大相撲

通算1000勝の内訳

2016年10月15日

九月場所、白鵬が全休したことで、あと3勝
で届く通算1000勝を次の場所に持ち越すこと
になった。ただ、通算記録は積み重ねであっ
て、勝率や優勝率と違って減ることはない。
白鵬なら通算1000勝はおろか、魁皇の通算
1047勝の最高記録を抜く可能性さえある。
これまで通算1000勝を達成した力士は2人。
千代の富士と魁皇である。年6場所ならでは
の記録で、いかに強くても年2場所時代では
届かない。
101126十三日目幕内前半 090
<通算1047勝の魁皇>

それでは千代の富士、魁皇、白鵬はどのよう
に白星を重ねてきたのか。地位別に示した
成績が以下である。
1000勝の内訳
出世のスピードは白鵬が抜きに出ている。
千代の富士は下のころは無理な投げが多く、
脱臼がたえなかった。入幕しながら、幕下に
まで陥落したことさえあった。後世、あれほど
の横綱に出世することは、当時想像できなか
った。史上初めて通算1000勝を突破したのは
千代の富士であった。この点は大鵬も北の湖
も及ばない。千代の富士が彼らより長い36歳
直前まで相撲を取ったことが大きい。記録は
1045勝であった。
千代富士B
<通算1045勝の千代の富士>
 
これを超えんとしたのが大関魁皇である。
魁皇は千代の富士を上回る39歳直前まで相撲
を取った。千代の富士の記録をわずかに上回
る1047勝して、その場所中に引退した。大関
止まりながら、場所数は千代の富士より3年
近い17場所上まわったことが大きい。これに
迫らんとするのが、白鵬である。白鵬の特徴は
休場が少なく、負けも少ないことである。以下
をご覧いただきたい。
1000勝の内訳2
場所数、勝率、勝敗差とも白鵬が抜群である。
千代の富士・魁皇に大差をつけている。通算
勝率が8割を超えることなど、今後ないので
は。勝敗差は現在790である。800越えも可能
である。千代の富士と白鵬の違いは、勝ち星
の横綱に占める割合である。千代の富士が
59.8%に対し、白鵬は71.1%である。白鵬は
出世が早く、大きな挫折もなく、今日まで
来た。
07九州八日目幕内 099白鵬土俵入り
<通算最多勝利をねらう白鵬>
 
白鵬の記録はまだまだ伸びる余地がある。
優勝記録とともに、どこまで通算勝利数を
伸ばしていくか。今後の白鵬を注視して
いきたい。

データの調査は膨大な時間を必要とします。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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