大相撲

検証!4横綱の時代6

2016年8月14日

昭和29年の夏場所、秋場所で大関栃錦が14勝
1敗で連続優勝を達成した。栃錦の連続優勝
で、横綱昇進は決定的だった。そうなると、
東富士、千代の山、鏡里、吉葉山と史上初の
5横綱が誕生することになる。「5横綱はいけ
ない」と言っていた東富士は、秋場所の不成績
もあり、引退することにした。
東
<東富士のブロマイド>
 
こうしてメンバーが代わるカタチで、千代の山、
鏡里、吉葉山、栃錦の4横綱時代が、続くこと
になった。しかも場所数は、4横綱史上最長の
14場所に及んだ。横綱量産がうんだ結果で
あった。強い大関は横綱になれた時代 で
あった。
表昭和
しかし、いかんせん中身がともなわなかった。
皆勤は14場所中わずか1場所だけであった。
誰かが必ず休場していたことになる。その1
場所も、3横綱が1ケタ勝利というお粗末さ
であった。しかも4横綱がそろいながら、優
勝したのは半分の7場所であった。
栃
<栃錦のブロマイド>
 
成績は475勝216敗1分142休である。勝率6割
8分7厘。1場所10.3勝である。稀勢の里の
大関勝率以下である。休場率は不戦敗12を含
め、18.5%である。これは1年間に一人の横綱
が1場所と1.5日休場していることになる。数は
いても物足りなさを見せられていたことになる。

4横綱が強かったことはなかった。この当時、
現代の最強力士は誰かというテーマが専門誌
の企画として掲載された。候補は4横綱と大
関若ノ花であった。最強力士が誰の目にも
明らかでなかったこそ成り立った企画であった。
ここに若ノ花が加わっていることが興味深い。
現代最強力士は栃錦という結論になった。
若
<若ノ花のブロマイド>
 
この4横綱時代は、昭和33年一月場所、場所
中に吉葉山が、場所後に鏡里が引退してよう
やく終止符をうった。

オリンピックはいよいよマラソン。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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