七月場所はいやおうなしに注目が集まるのが、優勝・横
綱を目指す稀勢の里である。新十両は貴乃花に次ぐ史上
2番目の17歳9ヶ月の最年少記録で昇進した稀勢の里は、
すでに30歳にならんとしている。ここまでの彼の変遷を
改めてみていこう。
稀勢の里は初代若乃花から独立した鳴戸(元横綱隆の里)
親方の熱心な誘いで鳴戸部屋に入門した。最初は本名の
荻原を四股名とした。主な力士の新十両までの出世レー
スは、これまで触れてきたので、詳細は以下をクリックして
ご覧いただきたい。荻原は序ノ口から12場所かかって十両
入りした。わずか2年である。
栃煌山、宝富士がいる。しかし、彼らは相撲という下地
があればこそ、出世が早くても当然といえた。萩原は
野球少年であって、格闘技の下地はなかったことを考慮
すると、かなり早い出世といえる。

<鳴戸親方(元横綱隆の里>
幕下時代は琴欧州(当時の四股名)に2勝1敗の結果を
残している。当時、琴欧州をライバル視するメディアが
あったほどである。有望力士であることにまちはなかっ
た。
新十両は平成16年五月場所である。四股名は萩原のまま
である。このとき琴欧州も新十両であった。現在の師匠で
ある隆の鶴は十両の6枚目に位置していた。白鵬は新入
幕であった。ここでも琴欧州に勝って9勝6敗の成績を
あげた。
翌場所は琴奨菊が十両入りを果しているが、対戦はなか
った。また安馬(後の日馬富士)が十両だったが、2場所
とも対戦がなかった。十両2場所目は琴欧州に負けての
8勝7敗だった。

<稀勢の里>
十両3場所目は3枚目まで番付を上げてきた。優勝した
安馬(後の日馬富士)と十両初対戦となったが、負け、
琴奨菊には勝って9勝6敗の成績を残した。有望力士は
十両優勝をする傾向があるが、萩原は2ケタ勝利さえな
かった。それでも十両を3場所で突破するだけに、非凡
なものをもっていた。
翌場所の平成16年十一月場所、安馬(後の日馬富士)と
ともに新入幕を果たした。ここで初めて萩原から稀勢の
里に四股名を改めたのであった。
(この項目続く)
6月最終日 七月場所で5人と会う予定。
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