鶴竜は10勝5敗-9勝6敗-9勝6敗-14勝
1敗優勝同点-14勝1敗優勝で横綱昇進を果
たした。この間優勝1回、通算56勝19敗の成
績である。旭富士以降8人続いた2場所連続
優勝による横綱昇進の記録はストップした。
それではほかの力士はどの程度の成績で昇進
したのか。以下戦後場所数が増加しつつあっ
た千代の山以降を調べてみた
かつて大関玉錦は横綱のいない時代、9勝2
敗-9勝2敗優勝-9勝2敗優勝-10勝1敗
優勝でも横綱に昇進できなかった。横綱に対
する見識を示した時代でった。
横綱の昇進は本物の横綱を本来誕生させるた
めにつぶさに検討すべきものである。しかし、
現実は横綱の粗製濫造である。
千代の山の2場所前の8勝7敗は現在なら横
綱昇進の話題にすらならない。その千代の山
は後に横綱返上問題を引き起こしている。千
代の山に限らず、栃錦など1ケタ勝利がある
力士は安定感に欠けることを示唆している。
連続優勝で昇進し、後に時代を築いた栃錦さ
え横綱として途中休場、連続9勝6敗、途中
休場と低迷時期があった。
土俵の鬼といわれた初代若乃花が横綱になっ
たとき、若乃花は私に対して「困った、困っ
た」を繰り返していたのを思い出す。その顔
には横綱になった喜びの顔さえなかった。横
綱になった責任、その重さに押しつぶされそ
うになる悩める姿を目のあたりに見て、私は
感動したものだった。(大相撲はんどぶっく
-日本スポー出版社刊の中の「横綱」-この
不可思議なもの 小坂秀二氏筆より)
若乃花は大関時代から横綱鏡里、吉葉山より
強いと見られ、大関在位中は1ケタ勝利が1
度もなかった。責任感がさらに猛稽古後につ
ながり、後に戦後最強とまでいわれた。
新しい英雄として登場した大鵬は若くて強く
てあっという間に優勝・大関を手中にした。
横綱は時間の問題だった。大関4、5場所目
連続優勝で横綱に昇進した。優勝が5場所前
にしかない柏戸が同日昇進できたのは、大関
時代の勝率が大鵬と遜色ないという後付理由
であった。
(この項目続く)
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