大鵬は、入幕した年から引退する年まですべての年で優
勝があるという記録の持ち主である。これは白鵬にも、
今後も誰にも簡単に破られない記録の可能性がある。6
連覇2回、32回優勝は当時の新記録であった。それまで
は、太刀山、栃木山、双葉山の5連覇、優勝は年2場所
時代の双葉山の12回が最高であった。
それほど優勝を街道突っ走ってきた大鵬だけに、大鵬の
陰に隠れた男たちがいた。それをまとめたのが下記の一覧
表である。次点は横綱・大関との対戦がない、あるいは対戦
不足の力士は除外した。また、上位で次点が複数いる場合は、
番付の地位が上の力士を記載してある。
全体的には好敵手だった柏戸が11回と最多である。そも
そも、柏戸は昭和33年九月場所富樫の名で新入幕を果た
している。大鵬の新入幕より8場所早かった。柏戸の四股
名は昭和34年三月場所からである。大鵬が昭和35年一
月場所入幕したときはすでに小結2場所目であった。
表である。次点は横綱・大関との対戦がない、あるいは対戦
不足の力士は除外した。また、上位で次点が複数いる場合は、
番付の地位が上の力士を記載してある。
全体的には好敵手だった柏戸が11回と最多である。そも
そも、柏戸は昭和33年九月場所富樫の名で新入幕を果た
している。大鵬の新入幕より8場所早かった。柏戸の四股
名は昭和34年三月場所からである。大鵬が昭和35年一
月場所入幕したときはすでに小結2場所目であった。
大鵬に先んじる実力者でありながら、大鵬に優勝回数で
差をつけられたのは、2人の目指す相撲の相違であった。
大鵬は守りの相撲であった。それだけに負けにくかった。
一方の柏戸は前褌を取って走る攻撃相撲であった。その
ため、勢い余って負けたり、ケガをしたりすることが多か
った。
った。
柏戸は大鵬の初優勝から30回目の優勝と長期に在籍して
いる。ただ、最後の1年半は1ケタ勝利が多くなり、衰えが
目立っていた。大鵬がいなければ2ケタ優勝はできた可能
性が高い。
目立っていた。大鵬がいなければ2ケタ優勝はできた可能
性が高い。
柏戸の次に次点が多いのは8場所の佐田の山である。佐
田の山は大鵬の1年後に入幕してきた。大鵬を追いかけ
る立場であった。大鵬の3回目から26回目の優勝に在籍
している。
佐田の山と大鵬の対戦成績は、2度の優勝決定戦を含め、
6勝28敗と数字的にはかなり劣勢である。しかし、相撲は
闘志あふれる力量一杯の相撲を取り、熱戦が多かった。
闘志あふれる力量一杯の相撲を取り、熱戦が多かった。
2連覇した後の昭和43年三月場所、突如引退し、ファンを
驚かせた。それとともに内容あふれる対大鵬戦は永久に
失われた。
驚かせた。それとともに内容あふれる対大鵬戦は永久に
失われた。
大鵬の引退時、大鵬がいることによって、一番苦労した
のは誰か、という質問にこう答えている。「佐田の山さん
です。ここ一場というときよく勝ってしまったから」佐田の
山は大鵬がいなければ、もう少し力士生命は長かった
かもしれない。
です。ここ一場というときよく勝ってしまったから」佐田の
山は大鵬がいなければ、もう少し力士生命は長かった
かもしれない。
6月も残りわずか。
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よしなに
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