横綱は大鵬、柏戸が長い間勤めてきたが、柏
戸は成績が芳しくなかったが、代わりの横綱
がおらず、辞めたくても辞めにくかった。成
績は9勝6敗が目立っていた。それでも新横
綱誕生を待てずに引退した。柏戸引退4場所
後、大鵬も衰える中、北の富士、玉乃島改め
玉の海の新横綱が誕生した。玉乃島は数字的
には物足りないが、これまで見送られた経緯
もあって、横綱誕生となった。。
琴桜の横綱ほど協会が困惑したことはなかっ
た。32歳という高齢からくる不安、大関時代
は弱い大関の面が強かったこと、無気力相撲
で注意を受けたりとプラスの要因がまるでな
かった。
輪島は横綱が近いと思わせるほどの強さと安
定感があった。中国巡業のあと開催された五
月場所で、北の富士、琴桜両横綱が不調で輪
島の独走となり、だしがら場所といわれた。
「だしがら場所とはどういう意味だ」と当時理事
長だった武蔵川(元出羽ノ花)を憤慨させるほ
ど核心をついていたといえる。
北の湖は横綱直前、輪島の左前褌、右おっつ
けから繰り出す左下手投げに本割、優勝決定
戦と同じ負け方をし、優勝を逃した。しばらく
北の湖は輪島に勝てなかった。
2代目若乃花以降では千代の富士、隆の里、
北勝海が直近場所2度目の優勝だが、2代目
若乃花、三重ノ海、双羽黒は直近の5場所優
勝なしである。特に双羽黒は横綱昇進後も優
勝がなく優勝経験のない横綱として記録され
ることになった。
この項目続く)
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