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検証! 4横綱の時代5

「検証!4横綱の時代」はタイムリーな話題
や七月場所で間遠になっていたテーマで
ある。たいへん申し訳なかったが、忘れて
いる方のために以下をクリックすると、これ
までの内容がご覧いただけるようにした。

鏡里が新横綱となった昭和28年春場所(三月)
で横綱の権威がゆらぐ事態がおきた。千代ノ
山横綱返上問題である。千代ノ山が横綱に
昇進してからの成績は9勝-13勝-10勝-
11勝-途中休場-途中休場である。春場所は
初日だけ勝って4連敗。あまりのふがいなさに
会場はヤジがとんだという。

千代山
<千代ノ山のブロマイド>

横綱の責任を重く受け止めた千代ノ山は、
元安芸ノ海の藤島を通して、横綱を返上して
大関から出直したい旨を協会に伝えた。前代
未聞の申し入れに協会は戸惑い、あわてた。
相撲協会の理事長は千代ノ山の師匠でもある
元横綱常ノ花の出羽海であった。とにかく
協会は横綱返上を認めるわけにもいかず、
窮地に追い込まれた。結局千代ノ山に留意し、
再起をはかことになった。次の場所千代ノ山
は全休した。
昭和28年秋場所、羽黒山の引退で4横綱時代
は終わりをつげた。と思ったら1場所おいて、
吉葉山の横綱昇進によって、再び4横綱時代
となった。

4横綱昭和29A

当時吉葉山の人気はすさまじかったが、優勝運
がなかった。横綱昇進直前ようやく、15戦全勝
で初優勝した。千秋楽、外は雪が降っていた。
優勝パレードの吉葉山の頬を伝わるのは雪か
涙かといわれた。

吉葉山
<吉葉山>

このあたりは横綱量産の時期であった。東富
士、千代の山、鏡里、吉葉山の4横綱時代は
3場所しか続かなかった。誰かが休場し、
横綱勝利84勝に対し、休場が58であった。
さらに横綱から優勝が一人もでないという、
とんでもない結果となった。

折りたたみ自転車は人力で運ぶのは難しい
ことが判明。

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よしなに
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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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