃島が1敗、清國・北の... -
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北玉時代1
北玉時代、北はNHK解説者の北の富士さん である。玉は悲劇の横綱玉の海である。同日 に横綱になった2人は、ともに中型の横綱。 北の富士は左四つ速攻で取るタイプ、玉の海 は右四つの型、腰で取る相撲。大型で大味な 相撲の大鵬、柏戸とはタイプが違っ... -
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2020年5月相撲部屋事情
五月場所の番付が発表されて久しい。三月 場所は就職場所といわれ、多くの新弟子が 入ってきた。五月場所の番付に掲載された 力士数は幕内42人、十両28人幕下以下が625 人である。この中には引退した豊ノ島、亡く なられた勝武士が含まれている。ほかに番... -
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不毛の時代が続く大相撲
一月場所の徳勝龍の幕尻優勝は、史上最大の 下克上と呼ばれた。同時にこの場所は白鵬、 鶴竜の両横綱の衰退が顕著になった場所でも あった。誰が優勝するかわからない。誰が 優勝しても不思議でない。そんな優勝力士 予測不能の時代に入って久しいが、徳勝... -
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一人大関の時代3
昭和40年代の一人大関は1例のみである。 昭和41年七月場所、豊山一人になった。先場 所大関北葉山が引退したためにおきた。その 豊山は好成績をあげられなくなってきていた。 そんな事情からか、北の富士が8勝-10勝- 10勝で翌場所大関に昇進した。かな... -
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一人大関の時代2
昭和戦前に一人大関は3度ある。最初は昭和 11年の夏場所である。清水川だけになった。 これは大関だった男女ノ川が横綱に昇進した ためにおきた。今日の基準と違うとはいえ、 男女ノ川は8勝3敗、9勝2敗による優勝な き横綱昇進であった。横綱になって... -
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一人大関の時代1
豪栄道の引退によって三月場所は貴景勝の 一人大関になる。番付上は横綱鶴竜を横綱 大関とするのだろうが、特別な意味はない。 鶴竜が大関として土俵入りをするわけでも、 1日に大関として、横綱として2番取るわけ ではない。月給は横綱と大関分いただけ... -
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今後も続く混迷の時代
今年(2019年)の年間最多勝は朝乃山に決まった。成績は55勝35敗であった。小結では初ということであるが、これは朝乃山の責任ではない。横綱・大関の休場の多さから来ている。これで50勝台の年間最多勝は2017年から3年連続となった。まさにどんぐりの背... -
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阿武松の系統
最近元益荒雄が退職し、元大道が阿武松部屋を継ぐことになった。元益荒雄は任期途中であり、突然な出来事であった。表向きは体調面がよくないとのことだが、実際は精神的に落ち込んでいるという話が伝わってきている。部屋を継ぐといっても最終的に建物は... -
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部屋別力士数番付
最近井筒部屋が師匠の急死により、鶴竜ら所属力士3人は陸奥部屋へ移籍した。また、阿武松部屋は任期途中で師匠の元益荒雄が退職することになり、元大道が部屋を継ぐことになった。その相撲部屋は現在45あるが、弟子はどれくらいいるのだろうか、調べてみ... -
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井筒部屋の消滅
<井筒親方の訃報を伝える日刊スポーツ> 九月場所九日目、元逆鉾の井筒親方が亡くなられた。58歳という若さであった。九月場所前から体調が悪く入院していたという。原因は千代の富士と同じすい臓がんとみられる。24日通夜、25日告別式がおこなわれた。... -
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6大関時代とは|平成24年五月場所から3場所、鶴竜の昇進で6人の大関が並んだ
6大関時代は、平成24年五月場所から九月場所までの3場所。把瑠都・日馬富士・稀勢の里・琴奨菊・琴欧洲の5大関に、三月場所に関脇で13勝2敗をあげた鶴竜が加わって6人になった。日馬富士が九月場所の全勝優勝で横綱昇進を決定的にし、6大関時代は3場... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 昭和部屋別編2
昭和44年三月場所は、大鵬の連勝が誤審によって45でストップされた場所である。大鵬は途中休場し、優勝戦線に浮上したのが、大関琴櫻と前頭9枚目の竜虎である。竜虎は11日目麒麟児から勝利すると、12日目は10勝1敗同士で琴櫻と直接対戦した。この一番な... -
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幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 昭和部屋別編1
昭和40年一月場所より部屋別総あたり制がスタートした。この場所平幕下位の若杉山は12勝3敗で優勝した大関佐田の山は13勝2敗で1差である。だが、若杉山は前半ですでに3敗していた。佐田の山は13日目まで1敗だった。14日目大鵬に敗れ、ここで初めて1... -
相撲の歴史
優勝予測不能の時代
五月場所の朝乃山の優勝を場所前予想できた方はほとんどいなかったのではないだろうか。3人優勝候補をあげても難しかったのでは、と思われる。こうした傾向が昨年(2018年)の一月場所の栃ノ心から続いている。9場所経過して初優勝が5人、それも関脇以... -
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幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 6場所制系統別2
大鵬は第一人者の道を歩まんとしていた。時代は新しい英雄を誕生させようとしていた。昭和36年五月場所、上位は総崩れであった。横綱若乃花・柏戸10勝5敗、横綱大鵬11勝4敗であった。そんななか浮上してきたのは、入幕3場所目前頭13枚目の佐田の山であ... -
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幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 6場所制系統別1
昭和33年から年6場所制がスタートした。前年福岡で本場所が開催されたばかりだが、6場所目は名古屋となった。昭和33年一月場所、13日目を終え、2敗は横綱千代の山、大関若乃花、前頭14枚目大内山であった。大内山の対戦相手はすべて平幕であった。14日... -
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幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 戦後系統別1
戦後、相撲人気を高めるために好取組を増や そうということになり、系統別総当たり制が 昭和22年秋場所から復活した。その場所新入 幕の出羽錦は好調。千秋楽をむかえて、1敗。 上位では横綱羽黒山がただ一人1敗であった。 千秋楽、出羽錦の対戦相手は前... -
相撲の歴史
歴史的一番横綱太刀山対小結栃木山戦
大正5年5月25日は歴史的一番がおこなわれた日であった。夏場所8日目(当時は10日制)、横綱太刀山が5年ぶり黒星を小結栃木山からきっした日であった。よく太刀山の56連勝がストップしたという言い方がされるが、それは違う。その中には太刀山の都合に... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 戦前系統別期
昭和7年10月場所、千秋楽をむかえ、2敗は大関清水川、関脇沖ツ海、前頭筆頭高登、前頭6枚目瓊ノ浦であった。このうち清水川、沖ツ海、高登は直接対戦している。千秋楽は全員が勝ち、番付上位の清水川の優勝となった。<瓊ノ浦のブロマイド>>昭和8年... -
相撲の歴史
幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 戦前系統別へ
昭和7年、大相撲をゆるがす大事件が起きた。事件は1月6日におきた。幕内西方の全力士20人と十両の出羽系11人が、中華料店春秋園に集結した。大相撲の近代化へ向け、力士生活の安定化、大相撲の大衆化、協会の制度改善を天竜が中心になってまとめ、協会... -
相撲の歴史
白鵬時代は終わったのか
九月場所全勝優勝したものの、今年(平成30年)の白鵬は全休2場所、途中休場2場所と初めて年間4場所休場した。横綱初の連続休場も経験した。年間4場所休場という数字は、かなり重い。昨年は2場所休場したが、3場所優勝したことと比較すると大幅ダウ... -
相撲の歴史
現代相撲部屋系統事情
7月下旬、5つの一門に必ず入るよう理事会で決まった。この規定は旧貴乃花一門のみを対象とした規定であった。貴乃花は貴乃花一門の名前を返上し、一門をつくるきかっけとなった貴乃花自らが脱退したため、旧貴乃花一門はなくなった。<阿武松(元益荒雄... -
相撲の歴史
到来するか横綱不在時代
相撲ファンを悩ます質問がある。「次の横綱は誰ですか」である。この場合、横綱は若く息の長い横綱を意味する。現在横綱は3人おり、満たされているように思える。しかし、白鵬33歳、鶴竜・稀勢の里32歳である。高齢化は当然ながら1年1年進んでいく。<... -
相撲の歴史
千賀ノ浦部屋の系統
貴乃花が協会を辞めるにあたり、弟子を託した元隆三杉の千賀ノ浦及び千賀ノ浦部屋とはどんな人物であり、どのような部屋なのか。隆三杉は初代若乃花の二子山部屋に入門した力士である。あだ名はドラえもん。最高位は小結だが、三賞にはついに縁がなかった... -
相撲の歴史
井筒部屋の現在|本家と分家、鶴竜と逆鉾の系譜
▶ いまの井筒部屋:井筒部屋は2019年九月場所中に師匠の元逆鉾が亡くなって消え、横綱鶴竜は陸奥部屋に移った。旧井筒の系統は、いま錣山部屋(元豊真将)と音羽山部屋(元鶴竜)になっている(「井筒部屋の系統はどうなったか」)。この記事は2018... -
相撲の歴史
相撲部屋の未来
満員御礼が続く大相撲。チケットが入手困難で寝込む方、立ち直れない方まで出るほどである。過熱を通り越した異常事態である。人気は最高だが、そうはいかない面がある。新弟子である。七月場所は新弟子がゼロだったのである。関取になれる確率が低いから... -
相撲の歴史
続旧貴乃花一門は呼称なしのその他に分類
決まり手係だった親方がかつてこう言ったことがある。「マスコミの決まり手が正式な決まり手になるのではありません。協会が決定した決まり手が正式な記録になるのです」これは報道されたことは必ずしも日本相撲協会の見解や決定ではないということを表し... -
相撲の歴史
【7月20日】日馬富士の時代
安馬は技能派の力士であった。それが大関になり、優勝し、横綱にまで上り詰めることは予想外のできごとだった。優勝は9回であった。きりがいい10回まではいきたかったのかもしれない。それでも日馬富士は自己の限界以上の力を発揮した力士であった。<雄... -
相撲の歴史
安馬は日馬富士の旧四股名|写真で見る安馬の時代、技能賞から白鵬撃破まで
安馬は、第70代横綱日馬富士が関脇まで名乗っていた四股名である。入門した部屋の名前が最初は安治川部屋だったため、安美錦と同じく「安」の字を頭につけた。平成18年の技能賞から、白鵬や朝青龍を破った平成20年までの安馬を、田口の写真でたどる。 ※相... -
相撲の歴史
旧貴乃花一門は呼称なしのその他に分類
本日は名古屋場所展望号の専門誌の発売日である。それを見てあることに目がいった。それは立浪(元旭豊)常盤山(元舛田山)そして貴乃花が離脱した旧貴乃花一門が呼び名もなく、その他に分類されていたことである。貴乃花が離脱をしたときは阿武松グルー... -
相撲の歴史
一門離脱、無所属になる貴乃花は無責任
今年に入って貴乃花親方の変身ぶりが激しい。貴公俊の支度部屋での付け人暴行を機に協会との対決姿勢からこれまでの言動を平謝りに謝る姿勢に転じた。三月場所直前、内閣府への告発状を提出していたが、取り下げた。貴公俊の師匠としての責任から厳罰を受... -
相撲の歴史
今は昔 系統別総当たり制
系統別総当たり制は昭和7年から昭和14年及び昭和22年夏場所から昭和39年十一月場所に施行された取組編成方法である。それでは系統別総当たり制とはいったいどういうものか。本家、分家を中心として大阪相撲の流れの部屋を組み込んだものが系統である。具... -
相撲の歴史
大相撲優勝・次点力士1 明治・大正編|33場所の優勝と次点、太刀山と栃木山が9回
明治42年夏場所から大正14年夏場所までの33場所で、優勝に最も多く名前があるのは太刀山と栃木山の9回、次いで大錦の5回である。ただし、この時代の優勝は時事新報社が幕内最高成績の力士の額を国技館に掲げたもので、協会の表彰は無かった。協会が個人優... -
相撲の歴史
3横綱時代の休場
三月場所は結局白鵬が休場、鶴竜、貴ノ岩が出場することになった。ただし、15日間務まるとは限らない要因を含んでいる。場合によっては3横綱休場のケースが出てくるかもしれない。白鵬、日馬富士、鶴竜、稀勢の里の4横綱の皆勤はついに1度もなかった。... -
相撲の歴史
大関時代より弱い今の稀勢の里
久々に会った相撲仲間が開口一番こう言った。「稀勢の里は一段と弱くなったね。大関時代より弱いのではないか」稀勢の里は確かに攻撃力も防御力も鈍い。大関時代より弱いと言われても反論のしようがない。横綱が大関時代より弱い。それは稀勢の里にとって... -
相撲の歴史
4横綱時代の終焉
<H29年7月 鶴竜(右)今年最後の一番となった北勝富士戦>鶴竜が早々と十一月場所の休場を決定した。これでまたも4横綱皆勤はならなかったと嘆く方がいるだろうが、4横綱時代は75場所あって皆勤はわずか14場所にすぎない。期待値は20%にすぎないので... -
相撲の歴史
46年前の相撲部屋事情
今から46年前の昭和46年三月場所、相撲部屋は26であった。なお、昭和46年三月場所は北の富士、玉の海が同日横綱に昇進してから1年たった場所である。そのなかで十両以上の関取を擁する部屋は、以下である。時津風(元豊山=内田)部屋 6人春日野(元栃... -
相撲の歴史
現代相撲部屋事情
現在相撲部屋は45ある。そのなかで十両以上の関取を最も多く擁している部屋はどこか。伊勢ケ濱(元旭富士)部屋と九重(元千代大海)部屋の6人が第1位。追手風(元大翔山)部屋と木瀬(元肥後ノ海)部屋が5人で第3位。なお、希善龍は幕下落ちが濃厚な... -
相撲の歴史
改訂二所ノ関の系統
元若嶋津の二所ノ関親方が、サウナ帰りの自転車で転倒して、緊急脳手術をしたというニュースが流れた。サウナでも体に変調が見られたとか、自転車で何度も転倒しながら、泥だらけで走らせていたという情報が出ている。サウナと雨が降る外の温度差が、血管... -
相撲の歴史
小錦はなぜ横綱になれなかったか|横審委員の論文と、初の外国人横綱・曙への道
小錦は史上初の外国人大関となって横綱をうかがったが、13勝で優勝、12勝、13勝で優勝というチャンスを見送られ、横綱にはなれなかった。田口は、横綱審議委員会のメンバーが「外国人横綱はいらない」という論文を発表し、あたかも小錦を横綱にさせないよ... -
相撲の歴史
横綱10大史9 双羽黒横綱途上で相撲界を去る
双羽黒は優勝なく、横綱に昇進した。横綱審議委員会の稲葉修氏は「優勝のない力士が横綱になるのはおかしい」と発言したが、協会は押し切ってしまった。双羽黒はなぜ横綱に押し上げられたのか。昭和61年七月場所は、北尾(双羽黒)、大乃国、朝潮、北天佑... -
相撲の歴史
横綱10大史8 千代の山横綱返上問題
千代の山は戦後の相撲界で最も期待される力士であった。千代の山も食料事情の悪い中にもかかわらず、期待に応えてきた。5場所で十両昇進というスピード出世。2場所後には入幕。入幕した場所ではなんと10戦全勝している。<千代の山のブロマイド>入幕9... -
相撲の歴史
横綱10大史6 根拠のない土俵入り名と意味2
昭和16年相撲評論家の彦山光三氏が、羽黒山の土俵入りを不知火型と決めつけてしまった。その根拠は、不知火(諾)が両手を広げて立っている錦絵があることであった。そしてそのほかの土俵入りを雲竜型としてしまった。<羽黒山のブロマイド>しかし、不知... -
相撲の歴史
横綱10大史6 根拠のない土俵入り名と意味1
今年の一月場所後、稀勢の里が横綱に昇進した。横綱の土俵入りは、せり上がるときに左手を曲げ、右手をのばす型を選び、雲竜型と紹介された。一方、白鵬、日馬富士が見せるせり上がるときに両手を広げる型を不知火型と呼ばれている。何が問題なのか。まず... -
相撲の歴史
横綱10大史5 横綱地位となる
これまで横綱は上覧相撲を機会にそのときの強豪力士が土俵入りをする資格であった。それが幕末から強豪大関の称号と化した。しかし、横綱の最大の変化は地位化である。それはいつ、だれから始まったのか。きっかけは横綱10大史3で述べた明治23年夏場所、... -
相撲の歴史
名門出羽海部屋の推移3
昭和43年三月場所、横綱佐田の山が引退した。その後出羽海部屋は若手のホープ三重ノ海の登場を待たねばならなかった。三重ノ海が入幕したのは、昭和44年九月場所であった。三重ノ海はホープであったが、貴ノ花、後から入幕した輪島、大受、北の湖、魁傑に... -
相撲の歴史
横綱10大史4 歴代横綱誕生
江戸時代、最後に横綱を免許されたのは陣幕であった。陣幕が吉田司家から横綱を免許されたのは1867(慶応3)年10月であった。大関2場所後であった。1966年冬場所 8勝1分1967年春場所 7勝2分 10月横綱免許1967年冬場所 7勝2休 引退陣幕は大関... -
相撲の歴史
名門出羽海部屋の推移2
常陸山-両国(前名国岩)-常ノ花と引き継がれてきた出羽海部屋。それは昭和32年思いも寄らないよらない事態をむかえ、これからの運命を大きく左右していく。それは常ノ花の出羽海理事長がガスを充満させ、鎧通しで腹・胸・首を切って自殺をはかったので... -
相撲の歴史
横綱10大史3 横綱番付に登場
幕末は江戸幕府の権威が衰退していく時期である。これまでの上覧相撲を機に横綱を免許されていた横綱の土俵入りが、大関のなかでも特に強豪大関に与えられる称号へと変遷していった。これまで大関は東西に一人ずつだった。江戸時代、看板大関がいても大関... -
相撲の歴史
名門出羽海部屋の推移1
名門といえば歴史ある部屋を思い浮かべる。その中でも出羽海部屋は名門中の名門である。現在出羽海部屋の幕内力士は御嶽海のみである。御嶽海は有望な力士で大関をねらえる逸材である。それにしても御嶽海のみというのは、いささか寂しい状況である。横綱... -
相撲の歴史
横綱10大史2 制度の継続
江戸時代、横綱が免許された力士は以下である。谷風・小野川から阿武松まで約38年3ヶ月という異例とも思える長期期間がある。人生でいえば半分以上を折り返している長さである。ほかは長くても稲妻から不知火(諾)までの約10年2ヶ月、秀の山から雲竜ま... -
相撲の歴史
横綱10大史1 その起源
品格力量抜群につき、横綱に推挙する。審判部が横綱に推挙したい力士がいるとき、理事長はこれを受けて横綱審議委員会に諮問する。ここで承認されると、番付編成会議、理事会で正式に決定する。こうした流れで、今日横綱は誕生する。それでは、横綱の始ま... -
相撲の歴史
一人大関の時代
今年(H29年)の一月場所、大関は4人いた。稀勢の里が横綱に昇進し、琴奨菊が関脇に落ちて、三月場所・五月場所は大関が2人に減った。そこへ五月場所後に高安の大関が確定し、七月場所は3大関となる。3大関の中から将来2人が早い時期に横綱に昇進すれ... -
相撲の歴史
相撲専門誌3誌競合時代
今日相撲専門誌3誌が発売された。先日千秋楽を迎えた五月場所の決算号である。相撲専門誌は五月場所展望号から3誌競合時代に入っている。表紙は雑誌の顔と言われる。表紙を何にするかは、重要なポイントである。優勝した白鵬単独にしたのは、スポーツ報... -
相撲の歴史
佐田の山死去 その現役と理事長時代をふり返る
元横綱そして元理事長であった佐田の山が、肺炎で4月27日に都内の病院で亡くなられたことがわかった。79歳であった。協会退任後は、ほとんど消息を聞くことがなかった。横綱の没年順は以下である。佐田の山の四股名は、旧姓の佐々田からきている。現在「... -
相撲の歴史
四股名あれこれ 春日野部屋編
春日野部屋の四股名で誰しも思い浮かべるのは、四股名の頭に「栃」の字がつくことであろう。あるいは一昔前のファンなら、栃錦-栃ノ海-栃東と続く小兵名人の系譜であろうか。春日野部屋の力士の四股名に「栃」がつくのは、出羽海部屋から独立した大正の... -
相撲の歴史
大相撲冬の時代を支えた白鵬
このところ白鵬が弱くなった、衰えたという話ばかり書いてきた。人間照る日があれば曇る日もある。また「白鵬のかちあげ、ダメ押し、懸賞金の取り方が嫌いという方」がいるかもしれないが、人間には功罪がある。ということで白鵬が、実は大変な功労者であ... -
相撲の歴史
相撲部屋紙一重の継承
相撲部屋の継承は必ずしもスムーズにいくとは限らない。ともすればお家騒動に発展する恐れがある。引き継ぐといっても現代は建物まではいかないケースもみられる。時の人、稀勢の里の所属する部屋は田子ノ浦(元隆の鶴)部屋である。以前は鳴戸(元隆の里... -
相撲の歴史
大相撲冬の時代、大阪場所の人気度
大阪場所のチケットが1日、いや数時間で15日間分が売り切れた。驚異的なことである。ただし、注釈がつく。ネットダフ屋・にわかネットダフ屋が、買い占めていることが考えられるからだ。それにしても明治神宮の稀勢の里の横綱の土俵入りに1万8000人も集... -
相撲の歴史
稀勢の里、大関時代の位置づけ
これまで稀勢の里のことを6場所制最強大関と称してきた。1場所平均10勝以上あげた大関は稀勢の里だけだった。しかし、稀勢の里は横綱に昇進して、大関ではなくなった。過去のものになった。しかし、横綱になった力士でも、実績は大関時代が上という者も... -
相撲の歴史
稀勢の里横綱昇進、その成績
19年ぶりの日本出身の横綱誕生に熱狂は留まるところを知らない。これまで稀勢の里は、成績は十分だが、優勝がなかった。一気に優勝を決めたことで即横綱昇進が決定した。連続優勝ではないが、連続優勝した横綱、先輩横綱と比較して昇進成績はどうか。改め... -
相撲の歴史
大相撲不人気時代 力士はこう考えた
今、大相撲は好況である。好況のときはけして考えることはないが、これがひとたびお客さんの入りが悪くなるとそうはいかない。あれこれ思考して大相撲が人気スポーツになる方策を考える。大相撲冬の時代は14日目、千秋楽を購入しておけば、当日売りでもけ... -
相撲の歴史
歴史的誤審の証人が失われた日
元羽黒岩の戸田智次郎氏が10月23日、腎不全のため亡くなられた。まだ70歳であった。それにしても元関取は、平均寿命80歳まで生きられない方が多いのを寂しく思う。人生80古来まれなり相撲界、というところか。元羽黒岩の戸田といえば、思いおこすのが大鵬... -
相撲の歴史
春日山部屋の位置づけ2
昭和46年元大関名寄岩の死去で部屋を継いだのが、最高位前頭筆頭の大昇だった。大昇は元当り矢の春日山部屋が消滅後に誕生した伊勢ノ海部屋の関脇藤ノ川雷五郎が、おこした春日山部屋の出身力士だった。元藤ノ川雷五郎の廃業に伴い、大昇は立浪部屋そして... -
相撲の歴史
春日山部屋とは|名寄岩が昭和29年に興した立浪系の部屋と2016年の消滅
春日山部屋は、立浪部屋の名寄岩が昭和29年に独立して興した、立浪系統の部屋である。その後、元濱錦の春日山が師匠不適格として協会から師匠辞任勧告を受け、2016年に部屋は消滅して力士は追手風部屋へ移った。春日山の名跡は、2026年9月時点では元関脇の... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代総括
ここまで4横綱の時代を検証してきた。それぞれの4横綱はどんな成績を残し、どれだけ休場したか、一覧表にまとめてみた。時代によって取組制度は異なるので単純に数字を比較することはできない。また、1場所限りの4横綱の数字に重きはおけない。そうい... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代9
昭和から平成にかけて、旭富士が12勝-12勝-14勝-13勝-13勝の成績をあげながら、横綱に昇進できなかった。その旭富士がようやく連続優勝を達成して横綱に昇進したことで平成2年九月場所、4横綱が実現した。千代の富士、北勝海、大乃国、旭富士による... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代8
次の4横綱時代は苦労人三重ノ海の横綱昇進によって昭和54年九月場所に生まれた。輪島、北の湖、2代目若乃花に加わった。三重ノ海は昭和23年生まれで、世代的には輪島と一緒であった。遅れてきた横綱であった。この4横綱時代は8場所続いた。優勝は4横... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代7
新旧入り混じっての4横綱となったのが、昭和36年十一月場所である。大鵬・柏戸が同日横綱に昇進して実現した。ただし、朝潮が引退したため1場所限りとなった。時代は新しい力大鵬、柏戸の時代へと移っていった。次の4横綱は3年2場所後であった。大関... -
相撲の歴史
4横綱時代とは|歴代16回の一覧と最長14場所の千代の山・鏡里・吉葉山・栃錦
4横綱時代とは横綱が同時に4人いた時期のことで、大正6年から平成29年(2017年)までに16回ある。最も長く続いたのが、昭和30年1月から昭和33年一月場所までの千代の山・鏡里・吉葉山・栃錦の14場所だ。ただ全員が皆勤したのは14場所中1場所だけで、4横綱... -
相撲の歴史
検証! 4横綱の時代5
「検証!4横綱の時代」はタイムリーな話題や七月場所で間遠になっていたテーマである。たいへん申し訳なかったが、忘れている方のために以下をクリックすると、これまでの内容がご覧いただけるようにした。検証! 4横綱の時代1検証!4横綱の時代 2検... -
相撲の歴史
出羽海の系統 九重部屋誕生直後のドラマ
「九重部屋、それは時代に翻弄された部屋」は、その経緯を字数の関係で、かなりはしょっている。もっと詳しく知りたい方のために、出羽海の系統をご覧いただきたい。出羽海の系統で一番書きたかったことは破門独立した九重部屋がその直後の場所で大関北の... -
相撲の歴史
九重部屋、それは時代に翻弄された部屋
主を失った九重部屋は寂しい。後継者は元千代大海だが、どういう形で引き継ぐのか。名跡と弟子だけの場合がある。部屋ごと継ぐ場合もあるが、部屋は賃貸の場合がある。千代の富士が、横綱として活躍していた頃の師匠は、今NHKで解説をしている北の富士... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代 4
横綱格下げ論、それは前田山引退の翌場所におきた。昭和25年春場所(一月)は蔵前仮設国技館で初めて開催された記念の場所であったはずだ。ところがふたをあけてみると、東富士が3日目から休場、照國が4日目から休場、羽黒山が5日目から休場してしまっ... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代 3
戦後の横綱には2つの特徴がある。一つは横綱の権威が揺らいだこと。もう一つは横綱量産の時代であった。大関でちょっといい成績をあげると横綱に上がれた時代であった。 終戦直後4横綱継続の時代はあったが、双葉山引退後の戦後初の4横綱は、東富... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代 2
昭和の初期、実質昭和6年3月場所から昭和7年10月場所まで横綱が不在だった時期がある。この間15場所横綱の土俵入りは見られなかったわけである。横綱不在にも関らず、大関玉錦は3連覇しても横綱に昇進できなかった。適格者がいなければ不在でもかまわ... -
相撲の歴史
検証! 4横綱の時代1
横綱に一番近い大関稀勢の里は、七月場所に横綱をかける。稀勢の里が、横綱に昇進した場合、4横綱になる。4横綱というと華やかで、4人いるのだから優勝は独占しているのでは、と思いがちである。「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」という言葉があ... -
相撲の歴史
稀勢の里の大関時代を読み解く
七月場所の最大の注目は、稀勢の里が横綱昇進がなるかである。横綱昇進には優勝は不可欠である。佐田の山が13勝-13勝-13勝優勝で横綱に昇進した。稀勢の里は第2の佐田の山になれるのか。まず、大関稀勢の里の年間成績をみてみよう。今年をのぞけば、稀... -
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現代相撲部屋事情
かつて、元常陸山の出羽ノ海のもとには約100人の弟子がいた。玉錦は名門出羽海(この当時は「ノ」の字はない)のように小部屋を一大勢力の部屋にしようと、二枚鑑札(現役と師匠を兼任することで、現在は禁止されている)のまま60人以上の弟子を抱えた。今... -
相撲の歴史
半世紀を経過した部屋別総当たり制2
昭和39年9月、時津風(元双葉山)理事長は取締会で高砂(元前田山)、出羽海(元出羽ノ花)、二所ノ関(元佐賀ノ花)に部屋別総当たりについて諮った。なお、立浪(元羽黒山)は欠席した。その上で場所の14日目に緊急理事会を徴集した。理事会は前記4人... -
相撲の歴史
半世紀を経過した部屋別総当たり制1
現在の取組編成は部屋別総当たり制であり、相撲ファンはそれが当たり前のこととして受け入れている。部屋別総当たり制が始まったのは、昭和40年の一月場所だから、すでに半世紀を経過したことになる。始まったのは昭和40年だが、戦後しばしば、部屋別総当... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋の謎?
琴奨菊が先代師匠琴桜の如く、予期せぬ連続優勝で横綱に昇進したら、佐渡ヶ嶽部屋では何人目の横綱になるかご存知だろうか。この部屋からは琴桜しか横綱はでていないのでは、と思うかもしれない。横綱をつぶさに調べてみると、ほかにもいたことが浮上して... -
相撲の歴史
伊勢ヶ濱部屋のルーツ
伊勢ヶ濱部屋には照ノ富士、照強といった力士、呼出では照喜、照矢がいて「照」の字がそれなりに使用されている。かつて伊勢ヶ濱部屋には照国という横綱がいた。それにあやかったっているという見方がある。しかし、現在の伊勢ヶ濱部屋は照国が所属してい... -
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昭和・平成の10大ニュース5 九重部屋破門独立
出羽海部屋を大部屋にしたのは明治の角聖常陸山である。元出羽ノ海の常陸山亡き後、出羽海を継いだのは元両国(前名国岩)である(ここから出羽ノ海の「ノ」の字はなくなる)。出羽海が分家独立を許さずという不文律ができたのは元両国(前名国岩)の出羽海... -
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続大相撲冬の時代脱却へ 2012年10大ニュース
6位相撲不人気いつまで 新弟子集まらず取り組み開始が20分から30分くらいが遅くなっている。また、部屋が併合されたり、予定されたりしていることでも弟子不足が感じられる。十一月場所で新弟子検査は一人しかいなく話題になった。2012年の新弟子は56人... -
相撲の歴史
大相撲冬の時代脱却へ 2012年10大ニュース
2012年はニュースにはこと欠かない1年だった。ただし、これだという大きなニュースがないだけに好角家・相撲通5氏の10大(重大)ニュースも五者五様の模様を見せている。寄せられたニュースを基に2012年を振り返ってみたい。好角家・相撲通のT氏・S氏... -
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大相撲チケット受難時代
九月場所は15日間満員札止めという、これ以上ない盛況であった。単に満員札止めというのではない。チケットの売れ行きのスピードは一月場所、五月場所の東京場所をはるかに超えていた。場所が近づいてくるに従って、協会の売れ行き状況は、前半の平日にポ... -
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大相撲冬の時代の10大ニュース 2011年2
5位待望の日本人大関琴奨菊誕生七月場所3場所通算32勝で昇進を見送られながら、屈するところなく九月場所で12勝をあげ、文句なしに大関に昇進した。日本人としては2007年九月場所の琴光喜以来である。入幕して34場所かかっての昇進である。相撲の名門明... -
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一人横綱の時代2
昭和46年十一月場所から昭和48一月場所までの8場所を北の富士が一人横綱を務めてから一人横綱はしばらく出なかった。次に一人横綱になったのは北の富士の弟子にあたる千代の富士であった。隆の里の引退によって昭和61年三月場所からわずか3場所であるが... -
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大相撲冬の時代の10大ニュース 2011年1
2011年は冒頭から八百長発覚という激震が走った。相撲協会の屋台骨をゆるがす事態となり、その後のニュースはその影響を受けたものばかりだった。好角家・相撲通4氏に10大(重大)ニュースを寄せていただき振り返ってみたい。好角家・相撲通のTM氏・T... -
相撲の歴史
一人横綱の時代1
昭和47年一月場所から七月場所までは誰が優勝するかわ からない戦国場所だった。事実一月場所は平幕栃東、三 月場所は関脇長谷川、五月場所は関脇輪島、七月場所は 平幕高見山であった。全員初優勝であった。それだけで はない。翌場所の成績が長谷川・輪... -
相撲の歴史
かつて宮城野部屋にあったいびつな形
横綱白鵬が所属する部屋は?横綱白鵬の師匠は?こうきかれたら宮城野部屋、元竹葉山の宮城野と答えるだろう。白鵬を新弟子のころから面倒をみ、育ててきたのはまぎれもなく元竹葉山の宮城野だった。ところがそうでないいびつな形の時期があった。事の経緯... -
相撲の歴史
大相撲冬の時代の10大ニュース 2010年2
引き続き2010年の10大ニュースをみていこう。5位 貴乃花親方一門枠外から立候補して予想外の理事当選二所一門は理事を3人当選できるだけの票がある。現職の放駒(元魁傑)、二所ノ関(元金剛)に加え鳴戸(元隆の里)が立候補する予定になっていた。そこ...