大相撲

検証!4横綱の時代 4

2016年6月29日

横綱格下げ論、それは前田山引退の翌場所におきた。昭
和25年春場所(一月)は蔵前仮設国技館で初めて開催さ
れた記念の場所であったはずだ。ところがふたをあけて
みると、東富士が3日目から休場、照國が4日目から休場、
羽黒山が5日目から休場してしまった。横綱が3人もいな
がら、あっという間に横綱不在となってしまった。

世論は横綱を糾弾した。5日目、協会は緊急役員会を開
き、横綱も2場所連続負け越せば大関に降格することを
決めた。ところが予想に反し、世論はこれに反発した。
「横綱はチャンピオンではない。チャンピオン同様の成績
を何度もあげて初めてなれるものだ」思ってもみなかった
世論の反対に、協会は横綱の格下げを白紙撤回し、横綱
審議委員会を新たに設置した。
戦後2A
昭和26年秋場所(九月)、こうした流れを受けて誕生した
のが、羽黒山、照國、東富士に新横綱の千代ノ山を加えた
4横綱である。この4横綱は5場所続いた。優勝は、東富
士が2回、羽黒山が最後の優勝と3度している。だが、のべ
10人と半数が休場するありさまであった。休場率は27.3%
であった(不戦敗を含む)。3場所連続休場の照國が引退し
て、4横綱の時代は終焉を迎えた。
鏡里
<鏡里のブロマイド>
 
次の4横綱時代は、昭和28年春場所(三月)鏡里の横綱
昇進によって誕生した。たった1度の優勝で横綱にあがった。
相撲ファン・マスコミにしても鏡里の横綱昇進は予想して
ないできごとだった。
 
実は、この鏡里の横綱昇進は異例だった。協会は横綱審
議委員会に諮問せずに鏡里の横綱昇進を決定してしまっ
たのである。これに対し、横綱審議委員会は鏡里の横綱
昇進に同意せず、話はこじれた。元笠置山の秀の山理事
が了解を求めて奔走した。2日遅れでようやく鏡里の横綱
昇進が発表される始末だった。
戦後3A
鏡里が新横綱となって迎えた昭和28年春場所(三月)、こ
の場所でさらに横綱の権威がゆらぐ事態が発生した。それ
が千代ノ山横綱返上問題であった。 
千代
<千代ノ山のブロマイド>

 6月末、相撲もオリンピックも接近。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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