大相撲

出羽海の系統5

2015年4月21日

協会に要求11ヶ条をつきつけた力士会と協会幹部。両方に
解決策はなく、時間だけがいたずらに過ぎていった。
そこで、双方が納得できる調停役を立てることになった。
調停役に選ばれたのは警視総督赤池濃であった。赤池は
両方の話を聞いたうえで、まず、本場所を開き、場所後に
折衝案を出すこととして収束した。

しかし、調停にあたった横綱・大関・立行司7人の代表
大錦はこれでは自分の立場はないと深刻にとらえた。
1月18日、力士と協会の和解の宴会が日比谷で開かれた
が、大錦は宴会場別室で自ら髷を切り、死を賭して解決に
あたることができなかった責任を誰も予期できないカタチで
とって謝したのであった。31歳、取り盛りの横綱が自ら髷を
切って相撲界を去ることなど前代未聞であった。
横綱 大錦卯一郎
<大錦の絵葉書>
 
場所後、次の興行から1日増やして、養老金(退職金)を
幕内5割増し、十両2割5分増しとした。また従来8場所
務めなければなかった資格が十両を1場所でも務めれば
資格ができるとした。しかし、不十分な結果は後に春秋園
事件につながることとなった。

解決案が決定すると同時に協会幹部は総辞職し、これまで
取締だった出羽海は再当選することができなかった。彼が
取締相談役としてだが、復活するのは1925(大正14)年の
ことである。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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