大相撲

稀勢の里の変遷 2

2016年7月2日

平成18年十一月場所、稀勢の里は幕内まで2年半で入幕
した。18歳という若さである。このとき入幕した安馬(後の
日馬富士)は20歳、1場所早く入幕した琴欧洲は21歳、1
場所送れて入幕した琴奨菊は21歳であった。

幕内には3段階ある。横綱・大関とは対戦がない、または
部分対戦の中位・下位クラスである。便宜上これをC段階
とする。大翔丸はまだC段階である。次に横綱・大関全員
と対戦するか、1番少ない準じる対戦の場合で、負け越し
た段階をB段階とする。人気の勢・遠藤はこの段階である。
今度、御嶽海が横綱・大関全員と対戦する。さらに、横綱・
大関全員と対戦する、あるいはそれに準じる1番少ないケ
ースで勝ち越した段階をA段階とする。栃煌山・宝富士など
が経験者である。最近では琴勇輝・魁聖がA段階に入った。
06初 初
<稀勢の里>
 
萩原改め稀勢の里は、どのようなステップで大関まで
歩んだのか。入幕して、1年間はC段階であった。この
間2度負け越している。大鵬・豊山(前名内田)・北の富
士は新入幕の場所に大勝して、翌場所は早くも横綱・
大関と対戦している。彼らは特別としても現役の横綱・
大関と比較してどうか。それが以下の表である。

幕内段階A

稀勢の里に特に目立った数字はない。目立つのは白鵬と
照ノ富士のスピードぶりである。特に照ノ富士の8場所で
大関昇進は、大鵬の6場所で大関昇進に匹敵する早さで
ある。
稀勢の里の最初の横綱・大関戦は、平成17年十一月場所
であった。この場所横綱は朝青龍一人、大関は栃東・千代
大海・魁皇の3人だった。ただし、栃東は途中休場のため、
対戦はなかった。稀勢の里の横綱・大関戦は3敗という結
果であった。15日間の成績も5勝10敗と惨敗に終わった。

再チャレンジは3場所後、平成18年五月場所であった。
この間、琴欧州と白鵬は大関に昇進していた。1横綱5
大関戦だが、朝青龍と栃東は途中休場していた。稀勢の
里は琴欧州・魁皇を倒して大関戦を2勝2敗と五分の成
績を残した。15日間の戦いは、4勝7敗と苦しい展開だ
ったが、最後に4連勝して上位で初めて勝ち越した。稀勢
の里がA段階に到達した瞬間であった。
06夏初日幕内
<平成18年五月場所 稀勢の里、大関琴欧州を倒す>
 
(この項目続く)

7月突入。今年は猛暑らしい。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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