大相撲

名門出羽海部屋の推移3

2017年8月23日

昭和43年三月場所、横綱佐田の山が引退した。
その後出羽海部屋は若手のホープ三重ノ海の
登場を待たねばならなかった。三重ノ海が
入幕したのは、昭和44年九月場所であった。
三重ノ海はホープであったが、貴ノ花、後か
ら入幕した輪島、大受、北の湖、魁傑に大関
では先をこされていた。遅れてきた男三重ノ
海は昭和50年十一月場所、関脇で優勝して
ようやく大関を手中にした。このとき幕内
力士は、鷲羽山、福の花と3人であった。
三重
<若手三重ノ海の記事>

三重ノ海は大関に昇進して低迷していた。
それどころか、大関から陥落したほどである。
その三重ノ海がにわかに強さを発揮して横綱
に昇進した。年齢的に長期横綱は望めなかっ
たが、横綱で連続優勝と全勝優勝したのが
最後の華となった。分家を許さずの不文律が
あった出羽海部屋だが、佐田の山が出羽海に
なったときを境として分家独立が認められる
ようになり、三重ノ海が第1号であった(過
去2度破門独立があった)。

三重ノ海が去った昭和56年一月場所、出羽海
部屋の幕内力士は、鷲羽山、佐田の海、出羽
の花の3人であった。大錦が幕内に復帰する
ことはあっても、勢いを盛り返すことはでき
なかった。平成初の一月場所では出羽海部屋
の幕内力士は、両国(前名小林山)一人に
なっていた。
06夏八日目十両三番前-幕内 070
<普天王>

技のデパート舞の海が入幕したのは、平成3
年九月場所であった。この時点で出羽海部屋
の幕内力士は、両国(前名小林山)、久島海、
小城ノ花(子)がいる。この後小城錦も入幕
してくる。しかし、平成11年七月場所小城錦
が十両に落ち、ついに出羽海部屋の幕内力士
がいなくなった。しかし、金開山や小城錦が
再入幕を果たし、一時的な空白を解消した。
170709初日幕内 1002
<七月場所 稀勢の里から初勝利の御嶽海>

出羽海部屋が長期幕内力士不在に陥ったのは、
平成21年十一月場所普天王が十両に落ちて
からである。御嶽海が入幕したのは平成27年
十一月場所であった。実に6年間幕内力士
空白期間が続いたのである。名門復興は御嶽
海の今後にかかっている。

終わり

暑さ復活。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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