大相撲

検証!4横綱の時代7

2016年8月15日

新旧入り混じっての4横綱となったのが、
昭和36年十一月場所である。大鵬・柏戸が
同日横綱に昇進して実現した。ただし、朝潮
が引退したため1場所限りとなった。時代は
新しい力大鵬、柏戸の時代へと移っていっ
た。
4横綱系統最後A
次の4横綱は3年2場所後であった。大関時
代が17場所と長かった佐田の山が、ようやく
横綱に昇進することによって実現した。ここ
から取組は部屋別総当たりになっていた。
大鵬、柏戸、栃ノ海、佐田の山の4横綱時代
は11場所続いた。2年弱である。
佐田 の山A
<佐田の山>

絶対王者大鵬がいたこともあり、11場所すべ
て横綱が優勝している。大鵬は11場所中8場
所優勝して強さを示している。第2次6連覇
の途中でもあった。柏戸が2回、佐田の山が
1回優勝している。ただし、栃ノ海の優勝は
ない。
大鵬から差だ4横綱A
皆勤は11場所中わずか2場所で、ここでも少
ない。成績は389勝132敗131休、勝率7割4分
7厘。1場所平均11.2勝。休場率は不戦敗7
を加えると21.2%。1年で1場所と4日休んで
いることになる。3横綱が休場した場所さえ
ある。これでは豪華なのは番付だけといわれ
てもしかたがない。
大鵬1
<大鵬>
 
栃ノ海の理にかなったうまさ、手順はまさに
小兵名人であった。栃ノ海はワンチャンスで
横綱に昇進したものの、椎間板ヘルニアと右
上膊の筋肉断裂に悩まされていた。この4横
綱時代は、栃ノ海の不成績が目立つ。最後は
栃ノ海の28歳という若い引退によって、4横
綱は終わりをつげた。
栃ノ海A
<栃ノ海>

女子マラソン、アフリカ勢に勝てない
限り、メダルは遠い。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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