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名門出羽海部屋の推移3

昭和43年三月場所、横綱佐田の山が引退した。
その後出羽海部屋は若手のホープ三重ノ海の
登場を待たねばならなかった。三重ノ海が
入幕したのは、昭和44年九月場所であった。
三重ノ海はホープであったが、貴ノ花、後か
ら入幕した輪島、大受、北の湖、魁傑に大関
では先をこされていた。遅れてきた男三重ノ
海は昭和50年十一月場所、関脇で優勝して
ようやく大関を手中にした。このとき幕内
力士は、鷲羽山、福の花と3人であった。
三重
<若手三重ノ海の記事>

三重ノ海は大関に昇進して低迷していた。
それどころか、大関から陥落したほどである。
その三重ノ海がにわかに強さを発揮して横綱
に昇進した。年齢的に長期横綱は望めなかっ
たが、横綱で連続優勝と全勝優勝したのが
最後の華となった。分家を許さずの不文律が
あった出羽海部屋だが、佐田の山が出羽海に
なったときを境として分家独立が認められる
ようになり、三重ノ海が第1号であった(過
去2度破門独立があった)。
三重ノ海が去った昭和56年一月場所、出羽海
部屋の幕内力士は、鷲羽山、佐田の海、出羽
の花の3人であった。大錦が幕内に復帰する
ことはあっても、勢いを盛り返すことはでき
なかった。平成初の一月場所では出羽海部屋
の幕内力士は、両国(前名小林山)一人に
なっていた。
06夏八日目十両三番前-幕内 070
<普天王>

技のデパート舞の海が入幕したのは、平成3
年九月場所であった。この時点で出羽海部屋
の幕内力士は、両国(前名小林山)、久島海、
小城ノ花(子)がいる。この後小城錦も入幕
してくる。しかし、平成11年七月場所小城錦
が十両に落ち、ついに出羽海部屋の幕内力士
がいなくなった。しかし、金開山や小城錦が
再入幕を果たし、一時的な空白を解消した。
170709初日幕内 1002
<七月場所 稀勢の里から初勝利の御嶽海>

出羽海部屋が長期幕内力士不在に陥ったのは、
平成21年十一月場所普天王が十両に落ちて
からである。御嶽海が入幕したのは平成27年
十一月場所であった。実に6年間幕内力士
空白期間が続いたのである。名門復興は御嶽
海の今後にかかっている。
終わり

暑さ復活。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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