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春日山部屋の位置づけ2

昭和46年元大関名寄岩の死去で部屋を継いだ
のが、最高位前頭筆頭の大昇だった。大昇は
元当り矢の春日山部屋が消滅後に誕生した
伊勢ノ海部屋の関脇藤ノ川雷五郎が、おこした
春日山部屋の出身力士だった。元藤ノ川雷五
郎の廃業に伴い、大昇は立浪部屋そして元
名寄岩の春日山部屋に移籍した。彼はいわば
元名寄岩の春日山の直弟子ではなかった。
立浪A
元大昇の春日山の弟子に春日富士がいた。
彼は平成2年、元大昇の春日山の定年で、元
陸奥嵐の安治川部屋に移籍した。それだけで
終わらなかった。平成5年、さらに元陸奥嵐の
安治川が病気療養中のため、部屋を元旭富士
に譲り、春日富士は師匠をさらに変えることに
なった。
110528春日王引退相撲 1171
<元春日富士の春日山>
 
春日富士は力士生活約15年半を経て、平成
8年に最高位前頭筆頭で引退した。引退後元
春日富士は春日山部屋を復興した。平成24年
一月場所後の理事選挙で、理事に当選すると、
協会の職務に専念するため、雷に名跡を変更
し、追手風部屋出身の濱錦に部屋を託した。
しかし、協会女性事務員との不倫騒動のスキ
ャンダルに加えて、それにかかった費用を
経費として協会に提出したことから、九月場所
中に自ら退職した。
その後、まず、元春日富士と元濱錦の家賃を
めぐる争いから部屋を移した。加えて、年寄
名跡の証書をめぐる訴訟は元濱錦が元春日
富士に1億7160万円を支払う判決がでて控訴
している。そして、今回協会から元濱錦の師匠
不適格による師匠辞任勧告が出された。春日
山部屋は閉鎖になり、力士は追手風部屋へ
移籍することになった。
110925千秋楽幕下以下 393
<濱錦の現役時代>
 
春日山部屋は師匠から弟子へ、あるいは兄弟
子から弟弟子へスムーズに継続されたことが
ない部屋だった。春日山部屋の力士の中には、
これを機会に引退しようとする者も何人かいる
と聞いた。過去、部屋の閉鎖にともなって引退
した関取がいた。師匠の変わり目は微妙な
心理が働くようである。
最後に立浪の系統としての時津風系をピック
アップしてみる。立浪部屋と時津風部屋は
系統別総当たり制では対戦はなかった。井筒
部屋はいったん時津風と一緒になった経緯が
あるだけに系統別総当たり制では時津風部屋
と井筒部屋の対戦はなかった。しかし、立浪
部屋と井筒部屋は対戦した。系統別総当たり
制のややこしさを系統図から読みとっていた
だければ幸いである。
時津風系A
難しい作業ですが、 今後も部屋の系統を 
調査していきます。 
興味深いテーマをこれからもお届けます。
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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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