大相撲

稀勢の里の変遷 1

2016年6月30日

七月場所はいやおうなしに注目が集まるのが、優勝・横
綱を目指す稀勢の里である。新十両は貴乃花に次ぐ史上
2番目の17歳9ヶ月の最年少記録で昇進した稀勢の里は、
すでに30歳にならんとしている。ここまでの彼の変遷を
改めてみていこう。

稀勢の里は初代若乃花から独立した鳴戸(元横綱隆の里)
親方の熱心な誘いで鳴戸部屋に入門した。最初は本名の
荻原を四股名とした。主な力士の新十両までの出世レー
スは、これまで触れてきたので、詳細は以下をクリックして
ご覧いただきたい。荻原は序ノ口から12場所かかって十両
入りした。わずか2年である。
 12場所より上は、現役だけでも嘉風の8場所、9場所の
栃煌山、宝富士がいる。しかし、彼らは相撲という下地
があればこそ、出世が早くても当然といえた。萩原は
野球少年であって、格闘技の下地はなかったことを考慮
すると、かなり早い出世といえる。

naruto
<鳴戸親方(元横綱隆の里>

幕下時代は琴欧州(当時の四股名)に2勝1敗の結果を
残している。当時、琴欧州をライバル視するメディアが
あったほどである。有望力士であることにまちはなかっ
た。

新十両は平成16年五月場所である。四股名は萩原のまま
である。このとき琴欧州も新十両であった。現在の師匠で
ある隆の鶴は十両の6枚目に位置していた。白鵬は新入
幕であった。ここでも琴欧州に勝って9勝6敗の成績を
あげた。

翌場所は琴奨菊が十両入りを果しているが、対戦はなか
った。また安馬(後の日馬富士)が十両だったが、2場所
とも対戦がなかった。十両2場所目は琴欧州に負けての
8勝7敗だった。
kise
<稀勢の里>
 
十両3場所目は3枚目まで番付を上げてきた。優勝した
安馬(後の日馬富士)と十両初対戦となったが、負け、
琴奨菊には勝って9勝6敗の成績を残した。有望力士は
十両優勝をする傾向があるが、萩原は2ケタ勝利さえな
かった。それでも十両を3場所で突破するだけに、非凡
なものをもっていた。

翌場所の平成16年十一月場所、安馬(後の日馬富士)と
ともに新入幕を果たした。ここで初めて萩原から稀勢の
里に四股名を改めたのであった。

(この項目続く)

6月最終日 七月場所で5人と会う予定。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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