新旧入り混じっての4横綱となったのが、
昭和36年十一月場所である。大鵬・柏戸が
同日横綱に昇進して実現した。ただし、朝潮
が引退したため1場所限りとなった。時代は
新しい力大鵬、柏戸の時代へと移っていっ
た。
昭和36年十一月場所である。大鵬・柏戸が
同日横綱に昇進して実現した。ただし、朝潮
が引退したため1場所限りとなった。時代は
新しい力大鵬、柏戸の時代へと移っていっ
た。
代が17場所と長かった佐田の山が、ようやく
横綱に昇進することによって実現した。ここ
から取組は部屋別総当たりになっていた。
大鵬、柏戸、栃ノ海、佐田の山の4横綱時代
は11場所続いた。2年弱である。
大鵬、柏戸、栃ノ海、佐田の山の4横綱時代
は11場所続いた。2年弱である。
絶対王者大鵬がいたこともあり、11場所すべ
て横綱が優勝している。大鵬は11場所中8場
所優勝して強さを示している。第2次6連覇
の途中でもあった。柏戸が2回、佐田の山が
1回優勝している。ただし、栃ノ海の優勝は
ない。
ない。成績は389勝132敗131休、勝率7割4分
7厘。1場所平均11.2勝。休場率は不戦敗7
を加えると21.2%。1年で1場所と4日休んで
いることになる。3横綱が休場した場所さえ
ある。これでは豪華なのは番付だけといわれ
てもしかたがない。
栃ノ海の理にかなったうまさ、手順はまさに
小兵名人であった。栃ノ海はワンチャンスで
横綱に昇進したものの、椎間板ヘルニアと右
上膊の筋肉断裂に悩まされていた。この4横
綱時代は、栃ノ海の不成績が目立つ。最後は
栃ノ海の28歳という若い引退によって、4横