大相撲

歴史的汚点で始まったビデオ導入

2014年12月22日

大相撲は他のスポーツに先駆けてビデオを導入したから
進歩的だ、と思われている節がある。しかし、導入の
きっかけは大鵬の連勝記録を誤審でストップした歴史的
汚点によるものである。いきさつは以下である。

5場所連続休場の大鵬は休場明けの1968(昭和43)年
九月場所の初日、技巧派の栃東に敗れた。しかし、この後
引き締め14連勝して優勝した。大鵬は翌場所、翌々場所を
15戦全勝して連勝を44にのばした。44連勝でむかえた三月
場所は初日曲者藤ノ川を一蹴して45連勝と記録をのばした。

世紀の大誤審はこの直後に起きた。2日目、大鵬は新鋭の
戸田(後の羽黒岩)と対戦した。戸田は立ち合いから大鵬
を押したてた。大鵬は交代しながら東土俵から正面に回り
こんだ。なおも押し立てる戸田だが、回り込んだ大鵬を
押すとき右足が土俵の外の砂をはねた。直後に大鵬が正面
土俵を割った。
誤審
<読売大相撲の記事>
 
行司の軍配は大鵬だが、物言いがついた。戸田はいい
相撲を取ったがおしかったな、と言うのが記者の感想で
あった。ところが、審判五人は戸田の勝ちと主張したのだ。
積み重ねた連勝が誤審でストップするというあってはなら
ないことがあってしまった。こうした批判に対応するかの
ようにビデオ導入が決まった。大相撲が続く限りこの
歴史的汚点は消えない。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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