大相撲

検証! 4横綱の時代5

2016年8月13日

「検証!4横綱の時代」はタイムリーな話題
や七月場所で間遠になっていたテーマで
ある。たいへん申し訳なかったが、忘れて
いる方のために以下をクリックすると、これ
までの内容がご覧いただけるようにした。

鏡里が新横綱となった昭和28年春場所(三月)
で横綱の権威がゆらぐ事態がおきた。千代ノ
山横綱返上問題である。千代ノ山が横綱に
昇進してからの成績は9勝-13勝-10勝-
11勝-途中休場-途中休場である。春場所は
初日だけ勝って4連敗。あまりのふがいなさに
会場はヤジがとんだという。

千代山
<千代ノ山のブロマイド>

横綱の責任を重く受け止めた千代ノ山は、
元安芸ノ海の藤島を通して、横綱を返上して
大関から出直したい旨を協会に伝えた。前代
未聞の申し入れに協会は戸惑い、あわてた。

相撲協会の理事長は千代ノ山の師匠でもある
元横綱常ノ花の出羽海であった。とにかく
協会は横綱返上を認めるわけにもいかず、
窮地に追い込まれた。結局千代ノ山に留意し、
再起をはかことになった。次の場所千代ノ山
は全休した。

昭和28年秋場所、羽黒山の引退で4横綱時代
は終わりをつげた。と思ったら1場所おいて、
吉葉山の横綱昇進によって、再び4横綱時代
となった。

4横綱昭和29A

当時吉葉山の人気はすさまじかったが、優勝運
がなかった。横綱昇進直前ようやく、15戦全勝
で初優勝した。千秋楽、外は雪が降っていた。
優勝パレードの吉葉山の頬を伝わるのは雪か
涙かといわれた。

吉葉山
<吉葉山>

このあたりは横綱量産の時期であった。東富
士、千代の山、鏡里、吉葉山の4横綱時代は
3場所しか続かなかった。誰かが休場し、
横綱勝利84勝に対し、休場が58であった。
さらに横綱から優勝が一人もでないという、
とんでもない結果となった。

折りたたみ自転車は人力で運ぶのは難しい
ことが判明。

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よしなに
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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