相撲の歴史– category –
部屋の系統・一門・横綱十大史・昇進成績の考証
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相撲の歴史
名門出羽海部屋の推移2
常陸山-両国(前名国岩)-常ノ花と引き継がれてきた出羽海部屋。それは昭和32年思いも寄らないよらない事態をむかえ、これからの運命を大きく左右していく。それは常ノ花の出羽海理事長がガスを充満させ、鎧通しで腹・胸・首を切って自殺をはかったので... -
相撲の歴史
横綱10大史3 横綱番付に登場
幕末は江戸幕府の権威が衰退していく時期である。これまでの上覧相撲を機に横綱を免許されていた横綱の土俵入りが、大関のなかでも特に強豪大関に与えられる称号へと変遷していった。これまで大関は東西に一人ずつだった。江戸時代、看板大関がいても大関... -
相撲の歴史
名門出羽海部屋の推移1
名門といえば歴史ある部屋を思い浮かべる。その中でも出羽海部屋は名門中の名門である。現在出羽海部屋の幕内力士は御嶽海のみである。御嶽海は有望な力士で大関をねらえる逸材である。それにしても御嶽海のみというのは、いささか寂しい状況である。横綱... -
相撲の歴史
横綱10大史2 制度の継続
江戸時代、横綱が免許された力士は以下である。谷風・小野川から阿武松まで約38年3ヶ月という異例とも思える長期期間がある。人生でいえば半分以上を折り返している長さである。ほかは長くても稲妻から不知火(諾)までの約10年2ヶ月、秀の山から雲竜ま... -
相撲の歴史
横綱10大史1 その起源
品格力量抜群につき、横綱に推挙する。審判部が横綱に推挙したい力士がいるとき、理事長はこれを受けて横綱審議委員会に諮問する。ここで承認されると、番付編成会議、理事会で正式に決定する。こうした流れで、今日横綱は誕生する。それでは、横綱の始ま... -
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一人大関の時代
今年(H29年)の一月場所、大関は4人いた。稀勢の里が横綱に昇進し、琴奨菊が関脇に落ちて、三月場所・五月場所は大関が2人に減った。そこへ五月場所後に高安の大関が確定し、七月場所は3大関となる。3大関の中から将来2人が早い時期に横綱に昇進すれ... -
相撲の歴史
相撲専門誌3誌競合時代
今日相撲専門誌3誌が発売された。先日千秋楽を迎えた五月場所の決算号である。相撲専門誌は五月場所展望号から3誌競合時代に入っている。表紙は雑誌の顔と言われる。表紙を何にするかは、重要なポイントである。優勝した白鵬単独にしたのは、スポーツ報... -
相撲の歴史
佐田の山死去 その現役と理事長時代をふり返る
元横綱そして元理事長であった佐田の山が、肺炎で4月27日に都内の病院で亡くなられたことがわかった。79歳であった。協会退任後は、ほとんど消息を聞くことがなかった。横綱の没年順は以下である。佐田の山の四股名は、旧姓の佐々田からきている。現在「... -
相撲の歴史
四股名あれこれ 春日野部屋編
春日野部屋の四股名で誰しも思い浮かべるのは、四股名の頭に「栃」の字がつくことであろう。あるいは一昔前のファンなら、栃錦-栃ノ海-栃東と続く小兵名人の系譜であろうか。春日野部屋の力士の四股名に「栃」がつくのは、出羽海部屋から独立した大正の... -
相撲の歴史
大相撲冬の時代を支えた白鵬
このところ白鵬が弱くなった、衰えたという話ばかり書いてきた。人間照る日があれば曇る日もある。また「白鵬のかちあげ、ダメ押し、懸賞金の取り方が嫌いという方」がいるかもしれないが、人間には功罪がある。ということで白鵬が、実は大変な功労者であ... -
相撲の歴史
相撲部屋紙一重の継承
相撲部屋の継承は必ずしもスムーズにいくとは限らない。ともすればお家騒動に発展する恐れがある。引き継ぐといっても現代は建物まではいかないケースもみられる。時の人、稀勢の里の所属する部屋は田子ノ浦(元隆の鶴)部屋である。以前は鳴戸(元隆の里... -
相撲の歴史
大相撲冬の時代、大阪場所の人気度
大阪場所のチケットが1日、いや数時間で15日間分が売り切れた。驚異的なことである。ただし、注釈がつく。ネットダフ屋・にわかネットダフ屋が、買い占めていることが考えられるからだ。それにしても明治神宮の稀勢の里の横綱の土俵入りに1万8000人も集... -
相撲の歴史
稀勢の里、大関時代の位置づけ
これまで稀勢の里のことを6場所制最強大関と称してきた。1場所平均10勝以上あげた大関は稀勢の里だけだった。しかし、稀勢の里は横綱に昇進して、大関ではなくなった。過去のものになった。しかし、横綱になった力士でも、実績は大関時代が上という者も... -
相撲の歴史
稀勢の里横綱昇進、その成績
19年ぶりの日本出身の横綱誕生に熱狂は留まるところを知らない。これまで稀勢の里は、成績は十分だが、優勝がなかった。一気に優勝を決めたことで即横綱昇進が決定した。連続優勝ではないが、連続優勝した横綱、先輩横綱と比較して昇進成績はどうか。改め... -
相撲の歴史
大相撲不人気時代 力士はこう考えた
今、大相撲は好況である。好況のときはけして考えることはないが、これがひとたびお客さんの入りが悪くなるとそうはいかない。あれこれ思考して大相撲が人気スポーツになる方策を考える。大相撲冬の時代は14日目、千秋楽を購入しておけば、当日売りでもけ... -
相撲の歴史
歴史的誤審の証人が失われた日
元羽黒岩の戸田智次郎氏が10月23日、腎不全のため亡くなられた。まだ70歳であった。それにしても元関取は、平均寿命80歳まで生きられない方が多いのを寂しく思う。人生80古来まれなり相撲界、というところか。元羽黒岩の戸田といえば、思いおこすのが大鵬... -
相撲の歴史
春日山部屋の位置づけ2
昭和46年元大関名寄岩の死去で部屋を継いだのが、最高位前頭筆頭の大昇だった。大昇は元当り矢の春日山部屋が消滅後に誕生した伊勢ノ海部屋の関脇藤ノ川雷五郎が、おこした春日山部屋の出身力士だった。元藤ノ川雷五郎の廃業に伴い、大昇は立浪部屋そして... -
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春日山部屋の位置づけ1
元濱錦の春日山が師匠不適格として、協会は師匠辞任勧告を出した。勧告とはいっても受け入れない場合は、業務委託契約を解除するという強制力が伴う。元濱錦は先代春日山の春日富士と年寄名跡をめぐって訴訟中であった。ちなみに元春日富士と元濱錦は師弟... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代総括
ここまで4横綱の時代を検証してきた。それぞれの4横綱はどんな成績を残し、どれだけ休場したか、一覧表にまとめてみた。時代によって取組制度は異なるので単純に数字を比較することはできない。また、1場所限りの4横綱の数字に重きはおけない。そうい... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代9
昭和から平成にかけて、旭富士が12勝-12勝-14勝-13勝-13勝の成績をあげながら、横綱に昇進できなかった。その旭富士がようやく連続優勝を達成して横綱に昇進したことで平成2年九月場所、4横綱が実現した。千代の富士、北勝海、大乃国、旭富士による... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代8
次の4横綱時代は苦労人三重ノ海の横綱昇進によって昭和54年九月場所に生まれた。輪島、北の湖、2代目若乃花に加わった。三重ノ海は昭和23年生まれで、世代的には輪島と一緒であった。遅れてきた横綱であった。この4横綱時代は8場所続いた。優勝は4横... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代7
新旧入り混じっての4横綱となったのが、昭和36年十一月場所である。大鵬・柏戸が同日横綱に昇進して実現した。ただし、朝潮が引退したため1場所限りとなった。時代は新しい力大鵬、柏戸の時代へと移っていった。次の4横綱は3年2場所後であった。大関... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代6
昭和29年の夏場所、秋場所で大関栃錦が14勝1敗で連続優勝を達成した。栃錦の連続優勝で、横綱昇進は決定的だった。そうなると、東富士、千代の山、鏡里、吉葉山と史上初の5横綱が誕生することになる。「5横綱はいけない」と言っていた東富士は、秋場所... -
相撲の歴史
検証! 4横綱の時代5
「検証!4横綱の時代」はタイムリーな話題や七月場所で間遠になっていたテーマである。たいへん申し訳なかったが、忘れている方のために以下をクリックすると、これまでの内容がご覧いただけるようにした。検証! 4横綱の時代1検証!4横綱の時代 2検... -
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出羽海の系統 九重部屋誕生直後のドラマ
「九重部屋、それは時代に翻弄された部屋」は、その経緯を字数の関係で、かなりはしょっている。もっと詳しく知りたい方のために、出羽海の系統をご覧いただきたい。出羽海の系統で一番書きたかったことは破門独立した九重部屋がその直後の場所で大関北の... -
相撲の歴史
九重部屋、それは時代に翻弄された部屋
主を失った九重部屋は寂しい。後継者は元千代大海だが、どういう形で引き継ぐのか。名跡と弟子だけの場合がある。部屋ごと継ぐ場合もあるが、部屋は賃貸の場合がある。千代の富士が、横綱として活躍していた頃の師匠は、今NHKで解説をしている北の富士... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代 4
横綱格下げ論、それは前田山引退の翌場所におきた。昭和25年春場所(一月)は蔵前仮設国技館で初めて開催された記念の場所であったはずだ。ところがふたをあけてみると、東富士が3日目から休場、照國が4日目から休場、羽黒山が5日目から休場してしまっ... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代 3
戦後の横綱には2つの特徴がある。一つは横綱の権威が揺らいだこと。もう一つは横綱量産の時代であった。大関でちょっといい成績をあげると横綱に上がれた時代であった。 終戦直後4横綱継続の時代はあったが、双葉山引退後の戦後初の4横綱は、東富... -
相撲の歴史
検証!4横綱の時代 2
昭和の初期、実質昭和6年3月場所から昭和7年10月場所まで横綱が不在だった時期がある。この間15場所横綱の土俵入りは見られなかったわけである。横綱不在にも関らず、大関玉錦は3連覇しても横綱に昇進できなかった。適格者がいなければ不在でもかまわ... -
相撲の歴史
検証! 4横綱の時代1
横綱に一番近い大関稀勢の里は、七月場所に横綱をかける。稀勢の里が、横綱に昇進した場合、4横綱になる。4横綱というと華やかで、4人いるのだから優勝は独占しているのでは、と思いがちである。「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」という言葉があ... -
相撲の歴史
稀勢の里の大関時代を読み解く
七月場所の最大の注目は、稀勢の里が横綱昇進がなるかである。横綱昇進には優勝は不可欠である。佐田の山が13勝-13勝-13勝優勝で横綱に昇進した。稀勢の里は第2の佐田の山になれるのか。まず、大関稀勢の里の年間成績をみてみよう。今年をのぞけば、稀... -
相撲の歴史
現代相撲部屋事情
かつて、元常陸山の出羽ノ海のもとには約100人の弟子がいた。玉錦は名門出羽海(この当時は「ノ」の字はない)のように小部屋を一大勢力の部屋にしようと、二枚鑑札(現役と師匠を兼任することで、現在は禁止されている)のまま60人以上の弟子を抱えた。今... -
相撲の歴史
半世紀を経過した部屋別総当たり制2
昭和39年9月、時津風(元双葉山)理事長は取締会で高砂(元前田山)、出羽海(元出羽ノ花)、ニ所ノ関(元佐賀ノ花)に部屋別総当たりについて諮った。なお、立浪(元羽黒山)は欠席した。その上で場所の14日目に緊急理事会を徴集した。理事会は前記4人... -
相撲の歴史
半世紀を経過した部屋別総当たり制1
現在の取組編成は部屋別総当たり制であり、相撲ファンはそれが当たり前のこととして受け入れている。部屋別総当たり制が始まったのは、昭和40年の一月場所だから、すでに半世紀を経過したことになる。始まったのは昭和40年だが、戦後しばしば、部屋別総当... -
相撲の歴史
佐渡ヶ嶽部屋の謎?
琴奨菊が先代師匠琴桜の如く、予期せぬ連続優勝で横綱に昇進したら、佐渡ヶ嶽部屋では何人目の横綱になるかご存知だろうか。この部屋からは琴桜しか横綱はでていないのでは、と思うかもしれない。横綱をつぶさに調べてみると、ほかにもいたことが浮上して... -
相撲の歴史
伊勢ヶ濱部屋のルーツ
伊勢ヶ濱部屋には照ノ富士、照強といった力士、呼出では照喜、照矢がいて「照」の字がそれなりに使用されている。かつて伊勢ヶ濱部屋には照国という横綱がいた。それにあやかったっているという見方がある。しかし、現在の伊勢ヶ濱部屋は照国が所属してい... -
相撲の歴史
昭和・平成の10大ニュース5 九重部屋破門独立
出羽海部屋を大部屋にしたのは明治の角聖常陸山である。元出羽ノ海の常陸山亡き後、出羽海を継いだのは元両国(前名国岩)である(ここから出羽ノ海の「ノ」の字はなくなる)。出羽海が分家独立を許さずという不文律ができたのは元両国(前名国岩)の出羽海... -
相撲の歴史
続大相撲冬の時代脱却へ 2012年10大ニュース
6位相撲不人気いつまで 新弟子集まらず取り組み開始が20分から30分くらいが遅くなっている。また、部屋が併合されたり、予定されたりしていることでも弟子不足が感じられる。十一月場所で新弟子検査は一人しかいなく話題になった。2012年の新弟子は56人... -
相撲の歴史
大相撲冬の時代脱却へ 2012年10大ニュース
2012年はニュースにはこと欠かない1年だった。ただし、これだという大きなニュースがないだけに好角家・相撲通5氏の10大(重大)ニュースも五者五様の模様を見せている。寄せられたニュースを基に2012年を振り返ってみたい。好角家・相撲通のT氏・S氏... -
相撲の歴史
大相撲チケット受難時代
九月場所は15日間満員札止めという、これ以上ない盛況であった。単に満員札止めというのではない。チケットの売れ行きのスピードは一月場所、五月場所の東京場所をはるかに超えていた。場所が近づいてくるに従って、協会の売れ行き状況は、前半の平日にポ... -
相撲の歴史
大相撲冬の時代の10大ニュース 2011年2
5位待望の日本人大関琴奨菊誕生七月場所3場所通算32勝で昇進を見送られながら、屈するところなく九月場所で12勝をあげ、文句なしに大関に昇進した。日本人としては2007年九月場所の琴光喜以来である。入幕して34場所かかっての昇進である。相撲の名門明... -
相撲の歴史
一人横綱の時代2
昭和46年十一月場所から昭和48一月場所までの8場所を北の富士が一人横綱を務めてから一人横綱はしばらく出なかった。次に一人横綱になったのは北の富士の弟子にあたる千代の富士であった。隆の里の引退によって昭和61年三月場所からわずか3場所であるが... -
相撲の歴史
大相撲冬の時代の10大ニュース 2011年1
2011年は冒頭から八百長発覚という激震が走った。相撲協会の屋台骨をゆるがす事態となり、その後のニュースはその影響を受けたものばかりだった。好角家・相撲通4氏に10大(重大)ニュースを寄せていただき振り返ってみたい。好角家・相撲通のTM氏・T... -
相撲の歴史
一人横綱の時代1
昭和47年一月場所から七月場所までは誰が優勝するかわ からない戦国場所だった。事実一月場所は平幕栃東、三 月場所は関脇長谷川、五月場所は関脇輪島、七月場所は 平幕高見山であった。全員初優勝であった。それだけで はない。翌場所の成績が長谷川・輪... -
相撲の歴史
かつて宮城野部屋にあったいびつな形
横綱白鵬が所属する部屋は?横綱白鵬の師匠は?こうきかれたら宮城野部屋、元竹葉山の宮城野と答えるだろう。白鵬を新弟子のころから面倒をみ、育ててきたのはまぎれもなく元竹葉山の宮城野だった。ところがそうでないいびつな形の時期があった。事の経緯... -
相撲の歴史
大相撲冬の時代の10大ニュース 2010年2
引き続き2010年の10大ニュースをみていこう。5位 貴乃花親方一門枠外から立候補して予想外の理事当選二所一門は理事を3人当選できるだけの票がある。現職の放駒(元魁傑)、二所ノ関(元金剛)に加え鳴戸(元隆の里)が立候補する予定になっていた。そこ... -
相撲の歴史
大相撲冬の時代の10大ニュース 2010年1
毎年12月、恒例なのが今年の10大ニュースである。相撲通、相撲愛好家の方に1位から10位までを選んでいただき、総合点で順位を決めるスタイルである。野球賭博にゆれた大相撲冬の時代はどんなニュースがかけめぐったのか振り返ってみた。2010年はネタに困... -
相撲の歴史
出羽海の系統17
大阪からきた三保ヶ関部屋は師匠元滝ノ海の急死により増位山(父)は一時出羽海に身を寄せた。彼は引退後三保ヶ関部屋を復興し、苦難の中から大横綱北の湖、大関北天佑、大関増位山(子)等を育てた。息子増位山がいたので三保ヶ関部屋の後継は決まってい... -
相撲の歴史
出羽海の系統16
出羽海から破門された九重は高砂一門に入った。高砂(元前田山)は九重を迎え入れた理由の趣旨をこう語った。昔、出羽海は高砂から分かれたんだ、と。筆者はこれを聞いたとき、そうだったのかと納得していた。しかし、これまで出羽海の系統で述べてきた通... -
相撲の歴史
出羽海の系統15
1967(昭和42)年一月場所後の31日午後4時出羽海部屋の3階大広間は重苦しい雰囲気が支配していた。正面中央に机を前にした出羽海(元出羽ノ花)。その右には秀の山(元笠置山)、左には分家の春日野(元栃錦)、さらに左サイドに不知火(元八方山)、藤... -
相撲の歴史
出羽海の系統14
元出羽ノ花の出羽海と元横綱千代の山の九重は17歳の年の開きがあった。次の出羽海は自分という思いが九重にはあった。だが、それはある事件によって打ち砕かれた。その事件とは元出羽ノ花が出羽海になった1960(昭和35)年12月から約2年4ヶ月後の1963(... -
相撲の歴史
出羽海の系統13
部屋の年寄、関取の総意で新出羽海となった元出羽ノ花はまず、斜陽の名門の建て直しに取り組まなければならなかった。斜陽の原因は黙っていても弟子が集まるという名門意識にあると新出羽海は分析。その間他の部屋は必死で弟子集めに奔走していたというの... -
相撲の歴史
出羽海の系統12
元常ノ花の出羽海が1960(昭和35)年十一月場所の千秋楽の翌日、二日市温泉の旅館で胃潰瘍のため急死した。前日の千秋楽は元気に酒を飲んでいて、まったく予兆はなかった。出羽海の後継者を決めなければならなくなった。以前元常ノ花の出羽海が自殺をはか... -
相撲の歴史
出羽海の系統11
場所をはさんだため久方ぶりとなったが出羽海の系統を再開したい。記憶ははるかかなたとなった方のためにこれまでのポイントをあげて振り返ってみる。1.出羽ノ海の祖は幕末の二段(現在の十両)の桂川。2.弟子常陸山虎吉がひき継いだものの稽古場もな... -
相撲の歴史
横綱の大関時代4
大関時代が長いといわれた佐田の山は在位17場所、3年弱の期間であった。ところがこのあと横綱になった北の富士は大関在位21場所、玉の海(大関のときは玉乃島)20場所と軽く超えてしまった。しかも長いだけでなくそろって大関在位勝率6割台という低さで... -
相撲の歴史
横綱の大関時代3
引き続き時代を築いた横綱の大関時代をみていこう。栃錦は関脇で14勝1敗で優勝して大関に昇進した。新大関こそ11勝4敗だったが翌場所14勝1敗で優勝、さらに翌場所は13勝2敗で横綱近しを思わせた。だが、ここから3場所連続1ケタ勝利に終わった。特に1... -
相撲の歴史
横綱の大関時代2
時代を築いた横綱の大関時代をみていこう。常陸山は在位2年間4場所で9割台の勝率をあげている。9割台は栃木山と2人しかいない(ともに東西制での成績)。常陸山は常に油断なくをモットーに相撲を取っていた。先輩横綱に大砲がいるが、大関時代は2勝... -
相撲の歴史
横綱の大関時代1
横綱になれる大関、照ノ富士はいつ横綱になるか。それを探るためにまず、先輩横綱はどれくらいの大関在位で横綱になったのか。そのときの成績は。実質、横綱が地位化した常陸山以降鶴竜まで49人の横綱の大関時代の成績を調べてみた。なお大阪横綱は別団体... -
相撲の歴史
はたして白鵬時代は終わったのか
五月場所の白鵬は初日逸ノ城戦の思いがけないつまづきからスタートした。5日目は曲者安美錦に後ろにまわられるなどこれまでにないピンチの体勢となった。中盤は持ち直して強さを発揮してきたが、豪栄道戦で捨て身の首投げをくって最後まで調子を維持でき... -
相撲の歴史
出羽海の系統10
元両国(前名国岩)の出羽海が亡くなられた。出羽海の後継者を決めねばならないが、候補者は3人いた。元横綱常ノ花の藤島、元笠置山の秀ノ山、元両国(前名瓊ノ浦)の待乳山の3人である。秀ノ山の嫁さんは横綱常陸山の孫娘という流れから、待乳山は自分... -
相撲の歴史
出羽海の系統9
分家独立を許さずという出羽海部屋の不文律を破る者が現われた。元両国(前名松ヶ崎)の武隈である。横綱武蔵山を連れてきた功績が少しも報われないことから出羽海との間に確執が生まれ、郷錦・大和泉(ともに後十両)などを連れて独立したのである。<両... -
相撲の歴史
出羽海の系統8
昭和の大相撲を揺るがした春秋園事件。番付の方屋を占めた出羽海部屋が事実上の崩壊に至った。それはどういう流れでいたったか、しぼって展開する。1月10日出羽系中心の力士は大日本新興力士団として旗揚げすることに決定した。1月12日に右翼団体国粋会... -
相撲の歴史
出羽海の系統7
1932(昭和7)年1月5日春場所の番付が発表された。 東 幕内 西玉 錦大関武蔵山能代潟張出大ノ里清水川関脇天 竜幡瀬川小結綾 桜沖ツ海筆頭出羽ヶ嶽鏡 岩 2 信夫山朝 潮 3 和歌嶋高 登 4 山 錦錦 洋 5 藤ノ里太郎山 6 大和錦雷ノ峰 7 ... -
相撲の歴史
出羽海の系統6
大錦がいなくなった土俵で優勝は栃木山、常ノ花、栃木山3連覇と出羽海勢が続いた。しかし、栃木山は3連覇後事実上引退した。1926(大正15)年元栃木山の春日野部屋、元大門岩の山分部屋がスタートした。しかし、分家独立はここまででこれ以上は認められ... -
相撲の歴史
出羽海の系統5
協会に要求11ヶ条をつきつけた力士会と協会幹部。両方に解決策はなく、時間だけがいたずらに過ぎていった。そこで、双方が納得できる調停役を立てることになった。調停役に選ばれたのは警視総督赤池濃であった。赤池は両方の話を聞いたうえで、まず、本場... -
相撲の歴史
出羽海の系統4
元横綱常陸山の出羽ノ海亡き後の部屋の後継者は難航した。候補としては元横綱常陸山の懐刀として大きな力を尽くし、部屋持ちの元両国(前名国岩)の入間川。現役ではあるが、親方を兼ねる二枚鑑札(現在は禁止されている)として横綱大錦、同じく横綱栃木... -
相撲の歴史
出羽海の系統3
元横綱常陸山が出羽ノ海谷右衛門となった初の本場所1915(大正4)年の春場所、出羽ノ海部屋の幕内力士は11人となった。これに続くのが友綱部屋(現在の友綱部屋とのつながりはない)の5人であるから出羽ノ海部屋の躍進ぶりが伺える。また、この年の役員... -
相撲の歴史
出羽海の系統2
ドブ虎常陸山虎吉が師匠の年寄名出羽ノ海と改めてから人を介して市毛谷という少年が入門してきたのだ。後の常陸山谷右衛門である。1890(明治23)年のことである。しかし、稽古場がなく、高砂部屋で稽古する環境は少しも変わらない。16歳の市毛谷は御西山... -
相撲の歴史
出羽海の系統1
数ある相撲部屋のなかでも名門といわれるのが出羽海部屋である。そのルーツ、始まりはいつ誰からなのか。また、どのような歴史をたどってきたのか。あらためて出羽海の系統を追いかけてみた。出羽海部屋というと角聖といわれた明治の大横綱常陸山谷右衛門... -
相撲の歴史
あと3年は続く白鵬時代
三月場所、白鵬は1度もリードを許すことなく、34回目の優勝を6連覇で達成した。白鵬30歳。大鵬が30歳のときは年1回しか優勝できなく、時代は北の富士・玉の海に移りつつあった。白鵬をおびやかす者はおらず、ケガらしいケガもなく、白鵬が置かれている... -
相撲の歴史
歴史的汚点で始まったビデオ導入
大相撲は他のスポーツに先駆けてビデオを導入したから進歩的だ、と思われている節がある。しかし、導入のきっかけは大鵬の連勝記録を誤審でストップした歴史的汚点によるものである。いきさつは以下である。5場所連続休場の大鵬は休場明けの1968(昭和43... -
相撲の歴史
大相撲人気時代
九月場所で満員御礼14回という驚異的数字をはじき出した大相撲。人気は留まるところを知らない。一月場所のチケットを求めるために集まった方は国技館正門から南門の門を曲がっていた。さらに大江戸博物館の前を曲がり、さらにその先の道を曲がり、最終的... -
相撲の歴史
朝青龍の事件は部屋教育の限界を暗示
11月30日元朝青龍に関する番組が流れた。といっても名勝負列伝ではなく、現在の元朝青龍を伝える内容である。今白鵬が大鵬の最高優勝32回に並んだ。だが、あるいは朝青龍が事実上の強制引退がなければ、先に並んだ可能性があったかもしれない。ちなみに朝... -
相撲の歴史
栃煌山が影山と呼ばれていた時代
2006年七月場所初日、東西幕下の筆頭の影山と下田が激突した。幕内で活躍する栃煌山にかつてあった十両をうかがう日々。当時の彼の勇士を振り返ってみよう。2006年大関白鵬が初優勝を達成した五月場所、幕下では1枠しかない空きをめぐって十両昇進争いが... -
相撲の歴史
大相撲人気時代はいつまで続く
九月場所、満員御礼が14回も出るほど大相撲人気は沸騰した。数字で見ると観客は15日間で15万1122人入った。1日平均1万75人である。驚異的な数字である。祝日が2日あった。さらに相撲ファンに話を聞くと、7日目土曜、8日目日曜、10日目祝日だが、間の9... -
相撲の歴史
あと3年は続く白鵬時代
九月場所31回目の優勝を達成した白鵬。いよいよ大鵬の32回最高優勝回数に迫った。白鵬は横綱に昇進してから休場がない稀な存在である。休場したのは大関4場所目の全休1度だけである。白鵬はあと何年横綱としてやっていけるのか。大鵬は21歳で横綱になり... -
相撲の歴史
東京新聞百三十周年記念 大相撲新時代へ
大相撲ファンのなかにはコレクターの方がおられると思う。そんな方にとって手ごわい対象は非売品である。売られていないものを入手するのは果報は寝て待てではどうにもならない。自分の足を使い、手間や時間を惜しむことなく行動することである。非売品と... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統7
1975(昭和50)年の七月場所は大波乱の場所となった。横綱輪島は全休、大関貴ノ花は3連敗して休場。大相撲の看板がそろって休場したのである。横綱北の湖は前半で3敗して9勝6敗、大関魁傑は8勝7敗と上位陣は総崩れとなった。そんな中あれよ、あれよ... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統6
1975(昭和50)年3月28日、佐賀ノ花の二所ノ関が急性白血病で亡くなった。まだ57歳だった。敷地475.2平方メートル、建物1650平方メートルの鉄筋4階建という莫大な遺産を残しての死去だった。敷地は借地だが、借地権はついてまわる。師匠のいない弟子は本... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統5
初代若乃花が引退したのは1962(昭和37)年の五月場所であった。初代若乃花の最後の優勝が1960(昭和35)年の九月場所だから9場所優勝がないまま土俵を去ったわけである。本来ならもう少し早く引退したかったところだった。これは部屋を興すためにために... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統4
中村部屋のルーツは大阪相撲で1927(昭和2)年の東西合併とともに東京に加わった。系統別総当たりのとき、全部屋と対戦していたが、1938(昭和13)年に二所一門に加わった。1943(昭和18)年楯甲新蔵は部屋を引き継いだものの、最後は閉鎖によって1962(昭... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統3
玉ノ海の二所ノ関が部屋を佐賀ノ花に譲った1951(昭和26)年5月の夏場所番付では幕内に佐賀ノ花、若ノ花、琴ヶ浜、琴錦、大ノ海、十勝岩、神若(後の芳ノ里)が名を連ねていた。神風は1950(昭和25)年夏場所番付に不満をもって28歳の若さで引退してしま... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統2
横綱玉錦急逝後二所ノ関部屋の跡目をどうするかという問題が残った。二子山親方(元土州山)かベテラン海光山という声もあった。しかし、力士・親方・関係者の総意で人望と信用のある玉ノ海が二枚鑑札(現役と師匠を兼ねる制度で現在は禁止されている)と... -
相撲の歴史
二所ノ関の系統1
元二所ノ関親方の金剛が65歳の若さで亡くなられた。体調を崩し、定年前に退職していたが、まさかこんなに早くという思いである。協会退職のとき、二所ノ関部屋は力士は引退し、親方は若島津の松ヶ根部屋に移籍した。名門二所ノ関が跡形もなく消えるのはあ... -
相撲の歴史
大関昇進、その成績 4
■部屋別総当たり ◎は優勝 5場所前 4場所前 3場所前 2場所前 直前 合計輪島 10勝5敗 9勝6敗◎12勝3敗 8勝7敗 13勝2敗 52勝23敗貴ノ花 6勝9敗 10勝5敗 11勝4敗 12勝3敗 10勝5敗 49勝26敗大受  ... -
相撲の歴史
大関昇進、その成績 3
■部屋別総当たり 5場所前 4場所前 3場所前 2場所前 直前 合計北の富士9勝6敗 10勝5敗 8勝7敗 10勝5敗 10勝5敗 47勝28敗玉乃島 中位 9勝6敗 10勝5敗 9勝6敗 11勝4敗 39勝21敗... -
相撲の歴史
大関昇進、その成績 2
■系統別総当たり制 ◎は優勝 5場所前 4場所前 3場所前 2場所前 直前 合計若羽黒 10勝5敗 10勝5敗 7勝8敗 11勝4敗 12勝3敗 50勝25敗柏戸 8勝7敗 9勝6敗 9勝6敗 10勝5... -
相撲の歴史
大関昇進、その成績 1
■系統別総当たり制 ◎は優勝 5場所前 4場所前 3場所前 2場所前 直前 合計吉葉山 下位 10勝5敗 10勝5敗 13勝2敗 13勝... -
相撲の歴史
大正時代の大関陥落事情
2014年3月16日「◆問題点を探る 大関陥落制度を考察する1」で大関陥落制度の歴史を探ってきて1958(昭和33)年から始まった3場所連続負け越し以前の2場所連続負け越しで陥落は1927(昭和2)年の東西合併以降からと書いた。また明治・大正時代はまったく別... -
相撲の歴史
横綱昇進、その成績3
双羽黒が優勝することがないうちに付け人が脱走したり、親方夫妻と喧嘩沙汰や暴力沙汰になり、協会員を脱退せざるを得なくなった。まだ若い横綱が協会を離れるなど前代未聞のことであった。力士会はこんなときこそ解決に踏み出すべきだと思うが、会長の千... -
相撲の歴史
横綱昇進、その成績2
横綱は大鵬、柏戸が長い間勤めてきたが、柏戸は成績が芳しくなかったが、代わりの横綱がおらず、辞めたくても辞めにくかった。成績は9勝6敗が目立っていた。それでも新横綱誕生を待てずに引退した。柏戸引退4場所後、大鵬も衰える中、北の富士、玉乃島... -
相撲の歴史
横綱昇進、その成績1
鶴竜は10勝5敗-9勝6敗-9勝6敗-14勝1敗優勝同点-14勝1敗優勝で横綱昇進を果たした。この間優勝1回、通算56勝19敗の成績である。旭富士以降8人続いた2場所連続優勝による横綱昇進の記録はストップした。それではほかの力士はどの程度の成績で... -
相撲の歴史
一強他弱時代
三月場所の優勝は、というほど白熱した優勝争いは期待し難いのが現在の大相撲の姿である。白鵬が超人的に強く、相撲内容は充実、安定、無敵。あわてたり、動揺したりすることもなく、落ち着いている。一方の横綱日馬富士は休場あけで未知数である。大鵬は... -
相撲の歴史
琴欧洲の全盛期は大関昇進前の小結・関脇時代
十一月場所で大関琴欧洲が途中休場し、2場所連続負け越しで関脇陥落が決定した。新大関は2006年一月場所だが、私はその年の年賀状で「時代を築くか朝青龍の引き立て役で終わるか」と記した。答は残念ながら後者になった。琴欧洲の大関時代はさんざんな成...