大相撲

春日山部屋の位置づけ2

2016年10月16日

昭和46年元大関名寄岩の死去で部屋を継いだ
のが、最高位前頭筆頭の大昇だった。大昇は
元当り矢の春日山部屋が消滅後に誕生した
伊勢ノ海部屋の関脇藤ノ川雷五郎が、おこした
春日山部屋の出身力士だった。元藤ノ川雷五
郎の廃業に伴い、大昇は立浪部屋そして元
名寄岩の春日山部屋に移籍した。彼はいわば
元名寄岩の春日山の直弟子ではなかった。
立浪A
元大昇の春日山の弟子に春日富士がいた。
彼は平成2年、元大昇の春日山の定年で、元
陸奥嵐の安治川部屋に移籍した。それだけで
終わらなかった。平成5年、さらに元陸奥嵐の
安治川が病気療養中のため、部屋を元旭富士
に譲り、春日富士は師匠をさらに変えることに
なった。
110528春日王引退相撲 1171
<元春日富士の春日山>
 
春日富士は力士生活約15年半を経て、平成
8年に最高位前頭筆頭で引退した。引退後元
春日富士は春日山部屋を復興した。平成24年
一月場所後の理事選挙で、理事に当選すると、
協会の職務に専念するため、雷に名跡を変更
し、追手風部屋出身の濱錦に部屋を託した。
しかし、協会女性事務員との不倫騒動のスキ
ャンダルに加えて、それにかかった費用を
経費として協会に提出したことから、九月場所
中に自ら退職した。

その後、まず、元春日富士と元濱錦の家賃を
めぐる争いから部屋を移した。加えて、年寄
名跡の証書をめぐる訴訟は元濱錦が元春日
富士に1億7160万円を支払う判決がでて控訴
している。そして、今回協会から元濱錦の師匠
不適格による師匠辞任勧告が出された。春日
山部屋は閉鎖になり、力士は追手風部屋へ
移籍することになった。
110925千秋楽幕下以下 393
<濱錦の現役時代>
 
春日山部屋は師匠から弟子へ、あるいは兄弟
子から弟弟子へスムーズに継続されたことが
ない部屋だった。春日山部屋の力士の中には、
これを機会に引退しようとする者も何人かいる
と聞いた。過去、部屋の閉鎖にともなって引退
した関取がいた。師匠の変わり目は微妙な
心理が働くようである。

最後に立浪の系統としての時津風系をピック
アップしてみる。立浪部屋と時津風部屋は
系統別総当たり制では対戦はなかった。井筒
部屋はいったん時津風と一緒になった経緯が
あるだけに系統別総当たり制では時津風部屋
と井筒部屋の対戦はなかった。しかし、立浪
部屋と井筒部屋は対戦した。系統別総当たり
制のややこしさを系統図から読みとっていた
だければ幸いである。
時津風系A
難しい作業ですが、 今後も部屋の系統を 
調査していきます。 
興味深いテーマをこれからもお届けます。
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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